第27話 暗殺者の襲撃①
夜風が舞踏会の熱を冷やしはじめた頃、王宮の正門前には馬車の列が連なっていた。
かつての夜会は、客人たちが名残惜しそうに語り合い、しばし煌びやかな灯火の中で談笑を続けるのが常だ。だが今宵、コレット公爵令嬢であるパルメリアは、いつまでも余韻に浸ってはいられなかった。
ベルモント公爵派の動きを警戒しつつ、手にしかけた情報を整理し、早急に次の策を打つ必要がある――そう判断した彼女は、招待客たちと形ばかりの挨拶を交わしたあと、すぐに馬車へ乗り込んだ。
(今夜は決定的な証拠こそつかめなかったものの、彼らが焦っていることは間違いないわ。…この一歩を逃さず、じっくりと仕掛けるしかない)
馬車の中には、先に戻っていたクラリスが待っていた。月明かりがかすかに車内を照らすなか、クラリスは手元の書類に走り書きを加えている。
パルメリアがドレスの裾を慎重にたたみながら隣に腰掛けると、クラリスは軽く息をつき、気遣わしげな表情で話し始めた。
「お帰りなさいませ、パルメリア様。あの…先ほど廊下で確認した情報によれば、ベルモント派はますます慌ただしい様子です。わずかですが、不正取引に関する走り書きや手がかりを確保できました」
「ありがとう、クラリス。少ない手がかりでも、それが糸口になるはず。…ただ、やはり決定打にはまだ遠いわね」
パルメリアは首をかしげつつも、その書類を一通り目を通す。そこには、ベルモント派の不正疑惑を匂わせる断片的な記録や、取引ルートの怪しげな流れが簡潔に記されていた。
ふと窓の外を見やると、ガブリエルの騎乗する姿が見える。彼はパルメリアを守るため、馬車のすぐ横で警戒を怠らずにいるらしい。
王宮の正門を出てしばらくすると、街灯の数はまばらになり、周囲は深い闇に包まれていく。喧噪が消え、夜の静けさだけが二人の耳を支配していた。
「それにしても、今宵は妙に肌寒いですね」
クラリスが小声でつぶやく。
実際、舞踏会の熱を置き去りにしたかのように、夜気はひやりと肌を刺していた。だが、その冷たさは単なる気温のせいだけではない――パルメリアにはそんな気がしてならない。
(まるで、何か不吉なものが近づいているよう…でも、気のせいかしら)
心を落ち着かせるように息をつき、彼女はシートに背を預ける。馬車が王宮の敷地を抜け、静かな街道へと入りはじめた矢先だった。
唐突に、御者が慌てた声を上げた。
「…道が塞がっています! 前方に何か…!」
グッと急停止する衝撃に、パルメリアとクラリスは思わず身を支える。馬車の車輪がきしむ音が夜の闇に響き渡った。
「どうしたの?」
パルメリアがさっと顔を上げ、窓の外へ視線を走らせる。
すると、まるで闇から浮かび上がるように複数の黒い影が道を塞ぎ、馬車の行く手を完全に遮断していた。
ガブリエルが馬上で低く叫ぶ声が聞こえ、続いて御者が悲鳴に近い声を上げる。
「パルメリア様、お下がりを…! こ、これは……ただ事ではありません!」
(やはり、来たというわけね)
パルメリアは決して大きく動揺することなく、冷静に状況を見極めようとした。
見ると、黒ずくめの装束を纏った男たちが馬車を取り囲むように陣取り、ひとりが鋭く光る短剣を抜き放っている。月明かりを受けて、刃先が不気味な照りを放っていた。
「パルメリア・コレット……ここで終わりだ」
ひときわ声を張り上げた男が、一斉に手下へ合図を送る。その合図と同時に、複数の刺客が馬車へ突進してきた。
ガブリエルは馬上で素早く剣を抜き、先頭の刺客を横から切り伏せる。が、敵は次々に現れ、まるで獲物を狙う狼のように馬車を取り囲む。御者は恐怖にすくんだまま、馬の手綱を握ったまま体が震えている。
「くっ…!」
ガブリエルは歯を食いしばり、二人、三人と倒していくが、その間にも別の刺客が馬車の横へ迫る。
馬車の中のパルメリアとクラリスは、窓越しにその光景を見つめながら、すぐに代案を思い浮かべた。
「ここでただ待っているわけにはいかないわ。…クラリス、万が一に備えてあの道具を」
「ええ、わかりました。お嬢様もお気をつけて」
クラリスがカバンの中を探り、何やら小さな瓶を取り出す。あまり大量には使えない実験用の薬品だが、相手を怯ませるくらいの力はあるらしい。
パルメリアは馬車の扉をわずかに開け、外の状況を再び確かめようとする。だが――
「パルメリア、大丈夫か!」
不意に別の声が夜闇を裂き、パルメリアは安心したように顔を上げた。背後から馬を駆って現れたのは、幼馴染のレイナーだった。
レイナーは闇の中から風のように現れると、真横から斬りかかってきた刺客を一刀両断する。ガブリエルが二対一で追い詰められていたのを援護する形で、刃を重ねて受け流したのだ。
「遅れてごめん。君が何かしら動くかもしれないと思って、後を追っていたんだ。…思ったより大事になってるな」
「レイナー…助かったわ!」
パルメリアが声を上げると、レイナーは軽くうなずく。続いてガブリエルは再び剣を振るい、刺客の攻撃を受け止めながら低く叫ぶ。
「まだ数が多いです。馬車に隙を狙ってくる者がいる。お嬢様を狙うつもりでしょう」
地面に転がる短剣の鈍い音と、刃と刃が噛み合う鋭い衝撃音が闇夜に響く。先ほどは優雅な舞踏会で聞いた音楽が、いまは物騒な金属の響きへと変わっているかのようだ。
「パルメリア様、ご無事ですか……?」
御者が怯えながらも声を絞り出すが、馬が落ち着きを失いかけているのを制御するのが精一杯だ。
と、そのとき――さらに別の馬の足音が夜道を揺るがした。暗がりを裂くように、ユリウスが仲間数名を伴って急行する。
「ここを通すわけにはいかない…! パルメリアに手を出すなら相応の覚悟をしてもらおう」
ユリウスの声はどこか燃えるような熱を帯び、革新的な革命派のリーダーらしい大胆さが垣間見える。
彼と仲間たちは素早く布陣を敷き、遠巻きに逃げようとする刺客を追い詰め始めた。馬車の背後を襲おうとした敵も、ユリウスの的確な一撃で膝をつく。
「ぐっ……!」
闇の中で刺客が短い悲鳴を上げ、仲間たちが恐れおののく。ガブリエルとレイナーが正面から応戦している間に、ユリウスらは側面と背後を押さえ、取り逃さないように配置を固める。
こうして、刺客たちはあっという間に包囲され、逃げ出そうとした者だけが暗闇の向こうへ必死で走り去っていく。




