第22話 静かなる決意②
ふと、パルメリアはガブリエルの「左遷」の噂を思い出す。騎士団で腐敗を訴えた結果、上官から不当な扱いを受け、結果としてこのコレット領に来た経緯――まるでパルメリアが歩もうとしている道が、すでにガブリエルの過去に重なっているかのようにも思える。
「騎士団でのこと、気にしている?」
思わずそう尋ねると、ガブリエルはかすかに肩を揺らし、しかし目を伏せたまま穏やかな声で答えた。
「後悔はしていません。あのまま腐敗に目を瞑るよりは、自分の信じる正義に従った方がよほど騎士らしかったと思っています。むしろ今は、パルメリア様の下で働けることが誇りです」
パルメリアはその言葉に胸を突かれ、何か込み上げるものを感じながらうなずく。ガブリエルが抱く静かな決意は、派手な宣言をする革命派や権威を纏う王太子とも異なる、別の形の忠誠と熱だ。彼女にとって、それは得難い力であり、同時にどこか甘く切ない響きを伴っている。
そうして二人の間に一瞬の沈黙が落ちる。緊迫感というよりは、互いを気遣うような柔らかな空気だ。パルメリアは書類を片付ける手を止め、思わず独り言のようにつぶやく。
「もし、私がもっと大きな戦いに身を投じることになったら……あなたも危険に巻き込むことになるわ。それでもついてきてくれるの?」
ガブリエルは声を潜めるように応える。
「もちろんです。パルメリア様が示す未来が、私にとっても意味のある道だと信じている。あなたの戦いが、腐敗を断ち切るためのものなら、何も迷うことはありません」
その強い言葉に、パルメリアは心が震えるのを感じる。革命派のユリウスは熱い情熱で世界を変えようとし、幼馴染のレイナーは切ない恋心とともに彼女を支えようとし、王太子ロデリックは貴族体制の中心で彼女を見極める態度を崩さない。そして、このガブリエルは静かな忠誠で彼女を守ろうとしている。
いずれ彼女が国全体の体制と真っ向から対峙する日が来るかもしれない――その時、彼らとの関係がどう変わるのか、パルメリアにはまだ読みきれない。だが、どんな道を選んでも、自分が掲げる「領地を守る」という大義を曲げるつもりはない。
ガブリエルが「護衛の配置を見直してまいります」と退出してからしばらく、パルメリアは一人で執務室に残った。ランプの弱い光が机を照らし、書類の文字がぼんやりと浮かび上がる。
彼女はペンを握り、いくつかの書類にサインを入れていく。だが、心は先ほどまでの会話を反芻し、さらに王太子や革命派との今後を思いめぐらせていた。
(もしかしたら、王太子とユリウスがこの先、正面衝突するかもしれない。あるいは保守派や他の貴族も黙っていないでしょうね。私がこのまま改革を進めれば、確実に体制そのものを揺るがす結果になる。……覚悟はできているはず。怖いけど、やるしかない)
そう心に言い聞かせつつ、彼女の指はペンを握り締め、文字を走らせる。夜の闇は深く静かだが、パルメリアの胸に宿る決意は揺るぎない炎となって熱を発している。
複雑な気持ちを抱えながらも、パルメリアがなすべきことは明確だ。腐敗を止め、領地を守り、国を変えるために行動する。それは王太子ロデリックのような立場を相手にしても怯まない強さであり、ユリウスのような過激な革命派に対しても自分のやり方を貫く姿勢を崩さないことでもある。
同時に、レイナーやガブリエルといった仲間の存在が、彼女の心を支え、時に恋という甘く切ない感情を含んで刺激する。たとえ恋愛を後回しにしていても、その想いは確かに彼女を強くしたり、迷わせたりする要素になっていると感じるのだ。
「誰がどう思おうと、私は私の道を進む。それで誰かを傷つけてしまうのなら、できるだけ被害を最小限に抑える努力をする。だけど、腐敗を見逃すわけにはいかない」
夜の執務室に響く独白は、誰の耳にも届かない。だが、その宣言が彼女自身を奮い立たせる。
王宮の奥深く、あるいは都市の地下で暗躍する勢力が、いずれ彼女を襲い、王太子も革命派も保守派も大きな嵐を巻き起こすかもしれない。それでもパルメリアには護衛のガブリエルがいるし、幼馴染のレイナーや学者のクラリス、そして新たに共鳴し合いそうなユリウスすら、手段は違えど腐敗を許さない意思を共有する仲間となり得る可能性を感じる。
深夜を回った頃、パルメリアはようやく書類を閉じ、立ち上がった。机のランプを消し、窓から夜空を見上げる。星は雲間に隠れてしまい、夜風がガラスをかすかに揺らしている。
こうして迎える夜は一見穏やかだが、その裏ではユリウスをはじめ、さまざまな勢力が動き出しているのがわかる。恋や友情が複雑に絡み合い、領地の未来と国全体の命運を変える大きな力となるかもしれない。
パルメリアは心の中で小さく誓う――「いつか本当に国全体と向き合う時が来るかもしれない。そのとき、私はどんな危険でも乗り越える覚悟がある。怯んでなどいられないわ」と。
(確かに怖いけれど、やらなければ何も変わらない。ガブリエルの忠誠、レイナーの想い、ユリウスの情熱、そして王太子ロデリックの狙い……全てを見極めて、私が選ぶべき道を貫くしかない)
そう再確認すると、パルメリアは扉へ向かう。長い夜が明ける前に少しでも休息を取ろう。明日もまたやるべきことが山積みなのは言うまでもない。
彼女の足取りには迷いがない。静かな夜の闇は深いが、その中で燃える決意の炎は頼もしく胸を照らしている。その炎がやがて大きな嵐に変わるか、あるいは穏やかな光となって国を導くか――今はまだわからない。だが、腐敗を断ち切り、愛する領地を守るために、パルメリアはどんな道でも歩んでいくと心に決めていた。
こうして、深夜の執務室で固められた「静かなる決意」は、彼女が将来訪れるであろう大きな戦いに向けて、自分自身を奮い立たせる重要な一歩となる。
――恋と大義、革命と体制、さまざまな要素が絡み合うこの状況で、パルメリアは決して立ち止まらない。夜明け前の闇の底で揺るぎなく燃える炎が、いつか彼女と仲間たちの進む道を明るく照らし出すだろうと信じながら。




