第34話 奇襲の計画①
ベルモント公爵派が動かす王国軍の進軍が迫るなか、コレット公爵領では戦いに向けた緊張が極限に達していた。
民衆が選んだのは、単なる籠城ではなく、限られた戦力で最大限の効果を発揮するための「奇襲戦」――すなわち、不意を突くゲリラ的な作戦だった。王国軍のように大人数で正面から押し寄せてくる相手に対し、こちらが平等に渡り合う術はごくわずか。それでもパルメリアを中心とする義勇軍や改革派は、奇襲という手段であれば十分に勝機があると信じていた。
ある朝、パルメリアの館に設置された作戦本部には、いつも以上に慌ただしい人々の足音と声が響いていた。
夜明け前に駆けつけた斥候が「王国軍は思ったより速いペースでこちらへ向かっている」と報告し、さらに別のルートから入り込んだ内通者が「兵の規模は想定をやや上回り、騎兵隊も編成されている」との情報をもたらしたのである。
すでに民兵や義勇軍たちは各地の集落や防衛拠点で準備を始めていたが、相手が剣も槍も高品質な武具で固め、騎兵や弓兵を揃えた正規軍となれば簡単にはいかない。しかも背後には、大貴族であるベルモント公爵の資金力と権威がある。
窓の外から差し込む冷たい朝日を受けながら、パルメリアは書類の束に目を落とし、思わずまぶたを閉じた。そこには、各村ごとの兵力、物資、拠点の地形などをまとめた詳細な報告が並んでいる。膨大な情報を整理しつつ、どのように敵の進撃を迎え撃つべきか――その戦略を組み立てる必要があった。
(相手は正攻法で来ると限ったわけじゃない。公爵派も私たちの改革が国中に波及するのを恐れている以上、あらゆる手を使って潰しに来るでしょう。だからこそ、こちらが主導権を握る作戦が必要よ)
心の中でそうつぶやき、自分を奮い立たせる。背後からはガブリエルが騎士としての忠義を示すように静かに立っており、クラリスは兵站や医療支援のデータを確認している。レイナーは村々との連絡網の整理に追われ、ユリウスは都市部の革命派との同時行動を視野に入れながら、コレット領側との連携を図っていた。
作戦室には領内の詳細な地形図が展開され、山や川、森、崖などの自然地形が書き込まれている。各地区に配備される戦力の目安や、想定される王国軍の進路が、多色の駒と矢印で示されていた。
部屋の中央には大きなテーブルがあり、その上に置かれた地図を囲んで、パルメリアと主要メンバーが緊迫感漂う打ち合わせを進める。大規模な正面衝突を避けつつ、いかにして敵の兵力を分断し、混乱を誘い、最小限の労力と被害で優位に立つか――議論は自然と「奇襲」の方向に集約されていった。
「領地の東部には険しい崖と密林があるわ。王国軍が大挙して押し寄せても、あそこを一気に突破するのは難しいはず。そこに部隊を配置して、撤退路を断ちながら奇襲を仕掛けるのがベストね」
パルメリアが地図の一角を指し示しながらそう述べると、ガブリエルが続くように声を上げる。
「ただし、密林の奥は複雑に入り組んでいます。地形に不慣れな兵士にとっては危険ですが、逆にこちらも無計画に踏み込めば迷ってしまう可能性があります。ある程度、地形を熟知した斥候や案内役を配置する必要がありますね」
彼は騎士団の経験者だが、今は義勇軍の指導官として農民や商人たちを訓練し、簡易的な戦闘指針を叩き込んでいる。経験の浅い兵士をどう活かすかが課題だが、奇襲ならば統率のハードルは下がるはずだった。
「私がいくらでも物資や医療面で支援します。もし崖や森の地形を使って防衛線を築くなら、怪我人も出るでしょう。そこを考慮に入れて、治療拠点をいくつか確保しなければ」
クラリスはそう言い、膝の上の書類をめくる。兵が長期的に身を隠しながらゲリラ的に動くには、食料や医薬品の供給が欠かせない。医療や物流が滞れば、せっかくの奇襲作戦も失敗に終わるのだ。
続いて口を開いたのは、革命派を率いるユリウス。彼は王都や主要都市の状況をつぶさに把握しており、民衆の蜂起と同時に周囲の拠点を押さえていく計画を進めていた。とはいえ、革命派にも資金や人員の限界があるため、コレット領との連携が何よりも重要になる。
「俺たち革命派も、都市部で陽動を仕掛けるつもりだ。王国軍がコレット領に集中している最中に、後方や補給路を攪乱すれば、敵の動きを封じやすくなるだろう。だが、そのためには君たちが正面で敵を混乱に陥れる必要がある。俺たちは背後から突く。そうすれば、大軍が分散して対処せざるを得なくなるはずだ」
ユリウスが示すのは、都市部や街道の要衝を同時多発的に制圧し、王国軍の補給と指揮系統を乱す方法である。コレット領が正面で奇襲を仕掛ければ、相手は一気に力を注ごうとするだろうが、後方で革命派が騒ぎを起こせば、どこに兵を割くかで混乱が生じる。
それを聞いて、パルメリアはうなずいた。彼女自身もこの作戦が理にかなっていると考えていた。圧倒的な兵力差を覆すためには、敵の指揮系統を分断し、短時間で大きな損失を与える必要がある。
(正面からぶつかれば簡単に蹴散らされる。だけど、相手を迷わせて小さく分断し、一撃離脱を繰り返すゲリラ戦ならばチャンスはあるわ。成功すれば士気も上がり、民衆も勇気づけられるはず)
パルメリアはひととおりの発言を聞き終え、地図に視線を落としたまま、薄く微笑む。ここまで立案が進んでくれば、あとは具体的に兵をどのように配置するか、どのルートで奇襲を仕掛けるか、細部を詰める段階だ。
しかし、完璧な作戦など存在しない。テーブルの端で地図を見つめていたレイナーは、その難しさを理解しつつも、ある種の不安を拭いきれないまま言葉を探していた。
下級貴族の次男坊として、パルメリアに幼い頃から寄り添ってきた彼は、ここまでの急展開に半ば呆然としている。しかし、パルメリアがこの戦いを選んだ以上、自分も支えなければならないと心に決めていた。
「……大丈夫、だよな。奇襲は上手くいくかもしれないけれど、もし失敗したら、犠牲はとてつもなく大きくなる。パルメリア、君自身も前線に出るつもりなのか?」
レイナーの口調には、心配と戸惑いが入り混じる。かつてのパルメリアは、社交界で「傲慢」だとか「冷淡な令嬢」などとささやかれていたが、今は違う。領民を救い、改革を成功させてきた公爵令嬢として、多くの人が彼女を慕っている。そしてレイナーにとって、彼女は幼馴染以上の存在でもあった。
パルメリアは彼の言葉を受け止め、わずかに表情を緩める。まるで安堵を誘うような優しい声で答えた。
「私だって怖いわよ。でも、ここまで来て『私だけ安全な後ろにいる』なんて許されないと思うの。もし私が逃げ腰になれば、皆の士気にも関わるじゃない。だから……私は先頭に立つわ。どうか、あなたは支えてちょうだい」
その断固たる意志を感じ、レイナーは刹那に胸が詰まる。想いをうまく言葉にできず、ただ「わかった、最後まで守る」とだけ絞り出すように返す。




