嘘から始まる放課後
放課後の教室は、ひと気がまばらだった。
陽が傾くにつれて、教室の隅に影が伸びる。その影の中、白瀬柚月はそっと椅子に腰掛けていた。
隣の席には、当然のように黒川湊がいる。
「……まだ、慣れないな。こうして話すのも」
「そりゃそうだ。もともと話す関係じゃなかったし」
湊は机に肘をつきながら、無造作に柚月を見やる。
「でもさ、ちょっとは慣れたんじゃないか? 恋人っぽいってやつに」
「……自分で言ってて、恥ずかしくないの?」
「んー。ちょっとだけ」
その飄々とした態度に、柚月はため息をつくしかなかった。
とはいえ、こうして話すのももう三日目。周囲はすっかり「黒川くんと白瀬会長は付き合ってるらしい」という雰囲気になっている。
イチャイチャ演出は、主に湊のせいだった。
廊下で急に手を握る。
購買で「こっちのパンにしろよ。お前、すぐ血糖値下がるし」と選ぶ。
彼氏ヅラがうますぎる。
演技とは思えないほど自然で、柚月自身、うっかり笑ってしまいそうになる瞬間すらある。
(……バカみたい。私、何してるんだろ)
それでも、彼の視線には妙な安心感があった。演技で繕う自分を、なぜか否定しない。
そんなある日。
「……今日、家帰っても誰もいないんだ」
湊がぽつりと呟いたのは、校門を出たところだった。
「母親が出張で、家まだ家具もそろってなくてさ。コンビニ飯も飽きた」
「……それ、私にどうしろと?」
「今日、夕飯作れる?」
唐突すぎて、足が止まった。
「……バイト入ってないなら、だけど」
「うち、惣菜屋よ?」
「だからちょうどいいじゃん」
満面の笑み。子犬のような無防備さ。断る理由を失った柚月は、仕方なく頷いた。
「……うちで食べるだけよ。変な期待しないで」
「はいはい」
白瀬家は、古びた木造の二階建てだった。
玄関に入ると、ふわりと出汁の香りが漂ってくる。土間には弟の靴が転がっていた。
「ただいま、奏いる?」
「姉ちゃん! ……あっ」
リビングに顔を出した弟――中学二年の白瀬奏は、湊を見て目を丸くした。
「だ、誰!? え、彼氏!? 本物の彼氏!?」
「違う、落ち着け!」
「彼氏でーす、よろしく。兄ってことでいい?」
「調子乗るな!」
柚月がツッコむ横で、湊はなぜか奏と意気投合していた。テレビゲームを始めるまで、時間はかからなかった。
「姉ちゃん、こんなイケメンと付き合ってたのか~。騙された~」
「だから違うってば!」
料理をしながら、柚月は思った。
(どうしてこんなに……自然なんだろう)
嘘の関係のはずなのに。
夕飯――豚の生姜焼きと野菜の煮物を囲みながら、三人で笑った。
「うまっ。これ惣菜屋レベルじゃないだろ。家庭の味ってやつ?」
「姉ちゃん、料理は昔から得意なんだよ」
「そうなのか……なんか、すげぇな。家でも学校でも完璧とか」
「別に、そんなことないよ」
ぽろりと、言葉がこぼれた。
湊と目が合う。彼は、笑わなかった。
「……知ってるよ。お前、無理してんの。全部自分で抱え込んで」
その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられた。
(やめて。そんなふうに優しくしないで)
でも、それ以上言葉が出てこなかった。
湊が帰ったあと。
柚月のスマホが鳴った。
《夕飯、ありがとな》
《普通のカップルって、あんな感じなのかなって思った……ちょっとだけ》
画面を見つめながら、柚月はふと電池残量に気づく。
『13%』
ああ、そうだ――このスマホ、そろそろ限界なのだ。
買い替える余裕なんて、どこにもない。
完璧な生徒会長なんて、張りぼてみたいなもの。
でも。
(あの人だけには、少しだけ……見せてもいいのかもしれない)
打ちかけた返信を途中でやめて、柚月はそっと画面を閉じた。
嘘から始まった放課後。
けれど、それはどこか、本当に近い温度をしていた。