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第3話 領地の惨状①

 館での暮らしに慣れ始めた頃、かつての私――パルメリア・コレットは父である公爵に直談判して、自らの領地を視察したいと申し出た。これまで公爵令嬢としては社交界にしか興味を持たず、領地経営など知りもしなかったはずの娘からの提案に、公爵は明らかに驚いた様子だったが、それ以上に変化の兆しを感じ取ったのか、黙って深い溜息をつき、渋い顔でうなずいた。


「いいだろう。お前が本当に行きたいと言うのなら、勝手にするといい。ただ、気をつけるんだぞ」


 まるで言い聞かせるような口調ではあるが、それが公爵なりの「許可」のサインだった。自室へ戻ったパルメリアは、侍女に手配を指示し、馬車を用意させて翌日の出発を決めた。使用人や家臣たちも、華やかな宴以外に顔を出さないはずの令嬢が、なぜ突然「村を見て回る」と言い出したのかと困惑を隠せない。それでも、公爵が承諾を下した以上、誰も露骨に反対することはできないらしい。


 翌朝、館の正門前で馬車に乗り込むパルメリアの姿を、侍女や使用人たちが一様に戸惑いながら見送っていた。もっとも、その視線を彼女は意識していないように振る舞う。どこか硬い面持ちで、やや落ち着かない仕草を見せてはいたが、公爵令嬢らしい優雅な動作だけは崩さなかった。


 パルメリア自身の胸の内には、分かりやすい緊張と強い決意が混在している。彼女は心の中で静かにつぶやいた。


(今まで領地にはほとんど興味を示さなかったのに、こうして出かけるなんて……周りは不思議に思うわよね。でも、私は知らなきゃいけない。この状況を知らなければ、何も始まらないもの)


 馬車は館を出発し、ゆるやかに揺れながら平原を進んでいく。侍女が窓辺に控えて、パルメリアの体調を気遣うように声をかけるが、彼女は笑顔で軽くうなずくだけだった。深い溜息をつきたい衝動を抑えつつも、心の底では別の思いが渦巻く。


(ここはゲームの世界……。でも、私にとっては否応なしの現実。領地の惨状を把握せずに放置すれば、シナリオ通り破滅が訪れるかもしれない。そんなのは絶対に避けたいわ)


 彼女が身を置いている貴族社会では、令嬢がわざわざ農村を視察するなど前代未聞。華やかなサロンや舞踏会に足を運ぶのが貴族令嬢の「日常」とされる中、屋敷から離れた村に(おもむ)くなど、通常では考えられない行動だ。しかしパルメリアにとっては、破滅の未来を変えるためにも、まず状況を正確に知ることが急務だった。


 やがて、馬車の車窓越しに見える風景は徐々に荒涼とした様相を帯び始める。整然とした舗装路はいつの間にか土がむき出しになり、ひび割れた大地が広がっていた。遠目に見える草木は生気を失ったようにしおれ、道ばたの民の姿もまばらだ。


「……想像していたより、ずっと酷いわね」


 パルメリアは誰にも聞こえないほどの小さな声でつぶやく。侍女たちはさすがにその言葉を耳に捉えたのか、顔を見合わせた。令嬢が領地の実態をここまで重く受け止める場面など、彼女たち自身も初めて見るに違いない。


 程なくして、村落の入り口付近にさしかかる。以前は門らしき木柵があったというが、今は崩れかけており、道から先も壊れたまま放置されている。馬車の車輪が大きな穴に沈み込まぬよう、御者が速度を落として巧みに操作しながら進んだ。


 視界の隅に、色褪せた屋根が目立つ家々が並ぶ。壁にはひびが入り、屋根の瓦は何か所も剥がれ落ちている。子どもの姿は少なく、通りで目に入るのは疲れ切った大人たちか、荷車を押している老人ばかり。誰一人として笑みを浮かべる気配はなく、むしろ貴族の馬車が通るのを見て、遠巻きに視線を逸らしているようだった。


(こんな状態……これが本当に公爵家の領地なんて、信じられない)


 パルメリアは馬車の窓を開け、外の空気を感じようとした。けれど、鼻をかすめたのは湿った土と枯草のにおい、それに加えて、かすかな腐臭に似た残り香だった。大地も肥えた土壌とはほど遠く、放置された畑は雑草までも枯れかけている。長く豊作を迎えていないことは一目瞭然だ。


「ここまで荒れているなんて……」


 思わず息をのむ。前世で学んだ社会の知識が蘇り、頭の中で警鐘が鳴り響く。このままでは、農村としての機能が完全に停滞し、経済も破綻するのではないかという危機感がしきりに募った。


 馬車が村の中心に近づくと、さすがに貴族の来訪を察知したのか、人が集まり始める。最初に姿を現したのは、痩せこけた村長らしき老人だった。彼は慌てた様子で杖をついて駆け寄り、ぱっと膝を折って深々と頭を下げる。


「これはもう……恐れ多いことでございます、公爵家のご令嬢が、こんな何もない僻地にまでおいでとは……」


 老人の後ろには、何人かの村人が寄り添うように立っている。彼らは皆、顔色が悪く、衣服には継ぎはぎが見て取れる。暖かい季節のはずなのに、どこか陰鬱な空気が漂っていた。


 パルメリアは馬車から降り、静かにうなずく。堂々としたふるまいを意識する一方で、内心は激しい動揺を抑えきれない。


(私が思っていたより、ずっと深刻そう。こんなに追い詰められた生活をしているなんて……)


 使用人たちが軽く視線を交わし、進み出ようとするが、パルメリアは手のひらで制した。こういう時こそ、当主の娘として自ら言葉を交わすべきだと思ったのだ。彼女は一歩踏み出し、村長に向かって声をかける。


「……公爵家の娘として、ここを見に来ました。今の暮らしぶりを教えていただけないかしら。作物の出来や、収穫の状況なども知りたいわ」


 令嬢らしい上品な口調を保ちながらも、彼女の瞳には強い意志が宿っている。村長は「ははっ……」と声をかすれさせつつ、やや困惑した顔をした。どうやら、貴族令嬢からこうした直接の問いかけを受けるのは予想外らしい。


「お嬢様が自ら足を運んでくださるとは、夢にも思いませなんだ……。正直、作物はここ数年、虫害と天候不順続きでまともに収穫できず……。我々は日々の糧を得るにも、たいへん苦労しておる次第でございます」


 村長の背後からも、「もし収穫しても、中央への課税が重くて持ちこたえられない」「種を買う金すらない」と悲痛な声が相次ぐ。パルメリアは黙って耳を傾けながら、周囲の畑や壊れかけの家屋を改めて見渡した。あちこちに荒れ果てたままの田畑が広がり、手入れの形跡すらほとんど感じられない。


(ただ資金を注ぐだけじゃ何も変わらないはず。生産体制も流通の仕組みも、根本から見直さないと……)


 それは、パルメリアが前世で学んできた経済学やビジネスの知識から導かれた結論だ。彼女は村人と村長の言葉を静かに受け止めつつ、これまでの貴族令嬢らしからぬ鋭い眼差しを落とす。


 すると、一人の老人が意を決したようにぽつりと口を開いた。


「お嬢様、正直に申し上げますと、中央からの課税が増すたびに、我々はただ死なないようにしがみつくしかなく、作物を市場に出そうにも道が悪く、商人も寄りつかないんです。公爵様からの援助があれば助かりますが、ここしばらくは……」


 それ以上を語る前に、老人は肩をすくめて苦い表情を浮かべる。おそらく、公爵家そのものも財政的に苦しい状況にあり、領民への支援が滞っているのだろう。パルメリアは唇をかすかに噛み締めた。


(私は父の財政状況や、この土地にどれほどの負荷がかかっているかをよく知らないままだ。けれど、もしこのまま放置すれば、いずれ破綻することは目に見えている。そうなれば、破滅の未来は私にも降りかかる……)

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