第12話 四人の漂流者
「声優」と言うお仕事の存在を知らなかった女子高生が声優を目指して奮闘する、笑いあり涙ありの……いえ、ほとんど笑いだらけの楽しい青春ストーリーです。
声優の井上喜久子さんが実名で登場しますが、ご本人と所属事務所のアネモネさんには快く承諾をいただきました! ありがとうございます!!
そしてなんと! 第一話と第二話を井上さんに朗読していただきました。
朗読を聞くには下のURLをコピペして飛んでください!
https://x.gd/9kgir
更新情報は私のXで!「@dinagiga」
部室のドアを激しく揺らした「たのもー!」という声は、まるで静寂に包まれた湖に投げ込まれた巨石のように、アニメ研究会の空気を一変させた。ドアの向こう側で繰り広げられる、どこかコミカルで、それでいて真剣味を帯びた珍妙な会話劇。姫奈と英樹は、ただ呆然と顔を見合わせるしかなかった。
「部長……いったい誰でしょう? まさか道場破り……?」
英樹が不安げに眉をひそめる。
その言葉にちょっと呆れ顔になる姫奈。
「何言ってるのよ、ここ道場じゃないでしょ」
「あ、そっか」
苦笑する英樹。
だが、この廃部寸前の弱小文化部に、いったい誰が訪ねてきたのだろう? しかもやって来たのは、何やら元気そうな女子たちのようである。
しかし姫奈の表情は、不安げに扉を見つめる英樹とは対照的だ。先程までの沈んだ空気はどこへやら、彼女の瞳には好奇心、そしてかすかな期待の色が浮かんでいる。
「今の聞いたでしょ、諏訪くん!」
「今のって……『頼もう! それがし、隣町の、なんとか』ってやつですか?」
「そう。あの演技、まるで声優みたいだった。特に、あの声の響きは……ただ者じゃないかもしれないわ」
姫奈の目は、完全にアニメの登場人物を分析する時のそれに切り替わっていた。
確かに、と英樹も納得する。ふざけているようで、発声や口調には妙な説得力がある。扉で隔たれているというのに、しっかりとその内容が聞き取れるのだ。いったい何者なのか?
二人が固唾を飲んで見守っていると、おずおずと、しかし確かな手つきでドアノブが回り始めた。ギィ、と年季の入った音を立てて扉が開かれる。
そこに立っていたのは、どうやら一年生らしい四人の少女だった。
あまりにも個性的な四人組の登場に、姫奈と英樹は完全に言葉を失った。
正体も目的も、全く想像できない少女たちである。
「あの、突然すいません。こちら、アニメ研究会で合ってますか?」
最初に口を開いたのは、先頭に立っていた真面目そうな少女――雫だった。その丁寧な口調に、姫奈はハッと我に返った。
「え、ええ。そうだけど……何か用かしら?」
努めて冷静に、部長としての威厳を保とうとするが、声が少し上ずってしまう。
その時、雫の隣にいた凛が、ぐいっと前に乗り出してきた。
「実は、ちょっとお聞きしたいことがあって! 私たち、声優さんについて調べてるんです!」
「声優……?」
姫奈と英樹の目が、ふっと安心の色をたたえた。“声優”という、二人にとっては馴染み深い単語の登場に、警戒心が少しだけ解けたのだ。
そんな二人に、雫がこれまでの経緯を説明し始めた。
「はい。放送部や、演劇部にもお話を聞きに行ったんですけど、発声練習とか、舞台での演技のことは教えてもらえても、アニメのアフレコとか、声優さんのお仕事について、詳しくは分からないって言われてしまって……」
その言葉に、凛が力強く続く。
「アニメを研究してるんでしょ? ここなら、声優のこと、詳しく分かりますよね! どんな演技をするのかとか、どうやったらなれるのかとか!」
真っ直ぐな期待を込めた瞳が、姫奈に突き刺さる。その純粋な眼差しに、姫奈は思わずたじろいだ。
「えっと、それは……」
彼女たちの熱意に応えたい気持ちと、アニ研の実態とのギャップに、言葉に詰まってしまう。
「ごめんなさい。あのね……私たちアニ研は、アニメ作品や、もちろん声優さんの演技も含めて、それを『愛でる』というか、『鑑賞』することを主軸に活動している部なの。だから、演技についてとかどうすればなれるか、みたいな専門的なことには、あまり詳しくないかもしれないわ……」
姫奈が申し訳なさそうにそう告げると、凛は「えーっ!」と大げさに肩を落とした。
「それじゃあ、アニメ研究会じゃなくて、アニメ鑑賞会じゃないですか! 略してアニ鑑!」
凛の的を射た、しかし少し失礼なツッコミに、英樹は「うっ」と胸を押さえる。事実であるだけに、反論のしようがない。
すると、それまで静かだった結芽が、ボソリとつぶやいた。
「カニ缶」
その唐突な一言に、部室の空気が一瞬、静止する。
凛がすかさず「違うわよ!」とツッコミを入れるより早く、麗華が優雅に口を開いた。
「最高級のカニ缶は、身が詰まっていて、それはそれは美味ですわ。特に、タラバガニの脚肉だけを詰めたものは絶品ですのよ」
「うん、キクラゲもそう言ってる」
結芽は、胸ポケットに刺さったトカゲのぬいぐるみの頭をナデナデしながら、こくりと頷いてみせた。
「ええーっ!? そいつカニ食うの!? トカゲってカニの殻割ったりできなそー!」
「カニ缶に殻は無い」
「あ、確かに!」
そう言ってケラケラと笑う凛。結芽は相変わらずキクラゲを撫でながらうなづいている。
目の前で繰り広げられる、怒涛のボケとツッコミの応酬。姫奈と英樹は、ただただ圧倒されていた。いつもは二人きりで、静かに、時に熱く、アニメを語り合うだけのこの空間が、まるでコメディアニメのワンシーンのように、めまぐるしく表情を変えていく。
重く沈んでいた空気が、彼女たちの存在そのものによって、かき混ぜられ、浄化されていくような感覚。姫奈は、この喧騒が、不思議と心地よいと感じている自分に気づいた。
(この子たちかもしれない……)
姫奈の脳裏に、稲妻のようなひらめきが走った。廃部まであと三カ月。必要な新入部員は、あと三人。目の前には、よく分からない熱意と、そして何より強烈な個性を持った少女たちが四人もいる。これを奇跡と言わずして、何と言うのか。
「ねえ、あなたたち」
姫奈は、意を決して話を切り出した。その声には、先程までの弱々しさはなく、確固たる意志が宿っていた。
「声優の件について話す前に、ちょっと聞いておきたいんだけど……」
「はい、何ですか?」
雫が、きょとんとした顔で姫奈を見る。
姫奈は、まっすぐに四人の瞳を見つめ返し、はっきりと告げた。
「あなたたち、このアニメ研究会に、入る気はない?」
それは、廃部の危機に瀕した部長による、魂の勧誘だった。隣で英樹が「ごくり」と喉を鳴らすのが聞こえる。
頼む、入ってくれ。
せめて、前向きに検討してくれ。
彼の祈るような視線が、少女たちに注がれる。
しかし、その切実な願いは、雫の申し訳なさそうな一言によって、あっさりと打ち砕かれた。
「すいません。私たち、アニ研には入れないんです……」
「ど、どうして!?」
思わず姫奈が身を乗り出す。
理由が分からない。
声優に興味があるなら、アニメ研究会は決して無関係な場所ではないはずだ。
姫奈の悲痛な問いかけに、雫は困ったように眉を下げた。
「なんて言ったらいいのか……私たち、声優さんについて知りたくて、まだ漂流してるみたいな感じなので……」
その曖昧な、しかし切実な言葉に、姫奈と英樹は返す言葉を見つけられない。
まだ目標が定まっていない自分たちが、確固たる目的を持つ「アニメ研究会」という器に収まるのは違う。この子は、そう言いたいのかもしれない。
「確かに、現在のわたくしたちは漂流していると言えるのかもしれません。雫さん、なかなかいい表現ですわ」
その麗華の言葉に、凛がパッと顔を上げた。
「じゃあ、私たちはドリフターズってことね!」
「ドリフターズ……」
結芽がひょいと、首をかしげる。
「全員集合する人?」
「違うけど、惜しい!」
凛がにやりと笑う。
ドリフターズの本来の意味は「流れ者」「漂流者」ではあるが、特に日本では音楽バンドでありコントグループの「ザ・ドリフターズ」を指すことが多い。全員集合するのは、まさにそのドリフターズだ。ちなみにその集合時間は8時である。
「私たちは、声優という名の新大陸を目指す漂流者! 時には嵐に巻き込まれ、時には巨大なクラーケンに襲われ、それでも諦めずにオールを漕ぎ続けるのよ!」
いきなり始まった寸劇に、麗華が優雅に続く。
「あらあら、それなら食料の調達はわたくしにお任せくださいな。この海域では、良質なプランクトンやオキアミが豊富に採れると聞いておりますわ!」
「キクラゲはカニがいいと言ってる」
「大海原にカニ缶は無いって! ていうか、麗華も普通に魚とかにしといてよ!」
またしても始まった怒涛のやりとりに、姫奈は呆然としながらも一つの考えに至っていた。
漂流している? 目的が定まっていない?
そんなことはない。彼女たちは「声優について知りたい」という、誰よりも明確で、熱い羅針盤を持っているじゃないか。ただ、その針が指し示す港が見つかっていないだけで。
その時だった。
「じゃあ」
ツッコミの嵐を終えた凛が、まるで簡単な問題を解くかのように、あっけらかんと言ったのだ。
「放送部も演劇部も、それにアニ研もダメなら、私達で声優部、作っちゃえばいいんじゃない?」
その一言は、先程までの喧騒が嘘だったかのように、部室の空気を静まり返らせた。
姫奈と英樹の動きが、ピタリと止まる。
「部長、今……」
「聞いたわ、諏訪くん……」
二人は、まるで示し合わせたかのように、ゆっくりと顔を見合わせた。その瞳には、信じられないものを見たかのような驚きと、探し物を見つけたかのような確信が宿っていた。
姫奈は、雫たちに向き直ると、決意を固めた表情で口を開いた。
「あなたたち、ちょっと待ってて」
そう言うや否や、姫奈は部室の奥、古びたスチールラックへと足を向けた。英樹も、何かを察したようにその後を追う。二人は、山積みになった過去のアニメ雑誌や資料の中から、ひときわ年季の入った数冊のファイルを取り出した。表紙には黒いペンで「アニメ研究会活動記録」と書かれている。
ほこりを払いながら姫奈がページをめくっていく。パラパラと音を立てる紙の束。そして、あるページで、その手はぴたりと止まった。
「あった……!」
姫奈が指し示したそのページを、雫たちが恐る恐る覗き込む。
そこにファイルされていたのは、手書きでびっしりと活動内容が綴られた古い部誌だった。
確かにその文字は記されていた。
【活動報告:アニ研、声優部共同活動。自主制作アニメ・アフレコ大会の件】
「声優部……!」
凛が、驚きの声を上げる。
英樹が、興奮を隠しきれない様子で説明を加える。
「僕たちも、最近この部誌を見つけたばかりなんです。昔のアニ研は、声優部と一緒に色々と活動をやっていたみたいで……」
部誌には、当時の部員たちが熱心に発声練習に励む様子や、自分たちで描いたアニメーションに声を当てる「アフレコ大会」を学園祭で開催したことなどが、熱のこもった文章で綴られていた。
「以前はこの学校に、声優部があったんですね……」
雫は、食い入るように部誌を見つめている。
姫奈は、希望に満ちた声で、まっすぐに彼女たちを見つめた。
「私たちアニ研は、確かに今は『鑑賞』がメインよ。でも、それは、一緒に活動する仲間がいなかったから。この部室には、歴史がある。知識がある。そして、情熱を注ぎ込んできた先輩たちの魂が、まだここに眠ってる」
姫奈は、古い部誌をそっと胸に抱いた。
「漂流しているのなら、ここに港を作らない? ううん、違う。このアニ研を、あなたたちが乗る船にするの。そしてこの船に、声優部を作るのはどうかしら? アニ研の部員としてなら、もう一度ここで、声優部の歴史を動かせるかもしれないわ」
それは、もはや単なる勧誘ではなかった。
過去と未来を繋ぐ新たな物語の始まりを告げる、船出の合図である。
雫、凛、結芽、麗華。四人のドリフターズは、顔を見合わせる。その瞳には、困惑と、それ以上の好奇心と期待が、きらきらと輝いていた。廃部寸前だったアニメ研究会の部室に、確かに新しい風が吹き始めようとしていた。その風を、この船の帆はしっかりと受けとめることができるのだろうか? いよいよ雫たちの冒険の幕が切って落とされようとしていた。
書いていてカニ缶がめっちゃ食べたくなりました(笑)
ついに、過去に声優部が存在していたことが分かりました。
ということは、アニ研の過去の部誌には声優部についてもっと色んなことが書いてある?
ドキドキの次回をお楽しみに!
さて、そろそろキャラクターたちが揃い始めてきましたが、あなたの推しキャラは誰でしょう?
ひたむきな雫か、元気な凛か、天然の結芽か、それともお嬢様の麗華か? アニ研の二人?
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