第42話 共和国大統領就任②
そして、ついに迎えた大統領就任式の日。
首都最大の広場には特設ステージが設けられ、人々がぎっしり詰めかけている。地方から駆けつけた農民、都市の商人、革命軍の兵士、貴族制度を捨てた穏健派の元領主、そして遠巻きに見守る旧貴族の末裔――人種も階級も混在する大群衆が、一斉にパルメリアの登場を待ちわびている。
陽光が照りつけ、戦禍から立ち直りきっていない建物の影が長く伸びる。広場には花や色とりどりの布が飾られ、飾り気のなかった王都が短期間で華やかな雰囲気を取り戻していた。
「いよいよか……」
控室でパルメリアは、深呼吸を繰り返しながら心を落ち着けようとしている。ここまでの流れは全て順調だった。圧倒的な支持を得て大統領に就任することが事実上確定し、仲間たちからも「おめでとう」と祝福を受けた。
しかし、この就任式は単なる祝賀イベントではない。全国民の前で正式に大統領として承認され、国家の建設を委任される。すなわち、革命を成功に導いた「英雄」が、いよいよ責任の重い「指導者」の座に立つのだ。
「大丈夫だよ、パルメリア。……君なら、必ずやり遂げられる」
そっと声をかけたのはレイナーだった。彼は幼い頃からの友人として、彼女の苦労や成長を傍で見続けてきたからこそ、その重圧を理解している。
パルメリアは軽く微笑み返し、緊張をほぐすように襟元を整えると、一度大きく息をついた。すると、ガブリエルが扉を開き、待機していた兵士が「準備が整いました」と伝えてくる。
自分の鼓動がひどく大きく感じられたが、パルメリアはもう後ろを振り返ることなく、ステージへ向かって足を踏み出す――多くの民衆の視線が一斉に刺さるのを感じながら。
ステージの上には簡素な演台と、いくつかの飾りが置かれているだけ。横には大きな横断幕が掲げられ、「新たなる時代へ」と大きく書かれていた。革命軍の旗もあり、建物の壁には臨時政府の紋章が掲示されている。
パルメリアが姿を現すと、広場からわき上がる歓声は雷鳴のように響き渡った。戦乱の苦しみや家族を失った悲しみ、それでもつかんだ自由への期待――あらゆる思いがこの瞬間に交錯しているかのような熱気が、街の空気を震わせる。
「皆さん、今日はこの場に集まっていただき、ありがとうございます」
パルメリアはまず、そう静かに語り始める。やがてマイクもスピーカーもないこの世界で、彼女の声が自然に広場を満たしていく。
観衆は息をひそめて聞き入り、途中で子どもが駆け回る気配さえも感じられないほどだ。王が存在しない今、パルメリアの言葉がどれだけ重大な意味を持つのか、誰もがわかっていた。
「私は……これまでに、貴族としての地位を捨て、王制をも否定し、皆さんと同じ場所で共に生きる道を選びました。血塗られた戦場を駆け、数え切れないほどの困難を乗り越え――そして、たくさんの犠牲も出してしまいました。けれど、その先にあるはずの未来を捨てることは、どうしてもできなかったのです」
スカートの裾を揺らしながら、彼女は一歩前へ進む。昔の貴族らしいドレスではなく、動きやすく端正な公的衣装を身につけている。
彼女の瞳は、広場を埋め尽くす市民の姿を捉えていた。農民、職人、商人、元貴族、革命軍の兵士、町娘、子ども、老人――あらゆる顔が、彼女に向けられている。
「いま私たちは、新しい国――『共和国』――を築こうとしています。王や貴族に頼らず、私たち一人ひとりがこの国の主人公になる。誰もが政治に参加し、互いの声を尊重し合う社会。そう、かつてこの国で想像もできなかった『対等』な関係を作ることが、私の……そしてみなさんの願いではないでしょうか」
群衆からは再び歓声と拍手が湧き上がり、一部では涙を流す者もいる。戦争と圧政の時代を経て、ようやく「自分たちが主役になれる」という発想に触れた衝撃と感動がそこにある。
パルメリアはしばらく拍手を待ち、静かに手をかざして制すると、声をさらに強めて続ける。
「私は、この国を生まれ変わらせるための責務を負います。そして、ここにいるみなさんにも、その責務を分かち合っていただきたい。私一人の力で変えられるほど簡単な道ではないのです。だからこそ、議会を通じ、選挙を通じ、それぞれの得意分野を通じて――みなさんにこの国の未来を支えていただきたい」
彼女の言葉には、単なる王制否定の空虚な叫びではなく、「一緒に歩もう」という温かい呼びかけが込められている。
隣で控えていたロデリックは、その姿に目を細めている。自分が果たせなかったこと――王太子として国を正しく導くこと――を、彼女は体現しているのだと感じて。
ユリウスは、革命派の血潮が煮えたぎるのを感じつつも、そこに「独裁」ではなく「共同体」を見て安堵を覚える。レイナーは幼馴染の成長に胸を熱くし、ガブリエルは騎士としての使命感を超えた感情をひそかに抱えていた。
クラリスは資料を抱えたまま、パルメリアが新体制の成立を宣言する瞬間を記録しようと懸命に筆を走らせている。
「私が大統領に就任することで、今までのように『誰か一人の特権』で国が動くのではないか――そんな不安を抱く方もいるでしょう。ですが、もうあの時代には戻りません。ここにいる議会の仲間たち、そして全国の市民が、その可能性を否定してくれます。みんなが声を上げ続ける限り、私が暴走すれば即座に止められる。独裁者には決してなれません」
笑いが少し起き、しかしすぐに真剣な拍手へと変わる。この演説は、ただ華やかな言葉を並べるのではなく、実際に人々が国づくりの主体になれるシステムを整備するという、具体的な希望を示しているのだ。
「互いに支え合って、生き生きと暮らせる社会を築きたい。貴族だから、農民だから、あるいは『出身がどこだから』という理由で差別される時代を終わらせます。……私一人ではありません。ここにいる全ての仲間とともに、みなさんを裏切らない国を作りあげていきましょう」
最後の言葉が響き渡ると同時に、広場を満たすのは大きなどよめきと歓声、それから割れんばかりの拍手だった。視界に映るあらゆる人々が、泣き笑いの表情を浮かべ、ある者は拳を突き上げ、またある者は抱き合って喜んでいる。
歴史的な瞬間――王がいない「共和国」の誕生を、彼らはこの目で見届けているのだ。




