第1話 小さなハチドリ
「声優」と言うお仕事の存在を知らなかった女子高生が声優を目指して奮闘する、笑いあり涙ありの……いえ、ほとんど笑いだらけの楽しい青春ストーリーです。
いきなり声優の井上喜久子さんが実名で登場しますが、ご本人と所属事務所のアネモネさんには快く承諾をいただきました! ありがとうございます!!
そしてなんと! 第一話と第二話を井上さんに朗読していただきました。
第一話を聞くには、下のURLをコピペして飛んでください!
https://www.youtube.com/watch?v=b9YQ400Dz58
「ボクはただ、自分にできることをしているだけだよ」
スピーカーから流れた小さなハチドリの言葉が、雫の心を捉えて離さなかった。
それはある春の日の昼休み、教室で母が作ってくれた弁当を食べている時だった。
お母さんの玉子焼き、ちょっと甘くて最高!
そう思いながら、少し焦げ目のついた黄色いひと切れを口に放り込んだその時、雫の耳にそのセリフが飛び込んできたのだ。
「ボクはただ、自分にできることをしているだけだよ」
あれ? 私、これ知ってる。
そう思った雫の脳裏に、鮮やかにその情景が浮かんでくる。
それは雫が小さい頃に大好きだった絵本の一節だ。
どうして今まで忘れていたのだろう?
あんなに大好きだったのに。
雫は自分の前に座って、彼女同様に弁当をもぐついている友人に勢いよく問いかけた。
「ねぇ!あれって何!?」
彼女の友人、凛は驚いたように一瞬身を引いた。
「あれって……どれ?」
「あれよ!今、教室のスピーカーから聞こえたあれ!」
凛が黒板の上辺りに取り付けられたスピーカーを見上げる。
「ああ、毎日やってるでしょ? 放送部の校内放送」
雫ががっと凛に詰め寄る。
「そうじゃなくて、今聞こえたでしょ!?ハチドリの言葉!」
「ハチドリ? ……ああ、オーディオ演劇のことかな?」
「オーディオ演劇!?」
「朗読って言えば、雫にも分かるよね?」
凛は、よしとひとつうなづくと説明を始めた。
「先輩に聞いたんだけど、お昼の放送でたまにやる朗読、結構人気なんだって。今流れたの、多分それだと思う」
「朗読……誰がやってるの?」
「普段は演劇部の人とか、放送部の部員さんみたい」
雫が首をかしげる。
「演劇部って、舞台とかでお芝居する部活じゃないの?」
凛が肩をすくめた。
「私もそんなに詳しくないからなぁ。でも……」
「でも?」
「さっきの朗読についてなら、ちょっと小耳に挟んだことがあるんだぁ」
雫がキョロキョロと、凛の耳を心配そうに見る。
「耳、はさんじゃったの? 大丈夫? 痛くない?」
「そういう意味じゃないって!」
再び首をかしげる雫。
「だから、先輩から情報を聞いたってこと!」
「情報?」
「うん!今日の朗読は、特別にプロの声優さんがやってくれるんだって!さっきの、多分その人じゃないかな?」
「声優、さん?」
凛が両手を腰に当て、少し得意げな笑顔を見せた。
「井上喜久子さんだよ!」
雫にとってこの日の昼休みは、一生忘れることのない特別なものになる。なぜならこの日の出来事が、彼女の人生を大きく変えることになるのだから。
その年は、春の訪れがほんの少し遅かった。
温暖化のためか、年々季節の変化が早くなり、ここ最近では卒業の季節に桜が咲くことも多くなっている。だが、今年の入学式は桜が満開だ。
都立武蔵原高等学校。
東京都武蔵野市吉祥寺にある男女共学の普通高校だ。
淡島雫は新入生である。
特に目立つこともない、どこにでもいる普通の高校生だ。他人に自慢できる取り柄や、のめり込む趣味も無い。もちろん高校デビューなんて考えたこともない。そんな彼女は、もちろん帰宅部である。
「雫ぅ!今日も一緒にお弁当食べよ!」
そう言いながら、自分の机を雫のそれに寄せて来る女生徒。
雫と同じクラスの同級生、高千穂凛だ。
たまたま雫と席が隣同士になったことで友人になった。だが彼女との出会いが、雫の人生をほんの少しだが変化させようとしていた。
凛は、オタクだったのである。
まさに雫とは正反対の人間だ。多趣味であり知識も豊富。全方向に張り巡らせたアンテナで、様々な情報をキャッチする。そんな彼女のことをクラスメイトたちは「ハカセ」と呼んでいた。もちろん尊敬の念もあるが、呆れの感情も含まれている。つまり、クラスの友人たちは「引いている」のだ。
そんな凛が、雫に向かってドヤ顔で言い放ったのである。
「井上喜久子さんだよ!」
どうしてドヤ顔?
でも、凛が自慢げに言うってことは、きっとすごい人なんだろう。
「えっと……そうなんだ」
「ええーっ!? 雫、きっこさんのこと知らないの!?」
恐る恐る小さくうなづく雫。
「きっこさんのことなら私みたいなオタクじゃなくても、みんな知ってるよ!」
凛が教室を見渡し、皆に聞こえるように言う。
「ね!」
多くの生徒たちが、うんうんと大きくうなづいている。
丁度その時、朗読が終わってトークに入っていた校内放送からさっきのセリフと同じ声が聞こえた。
「井上喜久子、17歳です!」
すると教室の生徒たち数人が立ち上がり、右手の平を振って同時に言ったのである。
「おい!おい!」
そして返ってくる優しい返事。
「はいはい」
その言葉を聞いた生徒たちは皆、安心したかのように再び腰を降ろした。
「ほらね!みんな知ってるでしょ?」
凛が優しく微笑む。
「演劇の人?」
「声優さんだよ」
「声優、さん?」
雫が首をかしげる。
「もしかして雫、声優って仕事、知らないの?」
「うん」
そう答えた雫だったが、その心中には「声優」と言う言葉が大きく広がり始めていた。
「ボクはただ、自分にできることをしているだけだよ」
さっき聞いたハチドリのセリフも、同時に大きく響いている。
なぜかずっと忘れていたもの。
自分にとって、とても大事だったものを蘇らせてくれた声。
幼い頃に見た絵本の内容が、あたかも現実の出来事だったかのようにさえ感じさせてくれた声。
雫が突然立ち上がる。
「私、会ってみたい!」
そう言うと、そのまま教室を飛び出すように駆け出した。
どんな人なんだろう?
声優ってどんな仕事なんだろう?
走る雫の胸中に、何か湧き上がるようなドキドキが広がっている。
「雫!ちょっと待ってよ!」
凛も雫を追って走り出していた。