第42話 演技の基本
「声優」と言うお仕事の存在を知らなかった女子高生が声優を目指して奮闘する、笑いあり涙ありの……いえ、ほとんど笑いだらけの楽しい青春ストーリーです。
声優の井上喜久子さんが実名で登場しますが、ご本人と所属事務所のアネモネさんには快く承諾をいただきました! ありがとうございます!!
第1話と第2話を井上さんに朗読していただきましたが、このたび第16話と17話も、朗読していただきました!
朗読を聞くには下のURLをコピペして飛んでください!
謎の対談も、聞いていただけると幸いです(笑)
https://x.gd/9kgir
更新情報はXで!「@dinagiga」「@seitsuku」
『さて今回は、演技の基本である感情表現について、いくつかの例を聞いてもらおうと思います』
放課後のアニ研部室に、声優・井上喜久子の声が響いていた。
もちろん、本物の生井上ではない。ラジオノむさしのプロデューサー、城島からアニ研に届いた音声ファイル『声優入門』の一節だ。
今日は、新学期最初の“放課後だよ全員集合! アニ研みんなで声優レッスン”の日なのである。
「感情表現かぁ、なんだか難しそう」
雫が不安そうな声を漏らす。
その隣で、結芽が右手の指を折り始めた。
「ひとつ、ふたつ――」
「それは“勘定する”のかんじょう!」
凛の突っ込みは相変わらず素早い。
「ガタンゴトン」
「それはぐるぐる回る電車の環状線!」
「それなら数えなくていい」
「どういうこと!?」
「勘定せん」
「うきーっ!」
相変わらずの会話を繰り広げる二人を見ながら、英樹はちょっと感心していた。
高千穂さん、感情表現豊かだよなぁ。
一方の雫は、二人の声が全く耳に入っていないように、井上喜久子の声に聞き入っている。
『感情こそ、人間の基本ですよね。動物にも、もちろん感情はありますが人間ほど明確な表現はないでしょう。もちろん「怒り」や「喜び」といった単純な感情は動物にもあります。ですが「笑う」「感動する」などの、人間独特の感情が「人」を「人」にしていると言えるのかもしれません』
「雫、大丈夫?」
額にじんわりと汗が浮かんでいる雫を心配するように、凛が声をかけた。
「ごめん、今話しかけないで。喜久子さんの言葉を理解するのに必死だから!」
こっちは真面目だぁ。
雫を見つめながら、英樹はそう思っていた。
『言い換えると、人間は「感情」を伝えることで社会を作りあげているのです。ですが、私たち声優のテクニックとして、作品の中で「物」や「動物」に感情を与えることもできます。“擬人化”です。そうすることで、人間以外にも命を吹き込むことが可能です。なので、私達“演技”をする者は、そんな人間の基本である「感情表現」をしっかりと理解し、マスターすることが必要と言えるのです』
雫がくるりと凛に顔を向ける。
「凛ちゃん!」
「な、なに?」
「声優ってすごい!」
「今!?」
凛の驚きに、雫が苦笑する。
「ずっとすごいとは思ってたけど、言葉でしっかり説明されたら、なるほど!って」
「そんな声優に、雫もなるんでしょ?」
「う、うん」
「じゃ、みんなでしっかりレッスンするべし!」
凛の言葉に、結芽がうなづく。
「夜は寝るべし!」
「いやいや、私そんなこと言ってないから! レッスンするべし! だっつーの!」
だが、凛の突っ込みとは違い、アニ研部長の姫奈と平部員の英樹はうんうんとうなづいている。
「部長? すわっち?」
姫奈が白い歯をキラリと輝かせ、ニヤリと笑った。
「桜田さん、実はしっかりアニメを勉強しているのね、と思って」
「うん、ボクもそう思った」
目を丸くして首をかしげる凛。
「どういうこと?」
「『夜は寝るべし』って言うのは、昭和の白黒アニメの名作に登場する有名な台詞なのよ」
「桜田さん、よく知ってるね。ボクらアニ研は、部活動としてアニメの歴史を勉強してるけど、普通はこんな古い作品は観てないよ」
結芽が再び、大きくうなづく。
「みんな観るでやんす」
その言葉に、英樹が嬉しそうな笑顔になった。
「やっぱり、ちゃんと観てるんだね!」
「サブスクは天国」
結芽もニヤリと笑う。
彼女が言った“夜は寝るべし”は、1969年にテレビアニメ化された赤塚不二夫原作の漫画『もーれつア太郎』に登場する名台詞だ。野原で主人公たちを見守る“原っぱ三人衆”の一人、カエルの“べし”がボソリと言ったのが“夜は寝るべし”。非常に落ち着いていて、どこか悟りを開いたように『○○するべし』と言う口調が、当時子供たちの間で大流行した。赤塚不二夫が大好きだった黒澤明監督の映画『七人の侍』に登場する村の長老のセリフ『やるべし』が元になっているのはあまり知られていない。
ちなみに“原っぱ三人衆”の残りは“猫のニャロメ”と“毛虫のケムンパス”。そしてケムンパスの台詞がいつも『○○でやんす』であるため、結芽は『もーれつア太郎』をちゃんと観ていると、英樹は確信したのである。
『同じセリフでも、それを言うキャラクターの感情によって、様々な表現が可能となります。いくつか聞いてもらいますね』
井上の講義が続く。
ゴクリと、雫がつばを飲み下す音が聞こえた。
『晴れてる。雨は降りそうもないな』
何の感情も感じられない、淡々とした言葉だ。
『この台詞ですが、旅行に出かける朝、晴れていてとっても嬉しいなら……、晴れてる! 雨は降りそうもないな!』
それまで騒がしかった部室に沈黙が降りた。
その場の全員が息を呑み、井上の声が聞こえる凛のスマホを見つめている。
『大嫌いなマラソン大会の朝、ちょっとガッカリしてなら……、晴れてる……雨は降りそうもないなぁ……』
雫の目が大きく見開かれた。
「凛ちゃん……すごい」
「うん……」
その場の誰もが同じ気持ちになっていた。
声優の演技によって、同じ台詞がこんなにも違って聞こえるのかと。
それからの井上の演技は本当にすごかった。
様々なパターンの台詞を、二つの違った状況で演じる。すると、その言葉を発したキャラクターの感情が、雫たちにもハッキリと伝わってくるのだ。声優が演じることで台本に書かれた台詞に命を吹き込む、というのは、まさにこのことなのだと。
『どうして教えてくれなかったんだ? もっと早く聞いていれば、僕にも何かできたかもしれないのに』
[状況A]親友だと信じていた友達が隠し事をしていた
[状況B]母がずっと隠していた病気がひどく悪化したことに気付いた
『君がいたから……何もかも、君がいたからなんだ』
[状況A]愛する人がいてくれたから頑張って受験に合格できた
[状況B]悪い不良友達とのつきあいがバレて就職に失敗した
『あ、流れ星。あの星は、どこに落ちて行くんだろう?』
[状況A]空のキレイな山の上で感動した
[状況B]事故で失った親友の顔を思い出した
『うまい。こんなにうまい料理、生まれて初めて食べたよ』
[状況A]恋人の手料理がとてもおいしくてびっくりした
[状況B]妹の手料理があまりに不味くて皮肉たっぷりに
井上が台詞を発するたびに、全く違った情景がありありと浮かんでくる。
それまで、雫の中で漠然とした憧れだった声優という職業が、彼女にとって明確な人生の目標となった瞬間であった。
ついに雫たちが、本格的な声優レッスンに突入しました。
今回だけでなく今後も、私が専門学校用に書き下ろした声優学科の教科書から、本当に役立つレッスンを盛り込んでいく予定ですのでお楽しみに!




