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第32話 エアコン戦争勃発

挿絵(By みてみん)

「声優」と言うお仕事の存在を知らなかった女子高生が声優を目指して奮闘する、笑いあり涙ありの……いえ、ほとんど笑いだらけの楽しい青春ストーリーです。

声優の井上喜久子さんが実名で登場しますが、ご本人と所属事務所のアネモネさんには快く承諾をいただきました! ありがとうございます!!

第1話と第2話を井上さんに朗読していただきましたが、このたび第16話と17話も、朗読していただきました!

朗読を聞くには下のURLをコピペして飛んでください!

謎の対談も、聞いていただけると幸いです(笑)

https://x.gd/9kgir

更新情報はXで!「@dinagiga」「@seitsuku」

 秋である。

 だがここ数日の東京は、まるで季節の神がカレンダーの遅れに気づき、慌てて帳尻を合わせたかのような気温に襲われていた。何日か前までの汗ばむ日を嘲笑うかのように、冷たい北風が街を吹き抜けている。それは、秋の訪れを告げる涼やかな風ではない。いきなり肌を突き刺し、体の芯まで冷えきってしまうような、冬の気配そのものだ。

 秋はいなかったのである。

 あれほど待ち望んだ穏やかな日差しも、空を高く彩るうろこ雲も、金木犀の甘く切ない香りも、すべてが省略された。木々は、鮮やかな赤や黄色に染まる猶予さえ与えられず、いきなり吹く北風に、まだ緑の残る葉や枝を揺らされている。

“ピッ”

 都立武蔵原高校アニメ研究会の部室に、リモコンの操作音が響いた。

「なんでこんなに急に寒くなるの?」

 そう言いながら、雫が暖房のスイッチをオンにしたのである。

 東京の都立高校では、エアコンの導入が進んでいる。普通教室では設置率100%を誇り、音楽室やパソコン室などの特別教室で九割以上、体育館や武道場、トレーニングルームなどでさえ、設置率六割を超えている。

 雫たちの通う都立武蔵原高校では、2003年に行われた校舎の新築や改修により、教室だけでなく体育館その他、授業で使用する全ての部屋へのエアコンの設置が完了していた。

「雫、温度上げすぎ!」

 そう言うと凛は雫からリモコンを取り上げ、教室の後方に設置されたエアコンに向ける。

“ピピッ”

「凛ちゃん、それじゃ寒いよぉ」

「雫が寒がりすぎるんだよ!」

「凛ちゃん、暑がりすぎ!」

 この光景は、雫と凛の教室で、春の終わり頃からずっと繰り広げられてきた。

 もちろんその頃は今とは逆で、冷房の設定温度だったのだが。

 アニ研部長の姫奈が、パンパンと手を叩く。

「はいはい、エアコン戦争はもうそのぐらいにしなさい」

 雫がすがるような目を姫奈に向ける。

「でも部長ぉ」

 その時結芽が、雫と凛にニヤリとした笑顔を向けた。

 やはり最近お気に入りの表情のようだ。

 胸ポケットから顔を覗かせているぬいぐるみの口も、結芽同様にニヤリとしている。もちろん、結芽自身が右手でぐいっとトカゲの口角を上げているのだが。

「わたしにいいアイデアがある」

「結芽ちゃん、ホント!?」

「結芽! 早く聞かせて!」

 雫と凛が、興味津々に結芽に詰め寄った。

「雫はもっと着て、凛は脱げばいい」

 はあっと、同時にため息をつく雫と凛。

「教室の中なんだから、コートとか着たくないよぉ」

「私に脱げと言うのか!? 結芽のエッチ、スケッチ、ワンタッチ!」

 雫が疑問の顔を凛に向けるのと同時に、麗華がいつも抱えている大きな本をめくり始める。

「凛ちゃん、今の何?」

 だが答えたのは麗華だ。

「エッチ、スケッチ、ワンタッチは、昭和の時代、主に60年代から70年代頃に広まった、子供たちの言葉遊び。語感の面白さから、当時流行語にもなった。意味としては “ちょっとエッチなことを冗談めかして言うときの決まり文句”といったところ」

「ふへ〜」

 雫から、感心したような不思議な声が漏れた。

「今となっては、その初出が何であるかハッキリとはしていないが、当時の漫画やバラエティー番組で多用された」

「8時だよ全員集合?」

 そう聞いた雫に、凛が首をかしげる。

「うーん、よく覚えてないけど、お父さんのビデオで見た気がする」

「高千穂さんって、お父さんのビデオ、よく見てるんだね」

 アニ研平部員の英樹である。

「うん、私がオタクになったのも、お父さんの影響だからね!」

「お父さんの?」

「そう! ウチにはお父さんが録画した昔のテレビのビデオテープが5000本ぐらいあるのだよ! しかもベータなのだ!」

 その場の皆が驚きの声をあげた。

「5000本!?」

 だが、同時に叫んだ雫だけは違っていた。

「ベータ!?」

 再び麗華が巨大な本をめくる。

「ベータマックス、昔使われていたビデオデッキのことですわ。VHSよりもカセットが小さかったと書かれています」

 雫が疑問に思うのも無理はない。彼女たちが生まれた頃には、すでにDVDやブルーレイディスクが主流になっており、家庭用ビデオデッキはほぼ消滅していた。

「よく分からないけど、DVDとか、ハードディスクレコーダーみたいなものでしょ?」

“ピッ”

 そう言いながら雫は、こっそりとエアコンの設定温度を上げた。

「雫! 今温度上げたでしょ!?」

「てへぺろ」

 雫がぺろりと舌を出した。

「あ! 雫、ちゃんと覚えたんだ!」

「うん、凛ちゃんだけじゃなくて、井上喜久子さんも言ってたから」

 嬉しそうに笑顔になる雫。

「雫、本当にきっこさんのこと好きだよね。でも、ごまかされないよ!」

 そう言うと凛は、雫からリモコンをもぎ取った。

“ピピッ”

 姫奈が再び、パンパンと手を叩く。

「だから、エアコン戦争はもうそのぐらいにしなさいって!」

「でも部長ぉ」

 悲しげな目を向ける雫を無視して、姫奈が皆を見渡した。

「今日みんなに集まってもらったのは、大切な報告があるからなの! いつまでも2人でジャレてないで、私の話を聞きなさい!」

「がってん承知の助!」

 凛のその言葉に、再び本をめくろうとした麗華を姫奈が手を伸ばして制する。

「昭和のギャグはもういいから! これを見て!」

 そう言った姫奈の手に、一冊のファイルが握られていた。

「部長、それ、なんすか?」

 凛のその言葉に答えて、姫奈が満面の笑みを浮かべる。

「“ハチドリのひとしずく”の台本が完成したのよ!」

 その瞬間、満面の笑みがその場の全員に広がっていた。

姫奈「“ハチドリのひとしずく”の台本が完成したのよ!」

ついに声優部の活動が本格スタートです!

実は私も凛と同じく暑がりなので、ついエアコンの設定温度を下げてしまいます(笑)

今回のお話を書くために、東京都立高校のエアコン事情を調べたのですが

設置率ほぼ100%って……いい時代ですね。

でも、夏がここまで暑くなった今、必須かもしれません。

では、次回をお楽しみに!

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