5話 狂気の科学者 <ゲーム>
私の世界? モルス? ……言っている意味がまるで分からない。
『まずは、君達に感謝を。これで私の研究は、次のステップへと進むことができる』
年齢までは判別できないが、恐らくは男であろう、その声。次いで、クククッ、と胡散臭い笑い声が響き渡る。
「どうなってんだ!?」
「一体何が起こってるの!?」
広場が一斉にざわめきたち、怒号や金切り声が飛び交う。
かくいう俺は、彼らと同様の疑問を持ちながらも、微かな驚きが胸にあった。
「……俺だけじゃなかったのか」
ポツリと零した言葉は、誰の耳に届くでもなく、喧騒に包まれて消える。しかしこう言ってはなんだが、自分と同じ立場である人間がいると分かると、ほんの極僅かだが、気が楽になった。
『まあ、落ち着きたまえよ。それについて、これから説明させていただこう』
その言葉に、ざわめきがひとつ、またひとつと小さくなっていく。そして、誰もが続きを聞こうと、次なる言葉に耳を傾けた。
『まず、これを信じるか信じないかは君達次第だが、とりあえず自己紹介といこう。私は……そうだな、とりあえず「F」とでも名乗るとしよう。未来からこの過去へと時を遡ってやってきた、ただの科学者だ』
……未来から来た科学者?
一瞬、聞き違えたのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
「ふざけるな! そんなこと信じられるか!!」
誰かが、拳を天へと振り上げる。すると、それに同調するように、そうだそうだ、という声が各所から上がり始めた。
『ククッ、だから君達次第と言ったろうに。……では聞くが、いったいこの状況をどう説明するというのかね? これが夢などではないということは、他でもない君達自身が理解しているはずだが?』
再燃しかけていたざわめきが、ピタリと止まった。
それはそうだ。この男の言う通り、これが夢ではないというのは、すでに判明していた。
あまりにもはっきりしすぎているのだ。感覚が、思考が。
だが頭では分かっていても、俺の脳は、このあまりにも突拍子もない出来事を受け入れることを拒否していた。
『しかしまあ、一々対応していては一向に進まないね。では、ズバリ言わせてもらおう……』
一拍の間を置き、男は口を開いた。その言葉は、俺を更なる混乱へと陥れる。
『……私の研究とは――魂、つまりは人間の精神を複数に分け、その一部を身体から切り離し、別の物へと宿らせる、というものだ』
……なんだって? 魂の一部を身体から切り離す?
いまいち言っていることが分からず、俺は頭を捻った。
『これが成功すれば、例え身体が木端微塵になったとしても、別の物へと宿ったその魂は、無事。そう、つまりその人間は死んではいない、ということになる』
静寂とした空間に、男の愉しげな声だけが響く。先程までは、構わず怒鳴り散らしていた奴も、依然沈黙を保ったままだ。
『無論、新たな身体が必要となるわけだが、それは問題ない。作製しておいた自らのクローンに入れるもよし、機械の体となるのもよし。いくらでも、対処法は存在する。それこそ、他の生物へと入り込み、身体を共有するというのも不可能ではない』
俺の脳の理解が追いつかないまま、男は淡々と言葉を紡いだ。
『だが、順調に進んでいた私の研究は、とある段階で行き詰まってしまった。なに、簡単な話だ。実験の機会に恵まれなかったのだよ』
その言葉に、俺の背筋がヒヤリとした。
そしてそれは恐らく、俺だけではないだろう。
意外にも冷静だった俺の脳は、男の言わんとしている続きを導き出していた。
『実験の被験者となってくれる存在。同業者の存在。それ以外にも、私の実験の障害たりえる要素は、決して少なくなかった。だが、それはあの時代での話。今より幾千の時を経て、辿り着くであろう世界での話だ。つまり、今ここにいる君達は――』
脳が、警鐘を鳴らす。頼むから、俺の思い過ごしであってくれと、必死で願いを込める。
だが、その祈り虚しく、無情にもそれは放たれた。俺の、いや、俺と共にいる数百の人間を絶望へと叩き落とす言葉として。
『――私の実験の被験者となったのだよ』
なんでもないような口調で、男は告げた。
なんて勝手な。憤りが俺の中に渦巻くが、しかしこちらの反応など無視するかのように、男は淀みなく話し続ける。
『だが、ただ実験するだけでは面白くない。そこで、私は考えた。協力してもらう君達への返礼として、未来の技術を一足先に体験させてあげよう、とね。それが、この現実であって現実ではない、ゲームの世界。モルスと呼ばれる舞台だ』
クツクツと響き渡る笑い声が、非常に癪にさわる。
そしてどうやら、モルス、というのがこの場所の名前のようだ。
『この場にいる君達の魂の一部は、すでに分離して、とある物に宿っている。その物とは、君達がさきほど投入した、お金――つまりはコインだ。私の用意した衣装のポケットに入っていると思うから、是非確認してくれたまえ』
その言葉に、俺を含めた大多数の人間が動いた。
そして、右ポケットに入っていた、一つの硬貨の存在を確認する。
……今更に気づいたことだが、制服だったはずの俺の服は、いつの間にか変わっていた。周囲の人間同様、白を基調とした、簡素な衣服にだ。
『それが、君達の命だ。これはモルスだけではなく現実においても言えることだが、それが砕かれたが最後、君達は死ぬ。己の肉体に欠損がなかろうと、絶対にね。これは、まだ私の研究が不完全なためなのだが、それは許してくれたまえ。ただ、ゲームの中で致命傷を負っても、コインに傷一つなければ生き返ることは可能だ』
俺がさっき投入したのは500円玉だったはずだが、ポケットから姿を現したのはそれではなかった。
大きさだけ言えばで、500円玉とそうは変わらない。ただ、その面に描かれているものが違った。
裏、表。どちらかは分からないが、一方は無地。言葉通り、なにもない。
そしてもう一方、大きく描かれているのは――。
「……鐘?」
なんとなくだが、俺にはそう見えた。お寺などで見られる、あれだ。
『このゲームは、まさにファンタジーだ! 魔法もあれば、モンスターもいる。……ああ、一つ言い忘れていたが、そのコインを破壊することが可能なのは、プレイヤーたる君達のみだ。モンスターによって破壊されることはないから安心したまえ』
あからさまに、周囲の空気が変わった。
男の言葉を理解した途端、プレイヤー達は互いに視線を配り、警戒する。
当然だ。安心できるわけがない。
なぜなら、男の言を信じるとするならば――俺の、俺達の命を脅かすものは、他でもないこの場にいる全員なのだから。
信じていいものか、という疑念はある。しかし、だ。この男が嘘をついている、と断定ができない。現状、他に手立てがないのだ。
ならば、警戒するにこしたことはない。
コインを奪われないよう、ギュッと手で握りしめてポケットへと突っ込む。
『理解していただけたかね? では、この世界において、君達<赤の民>の住処となる、<赤の村>へと招待しよう!』
男の言葉と共に、眼前にあった堅牢な門が、ギギィと重々しい音を立てて開いていく。
なにやら重要そうなワードが聞こえてきたが、好奇心に負け、俺は開かれつつある門へ視線を向けた。
門の内側、その中の様子を窺おうとして――気がつけば、俺の前には赤があった。