第35話 希望の灯火①
王国軍とコレット領の義勇軍が火ぶたを切って落とす戦乱は、否応なく領内の人々を巻き込み始めていた。
戦場へ向かう者がいる一方で、年老いた人や子ども、病人などは安全な場所へと避難し、当面の生活を送るための拠点を確保しなければならない。ところが、慣れない環境と混乱が重なり、避難所には不安と動揺が広がりやすい。
パルメリアは決戦に備えるだけでなく、そうした避難所を巡って人々を励まし、共に危機を乗り越えたいと考えていた。武器を手にするだけが戦いではない――それが彼女の信念だった。
朝も早い時間帯、まだ薄暗い光しか差し込まないなか、村の学舎が臨時の避難所として機能していた。もともとは子どもたちが学ぶ小さな校舎だったが、今ではあちこちに布団や荷物が並び、外部から逃れてきた人々が寄り添うように過ごしている。
広い廊下には、旅支度をした家族や年配者が行き交い、顔には疲労や戸惑いが色濃く表れていた。中庭では、義勇軍の一部が休息をとり、必要最低限の武器や物資を整理している。
空気のなかにあるのは、紛れもない不安の匂いだ。誰もが「いつここが戦場になるのか分からない」という恐れを抱え、行き先すら定まらないまま今を生きている。それでも、子どもたちは親から離れず、小さな手をしっかりと握り締めていた。
(私がやろうとしていることは、本当に人々を救うことにつながるの? 領地を戦場にしてまで、腐敗を断ち切る意味はあるの?)
パルメリアは心の奥底でそんな問いを抱えつつも、足を止めることはできなかった。この革命が成功しなければ、長年の搾取や歪みが続き、未来はさらに厳しいものになる――そう直感しているからだ。
疲れた様子の母親たちや幼子を横目で見ながら、彼女は改めて自分の立ち位置を再認識する。かつて「傲慢な令嬢」と揶揄されていた自分が、今や多くの人の信頼を得て、改革の旗印のように扱われている。皮肉な巡り合わせだが、それが現実でもあった。
学舎の一室に足を踏み入れると、簡素な板張りの床に古い毛布が敷かれ、そこに年長者や体の不自由な人たちが肩を寄せ合うように座っていた。
窓から漏れる朝日が弱々しく室内を照らし、背中を丸めた老人や、膝を抱える若い娘の姿が目に映る。誰もが言葉少なげで、疲れや空腹と戦いながら終わりの見えない不安に苛まれているようだった。
パルメリアはそっと近づき、床に膝をついて視線を合わせる。すると、一人の老人が気づいて声を上げる。
「パ……パルメリア様じゃないですか。こんなところまで……」
彼女は微笑を浮かべ、老人の手を軽く握った。
「ええ、あなた方の様子を見に来ました。今日はどんな具合です? 食糧は足りていますか?」
すると、老人のそばにいた細身の若者が「お恥ずかしながら、あまり食は豊富ではなく……ただ、義勇軍の方が分けてくださるのが助かっています」と苦笑交じりに答えた。
学舎の他の部屋にも同様に避難民が詰めており、物資が限られているのだろう。
「わかりました。早急に炊き出しの量を増やせるよう、私の方から指示を出します。医療班にも連絡して、負傷や病気の兆候がないか見回ってもらいましょう」
パルメリアがそう言うと、若者はほっとした表情で頭を下げる。その後ろで静かに身を縮めていた少女が、まるで小さな声を振り絞るように言った。
「戦いは……まだ、続くんですか?」
少女の瞳には、純粋な恐れと悲しみが混じり合っている。パルメリアはその視線をまっすぐ受け止めながら、心の中で苦い思いを噛みしめた。戦いを望んでいるわけではない。できれば一刻も早く平和が戻ってほしい――それは彼女自身の本音でもある。
「残念ながら、今は否定できません。でも、私たちがここで立ち止まってしまえば、もっと大きな危機に飲み込まれてしまう。だからこそ、踏みとどまる必要があるの」
穏やかながら力強い口調で返すと、少女は一瞬息をのんだが、やがて小さくうなずいた。もしかしたら、完全には納得しきれないかもしれない。それでも、パルメリアの言葉に揺るぎない意志を感じ取り、少女の瞳に一筋の希望が灯ったようにも見えた。
部屋を出ると、廊下で二人の主婦らしき女性が立ち話をしていた。小さな子どもを抱いたまま、いかにも疲れ切った様子だ。パルメリアが近寄ると、彼女たちは恐縮したようにぺこりと頭を下げる。
「お嬢様……ご迷惑をおかけしてすみません。私たちは戦う力もないのに、避難所にいるだけで……」
その言葉に、パルメリアは首を横に振った。
「そんなことはありません。ここで生活を支え合うことも戦いです。子どもを守ることも、食事を作ることも、道具を整えることも……すべてが戦いの一部です。あなた方がいなければ、負傷者の看護や補給だって上手くいきませんから」
女性たちは戸惑いを隠せない表情を浮かべながらも、その瞳には少しだけ光が差し込んだように見えた。
「わたしたちにも役に立てることがあるんですね……。少しでも負担を減らせるように、頑張ります!」
そう答えてくれた彼女たちの言葉が、パルメリアの胸に暖かな感覚をもたらす。戦場で剣を振るわずとも、互いに助け合いながら生き抜くことが、どれほど大切か――そうした意識が着実に広がりはじめていた。
続いてパルメリアは学舎の一角にある談話室へ向かった。ここは臨時の相談スペースとして使われており、義勇軍の副官や村長、商人などが連絡事項をまとめている。
部屋に入ると、地図や書類がテーブル一杯に広げられ、それを取り囲むように数名が真剣な顔で話し合っていた。中には「山道を封鎖するにはどうするか」「隣町からの物資がいつ届くのか」といった具体的な議題が飛び交っている。
パルメリアが姿を見せるや否や、その場の空気がかすかに張り詰まった。ある商人が小走りで近づいてきて、深々と頭を下げる。
「お嬢様、この先の戦いが長引くようであれば、市場の物資が不足する恐れがあります。輸送路が遮断されれば、パンや塩も手に入らなくなってしまうかもしれません……」
その声には恐怖と焦燥が入り混じっていた。経済が停滞すれば、多くの人が飢えに苦しむことになる。
パルメリアは商人の肩にそっと手を置き、できるだけ優しい声で諭すように言った。
「わかっています。だからこそ、輸送路を守るために地形を活かした防御や奇襲を考えているの。必要最小限の物資が確保されるよう、クラリスが兵站計画を立てています。焦らず、私たちを信じて待ってほしい」
商人は深いため息をつき、やや落ち着きを取り戻すと、「ありがとうございます」とつぶやいて奥へと戻っていく。
こうした相談や不安を一つひとつ受け止め、解決策を示していくことが、パルメリアの役割だった。戦場で直接剣を振るうだけが彼女の仕事ではない。民が持つ恐れや疑問に耳を傾け、そこに具体的な対応策を返し続けること――そこから生まれる安心感こそが、人々がこの非常事態を乗り越える大きな力になると考えていた。




