第12話「identity――時から取り残された幽霊」 解けた封印——そして新しい仲間
稲葉先輩が幽霊…
妖怪たちと練習に明け暮れるグラウンド。なんかここでなら、そんなことがあってもいいような気もしないでもない。
亡くなられたのは事故、甲子園を賭けた決勝戦の前日。死んでも死にきれないよ、たぶん俺もそう思うだろう。まだ戦いたい、もっと野球がしたい。そんな思いが稲葉先輩を引き留めたのだとするなら。
「幽霊なんだろうな、おれは。事故に遭って、それは大変なことなんだろうと察した。なのに気がつけばなにごともなかったように無傷で巌蔵林業のそばに立っていた。ここで働けばいい、と巌蔵社長に言われて、何の疑問も持たずに巌蔵林業で仕事をして、仕事のあとは草野球に混じって。そして、誘われるままにBelievers に入って。でも、何年経ったんだろう、おれはほとんど歳とっていなくてさ。まるで時に取り残されたみたいに。」
つきん、と胸の奥が痛んだ。周りは変わっていく。でも自分は?と、時に取り残されたような気がする時はたぶん誰にでもあるんじゃないかな。でも、ただ感覚じゃなくて実際に時に取り残されるとしたら、それは。
「夢叶ったはずなんだよ、プロ入り出来て。憧れた甲子園でこそないけれど、俺はユニフォームを着てベンチに入る。グラウンドに立つ。土のにおいがする、風を感じる場所にいて、それなのに……何かが、足りなくて……」
言葉の途中から声が遠くなるようだった。稲葉先輩の姿がすぅっと薄れて、向こう側の景色が透けて見えるような気がする。
「先輩!! 」
なんでだかわからないけれど、俺は大急ぎで、手に持っていたグラブを稲葉先輩に手渡していた。先輩はこのまま消えちゃダメだ!
先輩がグラブを手にしたその瞬間、薄れかけていた稲葉先輩の姿はリアルさを取り戻した。そして、グラブを胸に抱えて泣き出した。
「高橋ぃ~…… 急にメンバーが欠けて大変だったはずなのに、お前。三浦、田中、川村、南……みんなごめん、おれも闘いたかったよ、一緒に」
絞り出すような涙声、そこから先はただ嗚咽。もしかしたら、稲葉先輩のグラブには決勝戦まで一緒に戦った仲間の思いが、思い出が宿っていたのかもしれない。グラブを持っている俺が今日ここにいて、校歌を歌って、そして稲葉先輩と出会った。どれが偶然で、どこからどこまでが誰かの思いが紡いだ縁なのか。でも、俺には稲葉先輩の周りに先輩が高校生だった頃のチームメイトがいて、肩を叩いたり話しかけたりして慰めている姿が見えるような気がしたんだよな。
「稲葉は自分で封印を解いたな。鍵になったのはあのグラブか」
急にそばから声がして、俺は飛び上がった。
に、饒速視さん⁉ 心臓に悪いよ。いつの間に来て、どの辺から見てたんだよ。妖怪チームメイトとの付き合いでだいぶ慣れた気はしていたけどさ、饒速視さんのはちょっとレベチな神出鬼没っぷりだから。
「よかった、ホッとしたよ。真田大成、お手柄だ。」
「えっ、評点プラスつきます?」
「おいおい、調子に乗るな」
「すんませぇん」
饒速視さんは喉の奥で小さく笑うと話し始めた。さっきの軽口とは違う表情になって。 饒速視さんの声には、何か深いものが宿っていた。 俺は、思わず息を呑んだ。
「稲葉はな、野球への強い思いを持っていた。死を超えて魂を繋ぎ留めるほどに強い思いをな。しかし、その思いには後悔や未練も色濃くて、あれはその負の念に縛られて思うように動くことができなくなっていたのだ。」
不意に風が凪ぐ。言葉の重みに風が気遣ったようだ。
後悔や未練、分かるよ。どっちに行ったらいいのか、分からなくなって絶望感で動けなくなる気がすることもある。苦しいよな。それに押しつぶされる人もいるくらいの重圧だ。
「甲子園出場に値する技術と思いの強さ、そして熱、あまりに惜しい。見るに見かねて後悔や未練に繋がる記憶を封印してやったのだが、それは失敗だったよ。記憶は後悔や未練だけでなく野球への思いや熱とも強く紐づけられていたようだ。そう気付いた時には封印は外からは触れないようになってしまっていた。あのままでは稲葉はいずれ消えてしまっただろう、成仏するとか上がるとかではなく……」
稲葉先輩の姿が薄れたような気がしたあの時、それは…… ああ、間に合ってよかった。俺は小さく息をついた。
失くしかけていた大切なもの、伝えられなかった思い。それが時を超えて通じ合った… 稲葉先輩のあの涙声はそこに繋がっていたんだろう。
でも、妖怪シンキングなんだろうな~。未練や後悔に縛られるからって、あっさりそこに繋がる記憶を封印しちゃうってのは。
……いや、違うか。 人間だって、あれさえなければって短絡すること、あるもんな。 でも、そうやって切り離した記憶の先に、 本当は何か大事なものが繋がってたのかもしれないって、 気づくのはいつも、ずっと後になってからなんだ。
記憶ってのは一本の線じゃない。幅広くて果てしないもんで、それがどこに繋がるかわからない複雑さもあるものでさ、一字消しみたいにピンポイントで処理できるものじゃない気がするよ、やっぱり。
ひとしきり泣いて、どうやら落ち着いたらしい稲葉先輩は、ふぅ、と息をついた後、右手のひらで涙をぬぐって一度空を見上げた。それから柔らかい笑顔になってこっちを向いた。
饒速視さんに
「ご心配をおかけしました」
って一礼した後で、俺にも
「これからもよろしくな」
って言ってくれたよ。左手ではグラブを大切に抱きしめたままで。
そして、また風が静かに吹いた。
to be continued




