第39話 最終決戦②
謁見の間はすでに荒れていた。床には破損した調度品や壊れた花瓶の残骸が散らばり、壁にはところどころ剣戟の跡や黒ずんだ焼け焦げがついている。それでも部屋の奥には玉座があり、まばゆい装飾に囲まれている。
そして、その玉座の手前に立ちはだかったのが、ベルモント公爵であった。豪奢な礼服に染みついた血と泥が、壮麗な雰囲気を怪しく歪めている。彼は周囲に少数の兵を侍らせながら、こちらを睨みつけていた。
「お前たち……まさかここまで来るとはな。だが、まだ終わりではない。私はこの国の秩序を守るために、何としてもお前らの反逆を鎮圧してみせる!」
その声には怒りと絶望が入り混じっている。パルメリアは剣を構えたまま、公爵を見据える。
部屋の隅には、王太子ロデリックも倒れたような姿勢で座り込んでいた。どうやら取り押さえられ、身動きが取れない状態らしい。老いた国王が彼のそばにうずくまっている姿も見えたが、表情からは生気が失われているように感じられる。
「ベルモント公爵……もうやめるのよ。あなたが守っていたのは自分の地位と富だけ。国民を犠牲にしてまで権力を振りかざしてきた時点で、あなたに正義はない」
パルメリアが静かに言葉を投げかけると、公爵は唇を歪め、恨みがましい眼差しを向けてくる。
「正義……? そんなもの、支配する者にとっての都合のいい理屈でしかない! 私はこれまで、王国を安定させるために尽力してきたのだ。お前たちのような若輩が、何を言おうと……」
怒りと悔しさから、公爵の声が裏返る。だが、その瞬間、部屋の隅でうずくまっていた王太子ロデリックが、かすれた声で呼応した。
「ベルモント公爵……王国を安定させるというのなら、なぜ民を苦しめてまで、私腹を肥やし続けた……? あなたがやったのは秩序を守る行為などではない……父王を、そして国のあり方を、ゆがめただけだ……!」
そこには、王太子としての最後の意地とも言える気迫がにじんでいた。公爵は焦燥の表情を浮かべるが、すぐに短剣を抜き、玉座の前で構える。
「黙れ、坊主が……! 貴様らなど、私が葬ってやれば済む話だ!」
ベルモント公爵が短剣を手に突き進む。それを見て、一瞬だけパルメリアの部下たちが反応するが、公爵の動きは意外に俊敏だった。
公爵は最終的な破れかぶれの姿勢で突撃し、命を賭けた一撃をパルメリアの胸元へ狙う。だが、彼女もまた数多くの戦闘をくぐり抜けてきた。咄嗟に身をひねってその刺突をかわし、逆に公爵の腕を払って短剣を叩き落とす。
「貴方にはもう、逃げ場はない!」
パルメリアは剣を公爵の喉元に突きつけて言い放つ。公爵は転げるように膝をつき、後ずさる。眼前に突きつけられた冷たい刃先を目にして、狼狽を隠しきれない様子だった。
「くっ……私は、私は……!」
しかし、さらに追撃を加えようとする革命軍の兵を、パルメリアが制止する。
「そこまでよ。彼の罪を暴くのは私たちの役目だけれど、処罰を決めるのは新たな体制の下で行うべきこと。無益な血は流さないで」
その言葉にガブリエルやレイナー、そしてユリウスも同意し、公爵の兵たちも一様に武器を捨て降伏する。国王と王太子がいる以上、ここでこれ以上の暴力を振るう必要はないと判断したのだ。
部下たちに捕らえられたベルモント公爵が悔しげに顔を歪めたそのとき、王太子ロデリックが悲痛な面持ちで立ち上がる。
血と埃で汚れた衣服を整えながら、父である国王を支え、静かに謁見の間の中心まで進む。
王太子の瞳には迷いがあるものの、今こそ自分がなすべき行動を理解しているかのようだった。
「パルメリア・コレット……ありがとう。君のおかげで、この国はようやく腐敗の闇を暴き出すことができた。私がなすべきは――」
彼は視線を伏せて老王を見やり、その手をそっと支える。国王はすっかり気力を失っていたが、わずかにうなずくような仕草を見せる。
そして、ロデリックは民衆のもとへ歩み寄るかのように、玉座前の赤絨毯の上で宣言する。
「父上は……ここにて退位なさる。もはや、国を動かす意思も力も……残されてはいない。よって、私が新たな体制を整えることになると思っていた。……だが――」
ロデリックは言葉を切り、パルメリアをまっすぐ見つめる。
「君たちが主導してきた改革は、王位などという概念に囚われない、新しい国を作る大きな流れだ。もし、それが国民の多数の意思であるなら、私は王位を捨てることも厭わない。国をより良い方向へ導くために、私も力を尽くすつもりだ」
その言葉に、謁見の間の兵や革命軍の者たちがざわめく。王太子が実質的に王位を放棄する形になるのか、それとも新体制を築くのか――詳細はまだ不明確だが、ひとつだけはっきりしている。
既存の王家と貴族の権威は、ここにて瓦解する。
部屋の隅では、囚われの身となったベルモント公爵が悔しげに床を睨みつける。老王は沈黙のまま、ただロデリックの行動を受け止めるしかなかった。宮廷の華やぎも、美しい装飾も、今は崩れ落ちた城内の瓦礫と血の汚れにまみれている。
「これまでの体制が幕を下ろす瞬間」を、多くの者が感じていた。
パルメリアは深呼吸し、息を整えて仲間たちのほうへ視線を移す。ガブリエルは傷を負いながらも立っており、レイナーやユリウス、そしてクラリスらが集結して、彼女を支える形をとっていた。皆、泥や血にまみれているが、その目には確かな希望の光が宿っている。
「みんな……ここまで長かったわね。でも、これで一つの区切りがついた。あとは、この国を新しく作り直していくだけ……」
誰かが「パルメリア様、まだ残党が抵抗するかもしれません!」と声をかけるが、パルメリアは静かにうなずきながら微笑む。
「わかってる。まだ問題は山積みよ。廃墟となった王宮をどう立て直すのかも、これから考えなきゃならない。だけど……もう、二度と民衆を虐げる腐敗には負けないわ。今度こそ、私たち自身の手で運命を変えられるはず」
その言葉に呼応し、仲間の何人かが拳を握って掲げる。あたりには、革命軍の兵士たちや、王太子の周囲で動揺していた兵士たちまでもが、今後の行方を固唾を飲んで見守っていた。
謁見の間に漂う緊張感は、もはや過去の支配を象徴する重苦しさではない。激戦を経て勝ち得た勝利の気配と、新たな秩序が生まれる前の静かな余韻が入り混じった、不思議な空気だった。




