第25話 舞踏会の裏側①
個人の思いよりも大義を優先する。――そんな決意を新たにして間もない頃、パルメリアのもとへ思いがけない報せが飛び込んできた。
王宮で催される大規模な舞踏会に際し、なんと王太子ロデリック・アルカディアが彼女をエスコートしたいと申し出たというのである。
(まさか、殿下が……どうして私を?)
パルメリアはその話を初めて聞いた時、唇をかすかに震わせながら動揺を隠せなかった。舞踏会といえば貴族社会における華々しい社交の場であり、裏では政治的駆け引きや情報収集が行われる密かな舞台でもある。そこに王太子と連れ立って入場するということは、想像以上に大きな衝撃と影響をもたらす。
けれど、彼女はそれを断らなかった。というより、断れなかったのだ。これほど大規模な舞踏会であれば、ベルモント公爵派をはじめとする保守派の貴族たちが一堂に会し、様々な密談を交わすはず。そこにパルメリアが王太子と共に姿を現せば、誰もが驚き、同時に焦りを見せるだろう。その動揺の中で、彼女が狙う証拠――ベルモント公爵派の不正を裏付ける決定的な資料をつかむチャンスが生まれるかもしれない。
「――わかりました。お受けいたします」
パルメリアはそう、静かに返事をした。父公爵は意外そうな顔をしたが、反対することはなかった。むしろ、王太子直々のエスコート申し出など、栄誉以外の何ものでもないと公爵は受け止めたのだろう。しかしパルメリア自身は、その華やかな場が政治的陰謀に満ちた危険地帯でもあると知っていた。
こうして、王宮の舞踏会へ向けた準備が進められる。パルメリアは新調されたドレスに袖を通しながらも、内心では張り詰めた緊張を抑えきれずにいた。
舞踏会当日。宵闇が王都の空を染め始める頃、王宮の正門へと続く道には豪奢な馬車が次々と列を成していた。庭園を彩るランタンの柔らかな光が馬車の車体を照らし、高貴なドレスやタキシードに身を包んだ貴族たちが降り立つたび、あちこちで人々の歓声やざわめきが起こる。
そのにぎわいの奥――門の近くでひときわ目立つ姿があった。王太子ロデリック自身が門前に立ち、自ら出迎えに立っているのである。
夜空を映すような深い青の軍服調の衣装に身を包み、灰色がかった金の髪を優雅になびかせたロデリックの姿は、周囲の貴族たちを驚かせるには十分すぎる光景だった。
「殿下自ら門前に? いったいどなたをお迎えされるのかしら……」
「それほど特別な客人がいるのだろうか?」
人々がささやき合うなか、一台の馬車が静かに到着する。馬車の扉に施された銀の装飾が夜の光を反射し、まるで淡い星屑を振り撒くかのようにきらめいた。
やがて扉が開き、姿を現したのは、華麗なドレスに身を包んだパルメリア・コレット。ドレスの生地には繊細な刺繍が施され、彼女の金色の髪と相まって、舞踏会にふさわしい気品と華やかさを放っている。
それでも、その瞳には尋常ならざる覚悟が宿っていた。今夜の舞踏会は、単に楽しむためだけの場ではない。自分の改革を脅かすベルモント公爵派の不正を暴く、絶好の機会でもあるからだ。
(こんな場で、私が王太子のエスコートを受けるだなんて……。でも、これも私の目的を果たすためなら、躊躇するわけにはいかない)
門前に立つロデリックが一歩進み、パルメリアに手を差し伸べる。その行為は、本来ならば女性が先に会場入りして王太子が迎える形が通例だが、今回は逆だ。ロデリックの決断が周囲の貴族たちをさらに驚かせている。
周囲にざわめきが走る中、パルメリアは内心の動揺を抑え、あくまで優雅な微笑みを保って彼の手を取った。差し出された手は温かく、しっかりと彼女を導こうとする意思が感じられる。
「コレット公爵令嬢、今宵はどうか私にエスコートを任せてもらえないだろうか?」
ロデリックが落ち着いた声で問いかけると、パルメリアは静かに一礼する。周囲の貴族たちが息をのむように見守るなか、彼女は口角をわずかに上げて応じた。
「殿下のご意向とあれば、お断りするわけにもまいりませんわ。……ただ、今宵はいつも以上に騒ぎになりそうですね」
その言葉には、軽やかな皮肉と笑みがにじんでいた。ロデリックはかすかに笑って彼女の腕を取り、優雅な歩調で王宮へと足を進める。パルメリアはその横顔を横目で捉えつつ、そっと内心を引き締める。
(どうやら、殿下もただの好奇心だけで私を誘ったわけではなさそう。保守派との駆け引き、あるいは私の改革をどれほど本気で評価しているのか、その真意を見極めなければ)
王宮の大広間へ踏み入ると、そこには壮麗なシャンデリアがいくつも吊り下げられ、贅を尽くした装飾がまばゆい光を放っていた。磨き抜かれた大理石の床には、美しい模様が描かれ、華やかな衣装に身を包んだ貴族や外交使節などが、シャンパンを片手に談笑している。
舞踏曲を奏でる楽士たちの音色が空気を震わせ、甘い香りの花々が室内を彩る。どこを見ても、きらめく宝石や豪奢なドレスが視界を奪うほどの豪華さだ。しかし、パルメリアの心には「これがただの社交パーティではなく、裏では権力争いや陰謀が渦巻いている現場である」という冷徹な視点が宿っていた。
(華やかに見えても、ここはただの「舞台」に過ぎない。私は殿下とこの場を歩むことで、ベルモント派を探る目くらましにもなる。……けれど、一瞬たりとも気を抜けないわ)
彼女がロデリックと連れ立って大広間へ姿を現すと、一瞬ざわめいていた会場がピタリと静まり返り、次いで低いざわつきが生まれる。
「王太子殿下が……コレット公爵令嬢を伴って? まさか、あの娘をエスコートするなんて信じられない」
「王都でも噂が絶えないわね。改革派の急先鋒とどういう関係なのかしら」
そんな声があちこちで上がるのを、パルメリアは聞き逃さなかった。好奇の視線、警戒の視線、羨望の視線――いろんな色をした目が自分たちを追っている。
優雅に微笑みながら会場を歩くパルメリアの内心は、まるで研ぎ澄まされた刃のように緊張し、冷静さを保っている。
ロデリックは目礼だけで余計な言葉は発さず、パルメリアをホール中央付近へと導いていく。まるで、彼女を高貴な舞台に引き上げるように見える光景だった。周囲の貴族たちは道を開け、遠巻きに二人を見つめている。
一定の区画まで進んだところで、ロデリックは顔をパルメリアへ近づけ、低い声でささやく。
「やはり、噂以上に目立つね、君という存在は。貴族たちは皆、そちらに釘づけのようだ」
「殿下こそ、私なんかをエスコートするというこの行動で、今夜は保守派の視線を一手に引き受けることになるかもしれませんわ」
パルメリアは微笑を絶やさずに言葉を返す。実際、保守派の重鎮たちが困惑と苛立ちの入り混じった表情でこちらを眺めているのが見えた。
「構わないさ。保守派の圧力には慣れている。……むしろ、この場で君がどう立ち回るか、私は楽しみにしているんだ」
ロデリックはそう言って、穏やかな笑みを浮かべる。それが王太子としての余裕なのか、あるいは彼自身がパルメリアに持つ好意の表れなのか、彼女には測りかねる。
視線を少し巡らせた先には、ベルモント公爵派の要人たちが固まっている一角があった。豪奢なドレスやタキシードを身にまといながらも、その横顔には冷たい光が宿っている。
ちらりと目が合うと、彼らはわざとらしく乾杯を交わして笑ってみせるが、その笑いには心からの楽しさなど微塵も感じられない。むしろ、パルメリアを敵視していることがひしひしと伝わる。
(今夜こそ、あの連中が裏で何を仕組んでいるかを見極めなければ……ここで決定的な情報をつかみたい)
パルメリアは内心を燃やしながらも、表向きは優雅な笑顔を保ってホールを進んでいく。




