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第4話 再会の夕日①

 領地の視察を終えたパルメリア・コレットは、夕刻の空が美しく染まるころ、一行とともに馬車を走らせていた。まだ日没まではしばらくあるが、薄闇の気配が空に混ざり始めている。視察先の村では、荒れた畑や疲れ切った人々の姿を目にし、その現実の重みがパルメリアの胸に残り続けていた。


 その日の視察は朝から濃厚だった。村長や農民たちと直に言葉を交わし、荒廃の原因を探ろうとしても、ほとんどが「虫害」や「天候不順」、あるいは「課税が重い」といった断片的な話に終わる。公爵令嬢として華やかに生きてきたと思われているパルメリアが、こうした問題に突然興味を示すことは周囲にとっても戸惑いなのだろう。だが彼女には、破滅を回避するためにも領地を立て直す必要がある――そんな思いが強くあった。馬車の中での帰路、窓越しに見える夕日に照らされた景色は美しいが、先ほど目にした困窮の光景が脳裏から離れず、どこか心が落ち着かないままでいる。


 ふと、車窓をじっと見つめていたパルメリアが、小さく息を飲んだ。遠くの丘陵地帯で馬を駆る、一人の青年が視界に入ったのである。夕陽の斜光を受けて、青みを帯びた灰色の髪が淡く光り、長身のシルエットがどこか懐かしさを伴って浮かび上がっていた。


(あれは……誰だったかしら。なぜか胸がざわつく)


 パルメリアは、御者に合図を送って馬車を止めるよう指示した。同行していた侍女たちは不思議そうに首をかしげるが、令嬢の命令であれば従わないわけにはいかない。やや強めにブレーキをかけられた馬車が、きしむ音を立てて速度を落とし、やがて道の脇で完全に停止した。


 止まった馬車の中で、パルメリアは心の奥で別の思いを巡らせる。先ほどの青年の姿――あの柔らかな髪や立ち姿が、かすかな記憶を刺激するようだ。貴族社会には、あのような整った容姿を持つ青年も少なくないが、彼女の心にこれほど強い「懐かしさ」を呼び起こす者は多くはない。


 馬車を降りたパルメリアは、地面に足を着けながら夕暮れの冷たい風を一瞬感じた。遠くにいた青年も、こちらに気づいたのか馬の手綱を引いて、やや緩やかな坂になった道を駆け下りてくる。夕陽を背に受けたその姿が次第に近づくにつれ、彼女の胸がかすかに高鳴った。


 青年は馬を止めてから軽やかに降り立ち、控えめに息を整えると、ひと呼吸置いて穏やかに一礼した。パルメリアと視線が合うと、そこにはかすかな笑みが宿っている。どこか落ち着きと柔らかさを兼ね備えた彼の表情には、見覚えのある優しさがにじんでいた。


「お久しぶりです。いや、本当にずいぶん久しぶりだね、パルメリア」


 その声の響きはパルメリアの耳に特別な懐かしさとして届いた。思わず瞳を見開いた彼女は、相手の名を口にする前に、過去の記憶――それも幼き頃の映像が脳裏をかすめる。あの屋敷の庭で、花を摘んでは笑い合った記憶や、小川のほとりで泥まみれになったやんちゃな思い出。彼女はそれをゲームの設定として知っている部分と、パルメリアの幼少期の記憶とが混ざり合い、混乱しそうになる。


(レイナー・ブラント……! そうだ、ゲームの設定では隣の領地に生まれた下級貴族の次男坊で、かつてパルメリアと親しく遊んだ幼馴染だったっけ。今の私にとっては、この世界で数少ない過去を共有する存在……)


 パルメリアは静かに唇を動かし、確かめるように青年の名を呼んだ。


「あなた……レイナー……?」


 レイナーは穏やかな笑みを浮かべ、嬉しそうに目を細める。夕陽の橙色がその頬や髪を染め、やわらかい影を落としていた。


「覚えていてくれたんだね。正直、もう君は僕のことなんて忘れてしまったんじゃないかと思っていたよ」


 パルメリアは小さく息をのむ。確かに、彼女自身が「前のパルメリア」であれば、久しぶりに再会した幼馴染などどうでもいいと振る舞う可能性もあったかもしれない。だが今は異なる。ゲームの「設定」だけでなく、あくまでこの世界で生きる彼女として――変わらぬ笑顔で語りかけるレイナーの存在がどこか眩しく感じられる。


 レイナー・ブラント――彼は下級貴族ながら、かつてパルメリアと並んで花を摘み、庭で小さな冒険ごっこをした相手。あれからずいぶん時が流れ、彼は少年から青年へと成長し、髪色は青みがかった灰色を一層深みのあるシェードに変え、体つきも引き締まっている。パルメリアはその姿を改めてまじまじと見つめ、かすかな懐かしさと戸惑いを同時に噛み締める。


 そんな思いに気づいてか、レイナーは微苦笑を浮かべながら続けた。


「父が最近のコレット領を心配していてね。農村の荒廃が進んでいるって話は前々から耳にしていた。だから様子を見に来たんだ。……でも、まさか君が直接視察に出かけているとは思わなかったよ。昔は庭の外になんて興味を示さない子だっただろう?」


 言われてみればそうだったのかもしれない。少なくとも「かつてのパルメリア」は華やかな社交界にしか興味を持たず、領地経営などにはまったくの無関心だった――という話を彼女は断片的に聞いていた。しかし、今の彼女には破滅を回避し、領地を立て直す使命感がある。そうしなければ誰も救えないという危機感すら覚えているのだ。


 パルメリアはあえて冷ややかな口調を作り、その変化を悟られまいと振る舞う。半ば照れ隠しのように、そっけない言葉を返した。


「ええ、子どもの頃に一緒に花を摘んだ……確かにそんな記憶もあるわ。だけど、今は昔話をしている余裕なんてないの。見ての通り、領地の状況が酷いから」


 レイナーはその言葉を受け止め、静かにうなずく。もともとおっとりした性格なのか、彼はパルメリアの冷ややかな態度に動じるそぶりを見せず、むしろ優しい眼差しで応じた。


「そうだろうね。君が馬車で村を回っていたのを、少し離れた場所から見ていたんだ。真剣な表情をしていたから、下手に声をかけるのも気が引けた。……でも、こうして会えたのは嬉しい。君が何を思って視察に出ているのか、想像はつくけれど」


 パルメリアは言葉に詰まった。前世のゲーム上の関係性でいえば、レイナーは幼馴染でありながら、それほど物語の中心に絡むキャラクターではなかったはず。だが今の現実では、彼も同じように生きていて、コレット領の荒廃を案じ、こうして自ら足を運んでいる。彼女にとってはそれがどこか心強く、そして切ない。かつて一緒に笑い合った思い出を失っていない彼の姿が、夕陽のなかで一段と鮮明に映っているからだった。


 沈黙を破ったのはレイナーの柔らかな声だった。


「君が変わったと周りは噂している。……僕も昔の君を思い出すと、正直少し驚いたよ。でも、同時に安心している。昔から、弱い者を放っておけないところがあったはずだからね。君はそういう人だと思ってる」


 パルメリアの胸がきゅっと締めつけられるように痛む。確かに、前世の記憶からすれば、パルメリア・コレットは高慢な令嬢として描かれがちだった。だが、幼少期の一面として「困っている人を無視できない優しさ」を持ち合わせていた――そういう設定も、ゲームの片隅に記されていたのかもしれない。


(レイナーは私のことを、昔と同じように見ていてくれるのね。あの馬鹿みたいに楽しそうに花を摘んだ時間を……まだ大事にしてくれているんだ)


 だが、パルメリアはそれを率直に受け止めるわけにはいかないと思い、そっと視線を逸らす。今はただ、領地の窮状が差し迫った問題であり、彼女は公爵令嬢として打開策を探る立場にある。レイナーが昔からの友人だからといって、甘えた態度を取るわけにはいかないのだ。


 彼女は小さくかぶりを振り、毅然(きぜん)とした口調を作った。


「……あなたこそ、わざわざ様子を見に来るなんて暇なの? 隣の領地の次男だからといって、こんな辺境に来る必要もないでしょう」


 レイナーはその問いに軽く微笑みながら、風になびく灰色の髪を指で払った。夕陽が二人の間にオレンジの光を散らしている。


「暇じゃないさ。だけど、父も僕も、コレット領が衰えていくのは好ましくないと思ってる。どちらの領地も関わりが深いからね。……それに、君のことも放っておけない」


 その最後の一言に、パルメリアは一瞬肩をこわばらせた。だがレイナーは「意地の悪い意味じゃないよ」とすぐに付け加える。


「君が責任を背負う必要はないと思う。でも、君なら何かを変えられるかもしれないって、そう信じてるんだ。……君は昔から、強情なくらい何かをやり遂げようとするところがあったでしょう?」


 まっすぐな眼差しに、パルメリアはどう言葉を返せばいいのか戸惑う。かつてレイナーと遊んでいた幼少期の姿を、自分はほとんど覚えていないという事実が、何とももどかしい。今の彼女は「前世の知識を持つ転生者」であり、同時に「ゲーム上の設定」でもあるパルメリア・コレットだ。その矛盾を抱えているのを、彼に悟られたくはない。


 彼女は短く息を吐き、できるだけ冷静な表情を取り戻して言った。


「……領地をどうにかしなければならないのは確かよ。私がこのまま何もしなければ、もっと酷いことになるかもしれない。だから、視察に出たの。……ただ、それだけ。あなたが口を挟む余地はないわ」


 レイナーの目に、ほんのわずか切なそうな光が宿った。それでも彼は優しい声音を保ったまま、静かにうなずく。


「そうだね。僕にできることは限られている。でも、もし何か力になれることがあれば、頼ってほしい。君が困っていたら、僕は手を貸したいんだ」

「……そんな甘い言葉に耳を貸すほど、私は甘くない」


 パルメリアはそう突き放しつつも、彼の申し出が内心ありがたいと感じている自分を否定できなかった。領地の再建は一筋縄ではいかない。頼れる仲間が増えるなら、それは大きな助けになるだろう。だが、すぐに素直に受け入れられるほど、彼女には余裕がない。今は自分の足で立ち、改革に挑まなければならない時期だと思っている。

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