3話 謎の筐体 <現実>
「……お、俺、声かけてこようかな!?」
「やめとけって。お前なんか相手にされねえよ」
柊の去った後の廊下。今までの静けさが嘘だったかのように、生徒達が一斉に話し出す。
「いやぁ、さっすが姫さん! クールだねぇ!」
ククッ、と妙な笑い声を漏らすユウを傍らに、俺は彼女が姿を消した階段を見ていた。
モデルの仕事が忙しいのか、それともただ欠席がちなだけなのか。もしかしたら学校にはよく来ているのかもしれないが、俺は校内で柊をあまり見かけたことがない。あったとしても、数えるのに片手で事足りる程度の数だと思う。先程のように、視線が交差した――向こうが俺を見ていたのかは知らないが――のも初めて。ましてや、会話などしたこともない。
だから彼女のことはあまり知らなかったが、なるほど、ユウの言うとおりだと感じた。
以前に聞いた話。彼女、柊千雪がクラスで浮いているというものだ。
さきほどの彼女からはどこかこう、周囲をよせつけない雰囲気が放たれていた。そういう人間を、過去に見たことがあるから分かる。あれは、いつのことだったか――。
「なに、見惚れでもした?」
ユウの声に、思考を中断する。
動かない俺を不信に思ったのか、いつの間にかユウがニヤニヤとした笑みを浮かべながら顔を覗き込んでいた。
「……そんな訳ないだろ」
「ふぅーん?」
ま、いいけどね、とユウが軽やかな足取りで俺の前を歩き出し、階段へと足をかけた。
ふぅ、と大きく息を吐き出し、俺もそのあとに続く。
その際、階段を一段降りるたびに、右のポケットが大きく揺れた。原因は、考えるまでもない。あの馬鹿のよこした5千円分の500円だ。10枚ならさほど多くないと侮っていたが、存外重いものである。
若干の怨嗟の念を込め、目の前を歩くユウを睨むが、当然ながら全く気にした様子も見せない。
校舎1階、階段を下りてすぐにあるのが、1年の使用する下駄箱だ。
まだ放課後となって間もないこともあり、そこそこに混雑している。
自らの下駄箱の前が開くまでの間、俺は無意識の内にあたりに視線を巡らせていた。
だが、探していた姿――柊千雪は見あたらない。
そこまで確認して、俺はハッとした。なぜ、彼女の姿を探していたのか。
自問すれども、答えはでない。
ぶんぶん、と頭を振ってスペースの開いた下駄箱へ向かう。まるでこちらの内心を見透かしているかのように、ニヤニヤした表情を絶やさないユウは、気にしない。
靴を履き替え、校門を出る。
通りを吹き抜けていく、一陣の風。5月の下旬、梅雨入り前の空は、太陽が雲間に隠れ、通学路に影を落としている。じめじめとはしているが、まあちょうどよい季節だ。
「ハトー、どっか寄ってくか?」
隣を歩くユウが、大きく伸びをしながら問いかけてきた。
「別にいいけど。どこ行くんだ?」
学校からの帰り道が同じ方向である俺達は、時折寄り道をすることがある。どちらかの家に遊びに行ったり、安い店で軽食をとったり、だ。コイツから誘ってくるのはさほど珍しいことではなく、むしろ俺から誘うことはほとんどない。
「たまには、そうだなー……ゲーセンとか? ハトもお金持ってることだし」
ニンマリとしながら同意を求めてくるユウ。その胡散臭い表情に、俺はすぐさまコイツの意図に気づいた。
「……俺に奢れって?」
「おおっ、さすがハト! よっ、太っ腹!」
……なんとも調子のいい奴だ。
眩暈を覚えた俺は、思わず目を瞑ってこめかみを押さえた。
そして、ふぅっと息を吐き出し、目を開ける。
「……1プレイだけだぞ」
しんとした空間に、俺の声だけが響く。しかし、ユウの返答はない。
「ユウ? ……おい、ユウ!?」
そこでようやく俺は、異常を感じた。
ユウだけではない。道路も、周りの家々も、道端に立つ電信柱も、全てが姿を消していたのだ。
周囲にあるのは、黒。
気づけば、俺を囲うように、巨大な黒い箱状のものが展開されていた。
そしていつの間にか俺の目の前には――『コインを入れてください』という白文字の明滅するモニターと大型機器が鎮座していたのだ。
「……何がどうなってんだ?」
呆然として呟く。
目の前にある、ゲームの筐体らしき機械。
確かにゲームセンターの話はしていたが、まだ道半ばだったはずだ。そんなのは思い返すまでもない。
そして不思議なことに、俺が今いるこの場所には、どうやら出口となるものが存在していないようなのだ。押せども叩いても、何の反応もない。ユウも、他の誰かの姿もなく、俺一人。
「なんなんだ……」
なにがしかの反応を期待するならば、目の前にあるゲームだが、そんなことを悠長にやっている場合ではない。
――しかし。
状況に困惑することしかできず、俺はただただモニターに明滅する文字を見つめた。
チカチカと点灯する白文字。浮かんでは消え、消えては浮かぶ。明るい緑色を背景に、モニターの表示されるのは変わらず、『コインを入れてください』という一文。
ゲームタイトルもなければ、操作するレバーもボタンもない。説明も操作方法の紙もなく、あるのは、モニターとコインの投入口のみ。
この状況もそうだが、それに負けず劣らず、この筐体も謎だった。
どのくらいそうしていただろうか。数分、或いは数秒だったかもしれない。
変化は、突然にやってきた。
もはや何度目かも分からないほど、延々と明滅していた白文字。それが、ふっと消えたのだ。
再び浮かび上がることなく、残されたのは、背景である、緑色。
ん? とその変化に俺が思わず首を傾げた瞬間、不意にノイズが走ったかと思うと、画面が真っ黒に染められた。
白文字も、背景の明るい緑色も全て消失。一瞬、電源でも落ちたのか、と思ったが、それは違うとすぐに気づいた。電源が落ち、空虚となった画面よりも更に黒く、漆黒へと染まっていたからだ。
――そして画面に現れたものを見て、俺はゾッとした。
モニターには、たった一行。こう書いてあったのだ。
まるで底のない穴を思わせる、真っ黒な背景。その中央、気味の悪い赤文字で、たった一言。
――『コインヲイレロ』。