第23話 騎士の誓い②
ふと、パルメリアは窓辺の月光を背に振り返る。ガブリエルの凛とした表情が、闇の中で際立って見えた。彼は再び膝をつき、今度は先ほどよりもさらに深く頭を下げる。その仕草は、まるで儀式のように厳かだ。
「パルメリア様。あなたが掲げる理想と大義、それを成し遂げるために、私はあなたの盾であり、剣であり続けたいと願っています。どうか、この忠誠をお受け取りください」
思わず胸が詰まるような想いに駆られつつ、パルメリアはそっと彼の肩に手を置いた。こうもはっきり言葉で示されると、自分がどれほど危険な道を進もうとしているかを改めて痛感する。
(私の改革がさらに大きな波を起こせば、必ず誰かが犠牲になるリスクは高まる。でも、ガブリエルはその覚悟を持って私に仕えてくれるんだわ)
彼女は瞳を閉じ、言葉を選ぶようにして口を開いた。
「……あなたがそこまで言ってくれるのは、正直心強いわ。でも、私はあなたを危険に巻き込みたくはない。とはいえ、あなたの意志を尊重したいし、私のために剣を振るってくれるなら、この手であなたを守る方法だって考えたいの」
ガブリエルはかすかに目を見開き、意外そうにパルメリアを見上げる。そして小さくかぶりを振った。
「お気遣いありがとうございます。でも、どうかお気にやまず、パルメリア様はご自身の信じる道を進んでください。私はそれを護ることが、最も騎士らしい生き方だと思っているんです」
騎士らしい生き方――その言葉がパルメリアの心を打つ。彼は、自分の正義と誇りを守るために、かつて騎士団から追放されるような仕打ちを受けた。それでもなお、腐敗を憎む心を曲げることなく、今こうして彼女のそばにいる。
互いに見つめ合う一瞬、パルメリアの胸には妙な高揚が込み上げる。王太子ロデリックの探るような視線や、革命派ユリウスの激しい情熱とはまた別の、静かで揺るぎない熱がここにあるようだ。
それが恋かどうかはわからない。むしろ仲間としての信頼感かもしれない。しかし、誓いを立てたガブリエルの姿に、彼女はどうしようもなく胸を締めつけられる思いを抱く。
(守られるだけの私じゃダメ。でも、こうして忠誠を誓われると、なんて言ったらいいのか……)
一瞬、その気持ちを言葉にしそうになるが、パルメリアは唇を噛んで耐えた。今は国を動かそうという重大な局面にある。恋や個人の感情に流されるわけにはいかないと、自分を戒めてきたからだ。
それでも、ガブリエルの言葉や誓いは、パルメリアにとって支えになる。彼女が心から信頼できる存在がそばにいるのは、先の見えない改革や体制との衝突を前に、大きな救いだった。
「……もう休んでちょうだい。私はあと少し書類をまとめたら寝るわ。こんなに遅い時間までつき合わせるわけにもいかない」
パルメリアがそう言うと、ガブリエルは立ち上がり、一礼して静かに答えた。
「護衛として、いつでもお呼びください。私は休みつつも、いつでも動けるよう準備しておきますので」
彼女が軽くうなずくと、ガブリエルは深く頭を下げて執務室を後にする。ドアが閉まり、廊下の足音が遠ざかると、部屋には先ほどまでの厳粛さと熱気が残っているような感覚が続く。
パルメリアは窓辺に歩み寄り、夜風をそっと感じながら、心の中のざわめきを静めようとした。
ガブリエルの「騎士の誓い」は、パルメリアにとって大きな支えであると同時に、自分自身が何を目指しているのかを再認識させる出来事でもあった。彼女は領地を守るために改革を始めたものの、今や王太子や革命派、保守派の視線が集中し、単なる領地改革では終わらない可能性が高まっている。
そんな局面で、ガブリエルが示してくれた揺るぎない忠誠は、パルメリアの胸に深い安堵を与える。革命派ユリウスのような熱い主張や、王太子ロデリックの権威にも負けない静かな強さ――それが彼女を、荒波にも動じぬ礎へと導いてくれるかもしれない。
(だけど、私自身がどう覚悟を固めるかが重要。ガブリエルがいるから大丈夫――なんて、あまり安易に思いたくはない。私も私で、自分の足で立ち、戦わなきゃ)
自分を護る剣と盾としてガブリエルが存在してくれるなら、彼女はより大胆な手段を模索することも可能かもしれない。だが、それが革命や大規模な衝突につながる危険もある。
彼の騎士としての誓いに甘えるだけではなく、彼女自身が「領地を守る者」としての大義を胸に、行動を選び抜く責任があると感じていた。
夜はさらに深まっていく。執務室の窓越しに見える中庭は、白い月光に照らされながら静まり返り、その風景はまるで凪いだ湖面のように動かない。だが、その下にはとてつもない変革の波が潜んでいるのかもしれない。
パルメリアは机のランプを少し傾け、弱い明かりに照らされた書類を再びめくる。頭のどこかで、先ほどのガブリエルの姿――膝をついて誓いを立てた時の真剣な眼差し――が何度も甦る。
恋愛かどうかはわからない。それでも、彼女はガブリエルを「ただの騎士」として扱うことができなくなっている自分に気づいていた。仲間や同志としての信頼か、あるいはそれ以上の好意か――区別はつかないが、どこか心地よい熱が胸に残っているのは事実だ。
(私は人を頼るのが苦手だった。でも、これから先、きっと誰かの助けが必要になる。ガブリエルの誓いを受け入れられる強さを持たないと、私はこの先の波を乗り越えられないかもしれないわ)
そんな思いを胸に抱きながら、パルメリアは静かにペンを取り、手元の書類に目を通す。ランプの灯りが小さく揺れ、深夜の冷たい空気が執務室に流れ込む。
しかしその寒さは、ガブリエルの毅然とした姿や、彼が捧げた忠誠の熱が、ほんの少しだけ和らげてくれている。
こうして、深夜の執務室で交わされたのは、騎士としての誇りを懸けたガブリエルの誓いと、それを受け止めるパルメリアの静かな決意だった。
彼が誓う「盾であり剣である」という言葉は、単なる空虚な宣言ではない。彼女が願う改革、そして今後訪れるであろう大きな試練すべてを背負う覚悟の表れにほかならない。
一方で、パルメリア自身も甘えを捨てきれないわけではない。王太子ロデリックや革命派のユリウスといった強烈な存在に対し、一人で立ち向かうにはやはり限界がある。そんな彼女を「護る」と言い切ってくれる騎士がいるのは、心強いと同時に胸を熱くする感情を呼び起こす。
(私が歩もうとする道は、きっと険しい。でも、ガブリエルの誓いがあるなら、もう少し大胆に動けるかもしれない)
夜空には雲がかかり、月明かりはわずかに弱まっている。時計の針はすでに深夜を示し、身体は疲れを訴えるが、パルメリアの心はむしろ静かな昂揚感を抱いていた。
彼女は机に積み上げられた報告書をそっと閉じ、立ち上がって大きく伸びをする。そろそろ休まなければ、明日また新たな課題に臨めなくなるだろう。
部屋を出る前に、パルメリアは窓辺に寄り、小さく息を整える。明日も忙しくなる。保守派や王太子ロデリック、革命派ユリウス、そして領内の家臣たちとのやりとりが待っている。
そう考えるだけで胸が苦しくなるほど重責だが、ガブリエルの誓いを思い出すと、かすかに笑みがこぼれる。たとえどんな波乱が起きようとも、彼が真っ先に守ろうとしてくれる――その確信が、今の彼女を支えている。
「ありがとう、ガブリエル。あなたの思いを無駄にしないよう、私も精一杯やるわ。――たとえどんな大嵐が来ても、絶対に屈しない」
深夜の静寂の中でつぶやく言葉は、誰にも聞かれない。だが、それはパルメリア自身への宣言でもある。ロデリックやユリウスのように強烈な個性を持つ人物たちが動き出し、改革を進める彼女の足元も危うくなるかもしれない。
その時、ガブリエルが示してくれた揺るぎない忠誠が力となり、また「公爵令嬢」としての誇りが彼女を支えるだろう。自分が苦しみに負けそうになったとき、彼が盾となり剣となってくれると信じるからこそ、パルメリアは新たな一歩を踏み出せる。
こうして、「騎士の誓い」は深い夜の屋敷で交わされた。誰もが眠りについた静寂の時間、ただ二人だけがその思いを共有する。
しかし、この誓いはやがて大きな物語の一部となり、パルメリアの選ぶ道に大きな影響をもたらす可能性を秘めている。幼馴染のレイナーの淡い恋心、革命派ユリウスの危うい情熱、王太子ロデリックの権威と探るような視線――さまざまな想いが絡み合うなか、ガブリエルの「静かな忠誠」が確かに存在感を放っているのだ。
(私は独りじゃない。だから、この先どんな闇が立ちはだかろうと、歩みを止めるわけにはいかないわ)
パルメリアは窓を閉め、ランプの火を小さく絞ると、執務室を出て自室へと向かう。冷たい夜風が肌を刺すように感じられるが、胸の奥には揺るぎない意志が燃えている。
ガブリエルの誓いが彼女の足元を照らし、彼女の大義がガブリエルを奮い立たせる――その相互の思いが、深夜の闇に溶けるように静かに重なり合いながら、次なる朝を迎えようとしていた。
こうして、パルメリアはまた一つ、大きな決意を胸に刻む。――国を動かす策を練りながら、恋や友情に揺れる気持ちを抱えつつも、彼女は決してその歩みを止めるつもりはないのだ。




