第44話 静かなひととき①
共和国が樹立されてから、国内の状況はようやく落ち着きを見せ始めていた。新政権の要職には、かつての革命の仲間たちが次々に就任し、パルメリア自身も初代大統領として日々多忙を極める。
旧王国の残党や闇商会の動きは依然として不穏だが、大規模な軍事衝突こそ回避され、少なくとも首都を中心とした国内の主要都市は再建へと歩みを進めている。通りには子どもたちの元気な声が戻り、壊された建物や家屋を修復する音が朝から晩まで響いていた。
そんな中、ようやく訪れた穏やかな夜――大統領執務室にも、戦時とは異なる静寂が流れていた。忙しい業務を終え、パルメリアは机上の最後の書類を片付けると、かすかに肩を落として息をつく。
新体制発足からすでに数か月。日々膨大な決裁や会議、外部との調整に追われ、前線で剣を振るっていた頃とは違う疲労感に包まれている。
だが、そこには希望の光も確かに見えていた。かつて「革命の狼煙」を上げた同志たちは誰もが要職で働き、国を少しずつ形作っている。教育制度の整備はクラリスが主導し、ユリウスは内務と治安に奮闘する。ガブリエルは国防軍を改革し、レイナーは新たな外交関係を築くべく奔走していた。
みんなが同じ方向を見つめている――そう感じられるだけで、パルメリアは何度でも立ち上がれる。彼女はそう自分に言い聞かせ、部屋の外へと続く廊下に静かに足を運んだ。
王宮跡を改装した大統領府は、かつての華美さこそ失ったが、それでも随所に貴族趣味の装飾が残っている。夜風に揺れるカーテンの奥、バルコニーへ続く扉を開けると、首都の遠くからかすかな明かりが見えた。
戦乱によって半ば焼け落ちた建物も多いが、人々はそこに仮設の商店や住居を作り、少しずつ灯りをともす。革命以前の雑踏や華やかさとは異なるが、今の彼女にはその小さな明かりが尊く思えた。
(こんな夜景が見られるようになるなんて、ほんの半年前は想像できなかった。あの頃は、ベルモント公爵との最終決戦のことで頭がいっぱいで……)
パルメリアは遠くを見渡しながら、闇夜に浮かぶ明かりに胸を痛める。多くの命と引き換えに手に入れた平和が、どうか長く続くように――そう祈るような心地だった。
すると、バルコニーの片隅に人の気配を感じる。闇に溶けこむように立っていたのは、ロデリックだった。王太子の地位を自ら捨て去り、いまやただの「ロデリック」として共和国に協力する身となっている。
「パルメリア……。すまない、驚かせたかな。少し風に当たりたくてここにいたんだ。昼間は執務室が騒がしくて、なかなかゆっくり外の空気を吸えなくてね」
ロデリックは控えめに微笑んで言葉を紡ぐ。その横顔には、以前の威厳に加え、どこか儚さも混じっていた。王位継承権を放棄したことで彼は多くを失ったが、一方で自由を得たとも言える。
パルメリアは苦笑しながらも、その声に安堵を感じていた。かつては彼の存在が、正直なところ複雑に映っていたから。王国の体制を支えるはずの人物でありながら、改革を望んでいた――まるで相反する立場に身を置くような矛盾を抱えていた彼は、何度も苦悩を口にできずに沈黙していた。
「驚いたわ……でも、あなたならここにいる気がした。最近はどう? 『ただの一市民』として働く日々に、慣れないことも多いんじゃないかしら」
パルメリアが軽く問いかけると、ロデリックは苦笑まじりに肩をすくめた。
「いや、正直言えば、まだ慣れないことばかりだ。偉そうに振る舞わないでいいのは楽だけど、自分の立ち位置がよくわからなくなる時もある。……けれど、こうして誰かに頭を下げられるより、対等に話してもらえるのは悪くない。むしろ今の方がずっと生きやすいくらいだよ」
以前の彼なら、「殿下」と呼ばれ、侍従に囲まれていた。何をするにも立場と周囲の目を気にしなければならず、心から本音を漏らす機会などほとんどなかったのだろう――パルメリアはその寂しさに思いを馳せる。
「そう、あなたは今、自由になった。王制の崩壊は多くの人にとって苦しい出来事でもあったけれど、あなたにとっては新しい人生の始まりでもある。……私も、こんな形で国を動かす日が来るなんて思ってもみなかった。革命は人を変えるわね」
パルメリアは夜風に髪を揺らしながら、闇の中にちらちらと光る街の明かりを指差す。
「見て。あの辺りは旧商業地区で、まだ瓦礫が山積みになっているけれど、そこに仮設の屋台が並んでいるのがわかるかしら? 民衆は、どんなに家が壊されても、こうやって必死に生きている。夜になっても灯りを消さず、小さな商売を続けているの。私は、彼らの頑張りを絶対に守りたいの。二度と誰かの都合で奪われることのないように」
かつて王室にいたロデリックは、言葉を飲み込むようにしばらく黙っていた。それは何か申し訳なさや後悔を噛み締めているようにも見える。だが、彼はすぐに目を上げ、しっかりとパルメリアを見つめた。
「パルメリア……。私は王太子として、あの腐敗を止めることができなかった。でも、君は本気で行動し、国全体を変えてしまった。……私にはそれが、尊敬の念とともに、どこか羨ましくも感じられるんだ。今さらかもしれないが、本当に、ありがとう」
その声には心からの敬意がにじんでいた。ロデリックの誇り高い姿が、こうして頭を下げる光景は、パルメリアにとっても感慨深い。かつては「保守派の中心かもしれない」と警戒していた相手が、いまは同じ理想の元に手を携えてくれる存在となったのだから。
「感謝なら、あなたにもさせてほしい。……あなたが最後まで、腐敗に屈しなかったから。ベルモント公爵が暗躍していた時、あなたが父王を説得しようと奔走してくれなかったら、あの王都突入はもっと多くの血が流れただろうし、もしかすると失敗していたかもしれない。私こそ、ありがとう」
二人の間には、かつてのような複雑な緊張感はなく、むしろ柔らかい空気が漂っていた。ロデリックはバルコニーの欄干に両手をつき、夜風を受けながら目を細める。
「君は、いま……幸せなのかい?」
ふいに投げかけられた問いに、パルメリアの胸は一瞬だけ痛む。国全体の再建に向けて毎日が嵐のようだし、仲間たちへの感謝とともに、いまだ決めかねている自分の感情もある。だが、答えは意外にもすんなり口をついて出た。
「そうね……幸せ、かもしれない。たしかに大変だし、思わぬところから攻撃や批判を受けることもある。でも、私はやりたいことをやれているし、支えてくれる仲間がいる。どんな苦難も、ひとりじゃないから乗り越えられる気がして……それって、幸福と呼んでいいんじゃないかしら?」
その言葉にロデリックは微笑み、まるで胸のつかえが下りたような表情を見せた。そして、別れ際、彼はほんの少しだけ距離を詰め、静かに言葉を紡ぐ。
「君がそんなふうに笑えるなら、それだけで私は救われる。……もし、これから先、君がどんな決断をしても、私は変わらず君を応援するよ。国のためだけじゃない。……君自身の幸せのために」
かつて王太子としての誇りと束縛に苦しんでいたロデリックが語る言葉には、純粋な愛情と尊敬が感じられた。パルメリアは顔を少しだけ赤くしながらも、照れを隠すように軽く微笑む。
「私にとって、あなたの存在は大きいわ……ありがとう。あなたのおかげで、どんな苦難も乗り越えられる気がする」
そう言葉を交わし合う二人は、静かな夜に包まれたまま、しばし黙り込む。心地よい沈黙がそこにあり、月の光がバルコニーを淡く照らしていた。
遠くの街の灯が瞬くなか、互いに向ける視線には、激動の時代を越えた者同士だからこそわかる尊敬と情愛が宿っている。
しかし、パルメリアはまだ明確な答えを形にできずにいた。新政府の政治に関する雑事は山ほどあるし、ユリウスやレイナー、ガブリエルの想いがあることも理解している。彼女の心は、多くの存在に揺れながらも、一方で大きな責任を背負っている自覚があるからだ。
(もう少し、こうして静かに話がしたい。けれど、明日はまた会議と視察が待っているし……恋愛について深く考えられるのは、まだ先になりそう)
何より、新国家を安定させるための議会が稼働し始めた今こそ、大統領としての彼女の働きが不可欠だ。パルメリアは内心の揺れをそっと胸にしまい込みながら、夜風を味方につけるように意識を向ける。
ロデリックはその様子を見守り、少し笑いながら一歩下がるように距離を取った。かつては貴族の子女として扱われていたパルメリアが、いまや「大統領」として誇り高く立つ姿を、彼は素直に美しいと思っている――だが、それを言葉にするには気後れがあるようだった。
「そろそろ戻るよ。パルメリアの邪魔をしてはいけないし……。また、時間があれば話をしたい。君の考えをもっと聞きたいから」
ロデリックがかすかに礼をしてバルコニーを後にしようとしたとき、パルメリアは短く「うん」と返すだけだった。けれど、その声は暖かな揺らぎを帯びていた。
二人の姿が離れていく瞬間、どちらも振り返りはしなかったが、同じ温かさを胸に抱えているのがわかる。打ち解けたとはいえ、互いに遠慮の隔たりがあるようにも感じる。しかし、それすらも今は「心地よい距離感」といえるかもしれない。
夜は深まり、王宮跡の大統領府には、警備兵たちの巡回する足音が響くのみ。月明かりに照らされた石畳は、かつての華やかな貴族趣味を思い出させるが、今はそれが逆に静かな安らぎを醸し出している。
パルメリアは少しだけ微笑みを浮かべ、そのまま執務室へと戻った。明日の会議に向けて準備を整えなくてはならない。何しろ、国の安定と発展のためにはあらゆる改革案を立案し、議会を通して実行していく必要があるのだ。
ロデリックと交わした短い会話は、彼女にとって一種の「ひとときの休息」だった。その温もりが心に染みる間にも、夜は静かに深く広がっていく。




