第40話 王国の終焉②
しばらくの後、パルメリアは執務室として仮設された王宮の一室に戻り、地図や書類に目を通していた。そこにはクラリスをはじめ、ガブリエル、レイナー、ユリウスも集まっている。
部屋中に散乱する紙束には、地方での混乱、逃亡貴族の行方、復興に必要な物資の算段など、課題が山積みの報告が次々に記されていた。
「これを見る限り、現時点で王都周辺の秩序はだいぶ落ち着いてきたけれど、地方ではまだ反乱や暴動が続いています。無統治状態は長くは耐えられないわ」
クラリスが手元の資料をめくりながら告げると、レイナーは少し険しい表情で続きを促す。
「人々は王の存在が当たり前だったから、いきなり『王がいない』となると戸惑うのも当然だよね。緊急の議会を招集し、臨時政府を作るとかしないと……」
「ええ、ただ一朝一夕には作れないし、いろいろな階層の意見を反映させる仕組みが必要だわ。私たち革命軍だけで独裁みたいになっても同じことの繰り返しになる」
パルメリアは深く息をつき、視線をユリウスへ向ける。彼は革命派のリーダーとして、民衆の声を最もよく把握している。
「新体制を作るなら、農民や職人、労働者、そして地方の小貴族や商人たちの意見を公平に取り入れる必要がある。これが革命の本質だと俺は思っている」
ユリウスははっきりとそう言い切り、パルメリアもうなずく。
(これが大きな転換期だわ。腐敗を一掃したあと、どんな社会を築くのか――その全てが、今この瞬間にかかっている)
そのような重厚な政治議論のさなかでも、パルメリアにはふと心が揺れる瞬間があった。
――ユリウスが真剣な眼差しをこちらに向ける時、レイナーがさりげなく疲れを気遣ってくれる時、ガブリエルが音もなく隣に立って護衛を果たしてくれる時、そして先ほどのロデリックが王位を捨てる覚悟を語った瞬間……。どの場面を思い返しても、それぞれの想いが自分の胸をかすかに熱くするのを否定できない。
(こんな大切な時に、何を考えてるのかしら。でも……私は生身の人間で、彼らの真摯な表情を見れば、心が揺れないはずはない)
パルメリアは頭を振って意識を切り替え、書類をめくる。だが、その表情はわずかに紅潮しており、クラリスが微笑ましげにそれを横目で眺めていた。
「パルメリア様、さっきちょっと顔が赤かったように見えましたけど、大丈夫ですか? 無理はしないでくださいね」
クラリスはあくまでさりげなく声をかけるが、その言葉にドキリとしたパルメリアは、「そ、そうかしら……少し暑いだけよ」とそっぽを向く。政治の大事を前に、恋の感情は二の次――そう割り切ろうとする意志はあるが、それでも胸の奥に芽生えつつあるものを完全に無視するのは容易ではない。
(やるべきことが山ほどある。新体制を築くなんて、生半可な気持ちじゃ務まらない。恋愛なんて後回し……でも、あの人たちの思いを感じると……)
自問自答しながらも、彼女は前を向く。今は王国の行く末が何よりも大切――この気持ちに戸惑いを覚える自分を、今は受け入れるしかないのかもしれない。
こうして、革命後の王国は「王」を失った状態となった。保守派の貴族たちの一部が逃げ出し、地方では新たなパワーバランスを模索する動きが活発化している。
勝利を収めたパルメリア側は、すぐにでも臨時議会を開く準備を始め、国中から代表を集めて新体制の設立を宣言する計画を練る。
だが当然、その過程は容易ではない。互いに利害が衝突し、価値観が異なる者たちをどのようにまとめるのか――政治的な駆け引きの嵐が、これから始まるだろう。
「私たちが目指したのは、ひとりの独裁者を倒すことではなく、誰もが平等に参加できる社会を作ること。……だから、今こそ慎重に、でも強い意志を持って動かなくては」
パルメリアは地図を畳みながらそうつぶやき、集まった仲間たちを見渡す。
ガブリエルは騎士としての矜持を保ちつつ、新たな治安維持の仕組みを考案しようとしている。レイナーは地方との交渉や話し合いの場を作るべく、既存の下級貴族や商人を説得するために奔走している。クラリスは科学的見地からインフラや医療制度の再編に尽力し、ユリウスは全国的な民衆の支持を取り付けながら、改革を後押しする運動を繰り広げている。
それぞれが得意分野を持ち寄り、支え合う姿は、かつての古臭い貴族制とはまるで対照的な民主的な空気を醸し出していた。隣で見守るロデリックは、王太子を辞めた「ただの青年」として、彼らを手伝う道を模索している。
騒然とした王宮の中庭に出ると、朝日が登り始めた空に薄い雲が流れている。戦闘によって破壊された石畳の向こう側で、民衆が集まり、崩れた回廊の残骸を撤去し始めていた。
その光景を眺めながら、パルメリアは静かに胸に決意を刻む。王国の時代は、確かにここで終焉を迎えた。しかし、だからこそ今こそ理想を形にする絶好の機会。――前世から持ち込んだ知識や経験を最大限活用して、破滅しかけたこの土地に、新たな息吹をもたらしたいと願っている。
「さあ、忙しくなるわよ。今度は『国作り』の戦いよ――」
パルメリアの呼びかけに、仲間たちがそれぞれ笑顔を返す。誰もが疲労の色を隠せないが、その瞳にはこの国を生まれ変わらせるという揺るぎない意志が光っていた。
やるべきことは山積みで、改革の道のりは決して平坦ではない。それでも、彼女は一歩ずつ前に進むしかないと思っている。王太子だったロデリックも、その身分を捨ててまで新体制に協力したいと語り、ユリウスやレイナー、ガブリエル、クラリスと共に次の一手を議論し始めていた。
――こうして、王国は王を失い、一つの時代を幕引きしながら大きく変わろうとしている。
老王が退位し、王太子が王位を捨て、保守派の猛威を排除した今、国中の人々は混乱を抱えながらも新しい希望の光を探し求めている。そこに手を差し伸べるのは、パルメリアを中心とした仲間たち。
恋や友情といった思いが微妙に交錯する中で、彼女はリーダーとしての責任を背負い、改革を進める。それは血と犠牲を伴った革命の先に、誰もが笑って暮らせる世界を築くための第一歩。けれど、その歩みは険しく、周囲との軋轢を避けられないだろう。
空に昇る朝日を受けながら、パルメリアはほんの少しだけ微笑む。あの遠い前世では叶えられなかった「やり直し」が、いま確かな形で報われていくのだと感じたからだ。
彼女と仲間たちの物語は、ここからさらに大きく動き出す。王国の終焉――それは同時に、新たな政体と社会を築く「始まり」にすぎない。
(改革は、まだ道半ば。恋だって、どこに向かうかはわからない。だけど、一歩ずつ進むしかないの。もう、私は決して逃げないわ)
そう胸に誓いながら、彼女は仲間たちを振り返り、強くうなずく。全ての始まりはここから。かつての権威が崩れ去ったこの地に、確かに新しい息吹が芽生えつつあった。




