第46話 言葉にできぬ想い①
首都の王宮跡地が新政庁として生まれ変わり、革命後の新体制が少しずつ軌道に乗り始めても、パルメリア・コレットは相変わらず激務のまっただ中にいる。
かつては血塗られた廊下を軍靴の音が響いていた場所も、今では薄暗いランプの明かりの下、官吏たちが書類をやり取りする光景に変わっている。旧王室や貴族の豪奢な装飾は撤去され、公共施設として再利用されている部屋が増えていた。
パルメリアが執務室で書類に目を通していると、控えめなノックが扉を叩く。夜も更けた時間だが、彼女は驚きもせず短く応じた。
「入って」
扉の向こうから姿を見せたのは、内務・治安維持担当として活躍するユリウス・ヴァレス。かつて革命派のリーダーとして体制打倒に燃えた彼は今、新たな政権を支える重責を担っている。
ランプの揺れる光が二人の距離を照らし出すと、ユリウスはどこかためらいがちに口を開いた。
「こんな夜分にすまない、パルメリア。どうしても話したいことがあって……」
パルメリアは軽く微笑んで書類を机に置く。
かつて体制を壊すことだけを考えていたユリウスが、今では国を建て直すために奔走している。その変化をパルメリアは嬉しく思い、同時に彼自身の内面にも大きな変化が生まれているのを感じていた。
ユリウスが部屋の中央まで進み出ると、パルメリアは椅子から腰を浮かせ、ゆったりとした動作で彼を迎える。夜の静寂が二人のあいだに広がり、廊下のざわめきは遠のいている。
ユリウスはかすかな呼吸を整えながら、声を落として言った。
「俺はずっと、体制を壊すことこそ正義だと思っていた。腐敗を潰すには、それが最も早い道だと……。だけど、君と出会って、共に戦ううちに気づいたんだ。壊すだけじゃ、何も生まれないって」
ガブリエルやレイナーとは異なる、ユリウス特有の熱がこもった声。革命派を率いてきた意志の強さをたたえつつ、今は新たな時代を築こうとする意識が宿っている。
パルメリアはそっとまぶたを伏せ、彼の言葉に耳を傾けた。彼女も同じように、破壊だけではなく創造の必要性を痛感し、戦火のなかで幾多の選択を迫られてきたからだ。
「だから、今の俺は『作る』ために力を注いでいる。革命派だった仲間たちも、いろいろな形で新体制を支えてくれている。……それは全部、君が俺たちに教えてくれたことでもあるんだよ」
ユリウスの瞳は、かつてパルメリアが初めて会ったときの鋭い光ではなく、深く燃えるような情熱を帯びていた。壊すだけではなく、国を変えるという大義を抱いてきた結果、彼はかつての破壊衝動を克服し、建設的な行動へと進化しているのだ。
その姿に、パルメリアはほっと安堵を覚える。
「あなたがそう思ってくれるのは嬉しいわ。実際、ユリウスがいなければ、民衆をここまで動かすことはできなかったと思う。体制打倒だけでなく、今は再建のために尽力してくれる――私も本当に助かっている」
するとユリウスは、苦笑しながらもかすかに視線を横にそらした。
「そう言ってくれるのはありがたい。……でも、それだけじゃないんだ。俺は……」
彼の言葉は、どこかで詰まる。パルメリアは首を傾げ、さらに続きを促すように待つ。いつになく口ごもるユリウスの様子を見て、胸が少しだけ高鳴るのを感じる。
革命のさなかに見せた強さと情熱――それとは別の、「一人の男性」としての感情が、今まさににじみ出ているような気がした。
ユリウスは一歩だけパルメリアに近づき、ランプの光が作る影の中で唇を引き結ぶ。彼の瞳がかすかに揺れ、次の言葉を探すかのように沈黙が落ちる。
深夜の執務室は広いわりに、現在はほとんどが簡素な家具と書棚だけ。二人の立つ空間は妙に広々としていて、まるで互いを際立たせるステージのように感じられた。
「俺は……君の大義に共鳴して、革命を成し遂げるために全力を尽くしてきた。でも、それだけじゃない。君と過ごすうちに、俺は……俺自身が、君に惹かれていたって気づかされたんだ」
はっきりした「告白」というほどでもないが、ユリウスが口にする「惹かれた」という言葉には明確な恋愛感情がこもっていた。
パルメリアはわずかに目を見開いて息を飲む。革命後、彼が建設的な政治へ目を向けていることは感じていたが、まさかそれがこんな形で告げられるとは予想していなかった。
「あなた……」
声を絞り出しながら、パルメリアは戸惑いと嬉しさと、何とも言えない複雑な感情が渦巻くのを感じる。
ユリウスはあくまで誠実な瞳を向けているが、その視線の奥にはかつての過激な情熱が形を変えて潜んでいる。彼の生き方は「破壊」から「創造」へと軸を移したとはいえ、その本質的な熱量は変わらないのだ。
「言葉にできるほど整理はついてない。だから、うまく伝えられない。でも、俺は君の隣にいたい。いつか……君が少しでも心を許せる日が来るなら、俺を見てほしいんだ」
パルメリアの胸が小さく波打つ。彼女にはすでに責務という大きな鎖があり、さらに言うなら恋愛に関してはレイナーやロデリックとのフラグもある。国の安定を優先すべきと頭では理解していても、こうして強い想いを受け止めると、さすがに動揺を隠せない。
だが、同時に彼女はユリウスの進化を心から評価していた。革命を経て、破壊ではなく創造に目を向け、今や民のために奔走する彼の姿を、彼女は高く買っている。
(でも、私に応えられる余裕はまだないの……)
国という大きなものを背負った彼女にとって、一個人の想いに応じるには、まだ責務が重すぎる。自分を支えてくれる仲間たち全員への感謝と、国民の期待。大統領としての義務を果たし終えるまでは、私情に振り回されるわけにはいかない。
けれど――。
「ユリウス、あなたが今、こうして国を建てるために力を尽くしてくれるのは、私も本当に誇りに思ってる。あなたの情熱がなければ、多くの人が救われなかったかもしれない。だから……ありがとう」
パルメリアは一歩前へ進み、机の端に軽く手を置いて、ユリウスと向き合う。そして、かすかに困ったような笑みを浮かべたまま言葉を続けた。
「でも、私にはまだやるべきことが多すぎるの。国を安定させ、改革を広げて、みんなが平穏に暮らせるようになるまでは、個人的な想いに応えるには時間が足りないわ……」
ユリウスは予想していた答えなのか、苦笑混じりにうなずく。彼女を取り巻く状況はあまりにも大きい。今、恋の成就を急かしても、パルメリアの立場を崩すだけになってしまうかもしれない。
それでも、完全な拒絶ではないと感じられるだけ、ユリウスには希望が残されていた。
「……わかってる。俺自身も、まだまだ未熟だからな。今は国を創ることが最優先で、恋愛なんて贅沢なのかもしれない。けど、いつかきっと……」
そこまで言いかけて、ユリウスは言葉を飲み込む。彼の視線は、パルメリアの瞳を正面から捉え続けるが、彼女は静かに首を振り、言葉にしないままの気持ちを抱えさせているように思える。
まるで二人とも、互いの心に入り込む一歩手前で足を止めているかのようだった。
ランプの光がほのかに揺れ、執務室は二人きりの空間として時を止めたかのように感じられる。外ではまだ政庁の夜勤が動いており、遠くから静かな足音や、誰かが書類を扱うかすかな音が聞こえてくる。
パルメリアはそんな周囲の気配を意識しながら、国の重責と自分の内面との間に生じる矛盾を痛感した。国を背負う身としての公務は続くのに、彼女の心はなぜかユリウスの熱い眼差しに揺さぶられる。
(レイナーもまた私に想いを寄せているし、ロデリックとの間にも絆がある。私は彼らを利用しているだけ? それとも、本当に誰かを愛する余裕がないの?)
そう自問しても答えは見つからない。ただ一つ明確なのは、彼女がまだ「国」を最優先にしなくてはいけないということ。大統領としての責務を中途半端にするわけにはいかない。だから、「今はまだ答えを出せない」としか言いようがないのだ。
ユリウスもそれを十分に承知しているからこそ、強引に求めてはこない。破壊から創造へと向かう彼は、「相手の意思」を尊重する姿勢を身につけた。革命の炎に身を投じた男にしては、穏やかすぎるとも言えるが、それが今のユリウスの成長なのだとパルメリアは感じる。




