第42話 共和国大統領就任③
パルメリアが両腕を下ろし、集まった群衆を見下ろす。無数の顔がこちらに向き、口々に「大統領万歳!」と唱和し始める。その声は遠くまで響き渡り、戦争で疲弊していた街が一気に活気を取り戻すかのようだった。
「大統領……万歳……!」
そんな声を耳にするたび、パルメリアの胸には一抹の不思議な感覚が湧き上がる。自分が「公爵令嬢」だったころには、こんな瞬間が訪れるなど想像すらできなかった。
しかし、「大統領」という立場を得た今、これまで以上に責任は重くなり、失敗は許されない。もし道を誤れば、再び国が混乱に陥り、せっかく勝ち得た自由が失われてしまうからだ。
(決して独りよがりにならず、多くの人々と協力して、息の長い改革を続けなきゃ。私を信じてくれるみんなに報いなきゃいけない)
その思いが、彼女をさらに強くする。
ステージ脇ではユリウスが満足げにうなずき、「よくやったな、パルメリア」と小声で称賛する。レイナーは微笑を浮かべながらも、どこか寂しげなまなざしを向け、クラリスは議事録と記録をまとめるように筆を動かし続けている。ガブリエルは警護を続けつつ、安心したように小さく息をついていた。
ロデリックは後ろから「君こそ、この国を率いるにふさわしい。私はその背中をただ支えたいだけだ」と、少し切ない笑顔で見つめていた。
かくして、パルメリア・コレットは名実ともに「共和国」の初代大統領となり、この国を次の時代へ連れていく指導者となる。
就任式の後、祝福を受けている彼女のもとには、たくさんの人々が押し寄せる。握手を求める者、抱き合う者、涙ながらに「これまでありがとう」と叫ぶ者――それは、王の時代にはあり得なかった光景だった。
パルメリアは一人ひとりに応じて笑みを返し、時には言葉をかけ、時にはただ相手の存在を受け入れる。そこに上下関係はない。すべての人が「対等の仲間」なのだ。
大統領としての初仕事は山積みだ。議会に提出する法案、国内外の外交、大規模な復興予算の割り振り、識字教育や農業改革の具体的な計画、あるいは各地の治安安定化――考えれば考えるほど、やるべきことは増えていく。
だが、パルメリアは不思議と臆病になるどころか、前にも増して燃え上がるような意欲を感じていた。理由はシンプルだ。自分の信じる理想を、多くの仲間が共有してくれている。そして、彼女自身を想い、支えてくれる特別な存在たちまでいることが、何よりの力になっているからだ。
一人の女性としての感情を封じ込めてきたが、いつかは決着をつけなければいけない――その思いが胸の奥で静かに疼く。レイナー、ユリウス、ガブリエル、ロデリック……皆それぞれの形で、彼女に寄り添おうとしてくれている。
初代大統領としての使命と、恋する乙女としての揺れる心。その板挟みは続くのだろう。だが、今はまだ政治を優先せざるを得ない。自分の感情よりも、国の行く末が圧倒的に重いのだ。
(……いつか落ち着いたら、きっと自分の本心と向き合う余裕も出てくる。今はただ、目の前の改革を進める。それが、私に与えられた使命だから)
日が暮れ、就任式が終わった後も広場には余韻が残っていた。祝賀の行進が通りを駆け抜け、人々が歌を口ずさみ、踊る。夜空に星が瞬き始める頃には、今まで閉ざされていた未来へ向けた希望が、あちこちで芽吹いているのが見て取れた。
王都の街灯がともされるなか、パルメリアは仲間たちと共に、臨時政権の執務室へと戻った。そこには書類の山が彼女を出迎え、彼女も「さあ、やらなくちゃ」と笑みを浮かべて筆を握る。
この国にとって、いちばん大変なのは「王」を失ったあとの制度整備だ。大統領就任がゴールではなく、むしろ「ここからが始まり」だという自覚があるからこそ、彼女は一刻も早く法制度の形を固め、地方自治の枠組みを整え、教育や農業を全国に広めようとしている。
「パルメリア、少しは休んだら?」
レイナーが心配そうに声をかけるが、パルメリアは「大丈夫よ」と微笑んで頭を横に振る。そんなやり取りを横目に、ユリウスは「働き者め」と苦笑し、ガブリエルは主の健気な姿に敬意を深め、ロデリックは黙って机に書類を運んでいる。クラリスは相変わらず書紀役として動き回り、必要なデータを彼女の手元へ差し出していた。
翌朝、曙光が差し込む王都の街に、新しい一日が始まる。街角には早くも屋台が並び、人々が活気づいている。まだ問題は山積みであっても、悪政の重荷から解放されたことで、生活に光が射し始めているのが感じられる。
旧貴族の一部が反乱を起こす危険は残っているが、民衆の支持を受けた「共和国」の正統性が日増しに高まり、国内は徐々に安定へ向かおうとしている。
こうしてパルメリア・コレットは「共和国」の初代大統領に就任し、国全体を根本から変える壮大な旅路を歩み出した。
激しい革命を経た後の再建は、容易ではない。多くの人が家を失い、生活の糧を求めている。地方ではまだ混乱が続き、敵意を燃やす旧貴族や闇商人の暗躍もささやかれている。けれども彼女は、一人で抱え込むのではなく、議会や仲間、そして全国の市民と力を合わせて、その難局を乗り越えようとしていた。
「これは、私だけの革命じゃありません。皆さん自身の意志で選んだ道です。私に与えられた力は、その意志を叶えるためにあると考えています。決して私が全てを決めるわけではない。共に歩み続けましょう」
就任式の翌日、パルメリアは改めて議会でそう宣言し、各地との連携を急ぐ指示を出す。農業や教育の改革案、地方自治の拡充など、やるべき改革の優先順位をまとめ、早急に実行へ移すよう関係者を鼓舞する。
恋の行方は、まだわからない。彼女を想う人々も、その行方をじっと見守っている。けれど、いまやパルメリアは国家の中枢として「誰もが主役になれる社会」を作ることを最優先にしているのだ。
――広大な国土に散らばる廃墟や戦火の爪痕。それを復興し、再び実りのある土地へと変えていく努力は、おそらく何年も続くだろう。だが、ここに生きる全ての人々が、初めて「自分の意志」を政治に反映できるようになった。
そこには王の権威も貴族の特権も、もう存在しない。ただ、新たな体制を築こうとする人々の意志がある。パルメリアは「共和制」という旗を掲げ、多くの仲間と共に前を向く。
もはや誰にも、この革命の炎を消すことはできない。かつて「追放エンド」や「悪役令嬢」と呼ばれる運命を恐れていた少女は今、「大統領」という役職に立ち、より大きな希望と責任を背負っているのだから。
目の前には無数の困難が広がっているが、その向こうにこそ、新たな時代の夜明けが待っている――パルメリアはそう信じて、一歩ずつ歩みを進める。




