風鈴蕎麦
なろうラジオ大賞7への応募です。1000文字。
江戸の寒い夜に風鈴が鳴る。
風鈴を吊り下げた屋台を担いで蕎麦を売り歩く、風鈴蕎麦だ。
屋台の前後の荷箱には蕎麦や器の他に火鉢も備えているので、寒い夜でも温かい蕎麦を提供できる。
弥助はそんな屋台を担ぐ蕎麦売りであり、風鈴の音で客は集まるので無口な弥助には丁度良かった。
そんなある夜。
「こんばんは。蕎麦を一杯くださいな」
柔らかな声音に呼び止められた。
振り向いた先には丸顔で垂れ目な若い娘。
しかし今は夜更けであり、若い娘が独り歩きするような時刻ではなく、となれば物の怪か……と思いながら弥助は娘の頭を見た。
木の葉が乗っている。
顔を見れば、丸顔で垂れ目なところはどこか……そう、狸に似ていた。
「あの、私、前に貴方様に助けて頂いたことがあって、それでお礼と、蕎麦を食べたくて……」
娘の話を聞いた弥助は、猫に追いかけられていた狸を助けた事を思い出した。
だがしかし渡された蕎麦のお代は本物なので客は客だと思い、棚から器を取り蕎麦と熱いつゆを注ぐと具も乗せてから渡した。
「ありがとうございます」
娘は顔を輝かせるとさっそく蕎麦を食べた。
「熱っ!」
熱々のつゆを飲んだ瞬間、丸みのある耳が飛び出した。
明らかに狸だったが、弥助は無口なので何も言わず風鈴の音だけが響いた。
「ふぅ、ふぅ」
娘は息を吹きかけながら小気味いい音をたてて蕎麦を食べ、つゆまで全て飲み干すと、丸い頬を赤くして「美味しかったです」と言って帰っていった。
それからというもの娘はよく弥助の蕎麦を食べに来た。
毎回頭に木の葉を乗せ、美味しそうに蕎麦を食べる。
そんな夜が十をこえた頃。
「私をお嫁さんにしてください!」
娘はいつものように訪れると唐突にそう言った。
さすがの弥助も驚いたが、やはり無口な男なので口は閉じたまま、風鈴の音だけが響くのみ。
「山の向こうから縁談があって……でも私、貴方の事が好きなんです!」
娘は顔を真っ赤にしながらその心の内を叫んだ。
弥助は娘の頭に乗る木の葉を見つめた。
この娘は人間に化けた狸だ。
ときどき耳を出す狸。
しかし、寒い夜更けに姿を変えてまで食べに訪れ、つゆの一滴も残さず食べきり笑顔で美味しかったと言うのを、弥助は嬉しく思っていた。
自分が作った物を美味しかったと言ってくれることに、人間も狸も関係ない。
「末永くよろしく頼む」
風鈴ではなく弥助の声が返事をした。
娘の丸い顔に笑顔が浮かぶ。
「よろしくお願いします!」
ぴょこっと狸の耳が飛び出した。
他にお客さんがいないのは、無口な弥助の元に女性客が来たので気を利かせて二人きりにさせているためで、周囲にも狸とバレながらも見守られています^^
読んで頂きありがとうございました。




