偽りに、本気を混ぜないで
昼休みの図書室。光の差し込む静かな空間で、白瀬柚月は読みかけの本を手にしたまま、ページをめくることなくぼんやりとしていた。
心の奥がざわついている。
このところの湊との距離が、なんだか「契約」の一言では片づけられなくなっているからだ。
名前で呼ばれたあの日から。
彼の言葉が、態度が、すこしずつ胸を占めていく。
(……これって、何?)
自分の気持ちが分からない。
ただ一つ言えるのは、恋人役のはずなのに、心が追いつかないくらい、本気に近づいているということ。
そんなとき――その椅子の隣に、ひそやかに腰かける影があった。
「ねえ、白瀬さん」
聞き慣れた柔らかい声。
それは日向瑠衣だった。
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誰もいない図書室の奥で、二人は静かに向き合っていた。
柚月は本を閉じ、向けられる視線から目を逸らさなかった。
「どうしたの? こんなところで」
「んー……ちょっとだけ、本音タイム。聞いてくれる?」
瑠衣はいつもの笑顔のまま、だがその裏にある鋭さを隠さず、こう告げた。
「湊のこと――好きなんだよね、白瀬さん」
「……っ」
一瞬、息が止まった。否定する言葉が喉元まで出かかったが、それを押しとどめた。
「……私は、ただの契約相手。好きとか、そういうのじゃないよ」
「ふーん。なら、ちょっと安心したかも」
くるくると指で髪を遊ばせながら、瑠衣は視線を外さず続ける。
「でもね、あいつ、本気にならないよ。……昔からそうなの。誰かを好きになる時、いつも代わりを求めてる。理想の誰か、満たせない何か、過去の誰か。そういうものを埋めるために、誰かを選ぶの」
淡々と、しかし確信を持って放たれる言葉に、柚月の胸がぎゅうっと締めつけられた。
「あなたも、ただの代わりかもね。だから、本気で好きにならない方がいいよ」
「……」
笑顔のまま立ち上がる瑠衣。
「ごめんね。ちょっと意地悪だったかも。でも、私――まだ、あいつのこと好きだから。譲れないんだ」
足音が遠ざかっていく。
柚月は立ち上がれなかった。
その言葉が、あまりにも核心を突いていたから。
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その日の帰り道。
柚月は昇降口で湊と鉢合わせた。
「お。おつかれ、生徒会長」
「……うん。おつかれ」
いつも通りの調子。
けれど自分の声だけ、妙にかすれて聞こえた。
「なあ、今日って――」
「湊」
遮るように名前を呼ぶ。
そして、絞り出すように言った。
「私たちって、あくまで契約関係だよね」
湊の目がわずかに見開かれる。
「……ああ、そうだな。お互いに都合がいいだけの」
「だから、勘違いとかしないでね。私も、本気じゃないから。全部、演技……嘘だから」
自分の心が壊れそうになる音がした。
なのに、そのまま柚月はくるりと背を向けて、昇降口を出ていこうとした。
演技。契約。本気じゃない。
言葉の一つひとつが、胸に突き刺さって離れない。
分かってたつもりだった。
最初から、これはごっこ遊びだと。
でも。
「……くそ、なんでだよ」
知らないうちに、期待していたのかもしれない。
彼女が、少しでも自分を「本気」で見てくれるかもしれないと。
裏チャットが震えた。
【Yuzuki】:今日のこと、いろいろごめん。
【Minato】:ああ。俺も、悪かったな。
【Yuzuki】:……また明日、生徒会室で。
また明日。
その言葉が、こんなにも遠く感じたのは初めてだった。