第26話 陰謀の舞台①
舞踏会が始まってしばらく経った頃、華麗なダンスの輪が一段落を迎える。王太子ロデリックとの優雅な一曲を終えたパルメリアは、ホールを縫うように歩きながら、周囲の様子を冷静に観察していた。
シャンデリアの光がきらめくホールでは、貴族たちが次々とパートナーを替えてダンスを楽しみ、あるいはシャンパンを片手に談笑している。しかし、その表面的な華やかさの裏には、派閥間の緊張感がひしひしと漂っていた。
(殿下とのダンスだけで、相当な波紋を呼んだ。……次はあのベルモント公爵派の面々が、どう動くか)
そんな思惑を胸に、パルメリアはホールの片隅へ目を凝らす。すると、豪奢な衣装に身を包んだベルモント公爵派の上級貴族たちが、小声で互いに視線を交わしながら談笑する姿が見えた。彼らの笑顔には余裕が感じられず、苛立ちや焦りの色がにじんでいる。
「まさか……王太子殿下がコレット家の令嬢をエスコートして現れるとは。いったいどういう狙いがあるのか」
「保守派の象徴である殿下が、あの娘を庇うような行動をとるなんて……。このままだと、わが派の計画に支障が出かねない」
彼らがひそひそと声を潜めるのを横目で捉え、パルメリアは静かにグラスを手にする。ドレスの裾を揺らさず、貴族令嬢としての優雅さを保ちながら、冷徹に対策を練えていた。
(殿下と踊ったせいで、余計に彼らを焦らせたようね。……いい流れだわ。公爵派が落ち着きを失えば失うほど、こちらは証拠をつかみやすくなる)
ホールの中央から視線を外し、グラスを傾けるフリをしながら、パルメリアは自然な動作で周囲を巡る。まるで貴婦人同士の会話に加わりたい風を装っているが、その眼は決して警戒を解いていない。
――とはいえ、パルメリアが完全に一人で動いているわけではない。仲間たちがそれぞれの立場を利用してサポートしているし、いざという時には頼れる存在が複数いる。
(ガブリエルはホールの外で警備状況を把握しているはず。レイナーは要所要所で合図を送ってくれるし、クラリスは裏で情報を集めている。そう、私は決して独りじゃない)
そんな仲間の存在を心強く感じつつ、パルメリアはベルモント派の貴族たちが密集している一角に近づいた。涼やかな笑みをたたえ、グラスを軽く掲げながら声をかける。
「ご機嫌麗しゅう。今宵はずいぶんにぎやかですわね。……ところで、ベルモント公爵様はお見えではないのかしら?」
彼女が公爵の名を出した瞬間、周囲の空気がわずかに強張る。貴族たちは作り笑いを貼りつけたまま応じるが、その視線の奥にある警戒を隠せない。
中の一人、伯爵位を持つ男が表面的な笑みを浮かべて言う。
「公爵様は、少し私用がございまして奥へ……いずれ舞踏会に戻られると存じますよ。なにぶん、お忙しい身ですのでね」
「まあ、それは残念ですわ。ぜひ改めてご挨拶を、と思っておりましたのに……また後ほど、伺わせていただきますわ」
パルメリアは穏やかな声でそう告げると、深く礼をしてその場を離れる。先ほどのわずかなやり取りからも、「公爵派が何か裏で動いている」ことは明らかだった。公爵が姿を見せない以上、彼らが急に“奥の部屋”へ集まる可能性は高い。
(やはり裏で動いているのね。殿下のエスコートが思った以上に効いてる。……チャンスかもしれない)
誰もがダンスや会話を楽しむ舞踏会で、パルメリアはあくまで貴族らしく優雅に振る舞いながら、内心は高まる緊迫感を押し殺していた。
ホールが一段と盛り上がり、華やかな曲が流れ出す頃、パルメリアは社交辞令をうまく切り上げてホールから足早に離れた。
廊下を進み、照明の落ち着いた奥まった場所へ入ると、すぐにガブリエルがさりげなく合図を送ってくる。彼はパルメリアの後方を護衛しながらも、先ほどからホール外を巡回していたのだろう。
その表情にはいつも以上に厳しい気配があり、何か不穏な動きがあったことを示している。
「パルメリア様、ここは人目が多い。お気をつけください」
ガブリエルは低い声でそう告げるが、パルメリアは小さくうなずき、さらに廊下の奥を見やる。その先には、重厚な扉があり、ほんのわずかに光が漏れている。中から数名の声が聞こえ、断片的に「金」「書類」「公爵様」といった単語が漏れ聞こえてくる。
(この扉の向こうに、公爵派が集まっているのかしら。声からすると、密談しているのは複数人……下手に踏み込めば囲まれる可能性があるわね)
パルメリアは迷いを抑えながらも、そっと扉の隙間をのぞく。すると、見える範囲で貴族の男たちが金銭や書類をやり取りしているのが見えた。
言葉までははっきり聞き取れないが、「検問」「密貿易」「貴族院」など、不穏なキーワードが漏れ伝わってくる。
「……殿下があの娘を引き連れてしまったせいで、今夜の取引は急ぎになった。探られでもしたら厄介だぞ」
「いいか、冷静に。公爵様が握っているからそう簡単には漏れん。……とはいえ、用心は必要だ」
パルメリアは息を呑む。やはりベルモント派が違法行為に関わっていることはほぼ確実と言っていい。だが、この場で踏み込むにはあまりに危険が大きい。
背後に気配を感じて振り返ると、ガブリエルがさらに注意を促すようにそっとパルメリアの腕を引いた。
「ここは一度下がりましょう。彼らに気づかれれば、逃げ場がありません」
「……わかったわ。今は情報を記録するだけで十分」
パルメリアは悔しさを噛みしめながらも、一歩足を引く決断を下す。今夜ここで騒ぎを起こしては、得られるものも得られなくなる。
そっと足音を忍ばせ、ガブリエルと共に廊下を離れる。遠くから、ホールで奏でられる音楽が柔らかく聞こえてくるが、その優雅な調べとは裏腹に、廊下の先にはただ闇と不穏な空気が漂っている。
ホールへ戻る途中で、パルメリアは一瞬だけ立ち止まり、心の中で思案する。
確かに、密談の一端を垣間見ただけでは、決定的な証拠には足りない。だが、彼らが持つ書類を直接手にすることができれば、ベルモント公爵派の不正を白日の下に晒す材料となるだろう。
(このままでは証拠が足りない。でも、相手も焦っている。……ならば、ここで下手に突撃するより、一度引いて仕掛ける方が得策ね)
パルメリアは顔を上げ、ガブリエルに小さく微笑む。
「ありがとう、ガブリエル。あなたがいなければ、危うく踏み込みすぎるところだったわ」
「いえ、私の役目を果たしただけです。……お気をつけて」
そう言うと、ガブリエルは護衛として彼女をホールへ導くように先を歩き出す。パルメリアは彼の背中を追いかける形で、再びきらびやかな舞踏会の世界へと戻っていった。




