第21話 共鳴する理想②
再び静寂。けれど、先ほどまでの張り詰めた空気とは違う、何か穏やかな熱が応接室を満たしているのをパルメリアは感じる。
ユリウスはゆっくりと立ち上がり、テーブルの資料をまとめつつ、ぽつりと言葉を落とす。
「それでも腐敗を放置できない、という気持ちは、君も俺も同じだろう?」
パルメリアは深く息を吸い、ユリウスの言葉を噛みしめながら静かにうなずく。行き先は違えど、目指している場所は本質的には同じ――そんな確信に近い感覚が彼女の胸に広がった。
「ええ、そうね。腐敗を見過ごせば、いずれ私たちは最悪の結末を迎える。……理想を貫く手段の違いで衝突することはあるかもしれないけれど、あなたの熱意が本物だということはわかったわ」
その時、ユリウスの瞳が一瞬だけ潤んだように見えた。燃えるような情熱だけでなく、何か痛みを伴う優しさを感じさせる表情。それが、パルメリアの心を再びざわつかせる。
(この人は危ういけれど、どこかまぶしい。話していると、自分まで熱くなってしまう……)
一瞬そんな思いがよぎり、彼女は慌てて気持ちを整える。
一方のユリウスも、パルメリアが「冷徹な貴族令嬢」ではなく、優しい強さを持つ存在だと確信し始める。彼の胸には「これほど気高い理想を持つ女性がいるのか」という驚きと、ほんのりとした期待が混ざり合う。
互いの視線が交錯すると、部屋の空気が張り詰めるわけでもなく、むしろ淡い温かさが走ったような錯覚がする。恋愛としての感情かどうかは分からないが、少なくとも「この人とならば理想を語り合える」と感じさせる何かがあった。
パルメリアはかすかに顔を背け、「私、ちょっと休憩を」と言い訳をしながら席を立つ。ユリウスは微苦笑を浮かべ、行儀よくその場で待機する。
すると、準備をしていた侍女がカップにお茶を注ぎ、テーブルに運んできた。まるでこの場が和やかな友好の証しでもあるかのように、湯気が静かに立ち昇り、二人の間にほのかな香りが漂う。
温かい茶を一口すすり、パルメリアはユリウスをちらりと見やる。しばしの沈黙のあと、彼女は意を決したように口を開いた。
「あなたとの対話は、正直言って心を乱されるわ。私が避けたいと考える強硬策も、状況によっては必要かもしれない――そう思わされるから。でも、私はまだそこまで踏み切れない」
ユリウスは微笑しながら、真剣な眼差しを向ける。
「いいんだ。君のやり方を否定するつもりはない。むしろ、君が積み重ねてきた改革は、俺たちが強くなるための参考になる。大義を成し遂げるにはどうすればいいか、その答えを一緒に見つけたいんだよ」
「……一緒に、ね」
パルメリアはカップを置き、白い指先でテーブルを軽くなぞる。彼女の胸には、相反する想いがせめぎ合っている。安全策を守りながら地道に改革を進めるか、革命派と連携して一気に国全体を動かすか――どちらの道も、一筋縄ではいかないだろう。
ただ、ユリウスが本気で彼女を必要としているのは明らかだった。王太子ロデリックのように体制の象徴でもなく、レイナーのように幼馴染でもない。だが、危うさと熱を兼ね備えたこの男は、「腐敗を許さない」という一点で強く共鳴し合う相手かもしれない。
やがて、打ち合わせの時間が終わりに近づく。ユリウスは「また話し合おう」と言い残し、パルメリアの差し出した手に軽く触れると、そのまま礼儀正しく一礼した。
戸惑う彼女の指先に彼の体温が一瞬伝わり、なんとも言えない感覚が走る。貴族の礼儀とは少し違うが、民衆を率いる男の荒削りな誠意がそこに感じられた。
「危うい人だわ……でも、同時にどこか魅力的」
パルメリアは思わず小声でつぶやくが、ユリウスには聞こえなかったようだ。彼は鷹のような鋭い目つきで軽く笑い、「近いうちに、また」と声を落とし、出て行った。
別邸の外へ出ると、鈍色の雲が空を覆っている。ユリウスは黒いマントを翻しながら馬に乗り込み、数人の仲間とともに視界から遠ざかる。パルメリアは窓辺からその背中を見つめるが、胸に湧いたかすかな高揚はなかなか消えない。
一人になった応接室で、パルメリアは深呼吸をする。先ほどまで感じていた緊迫感とは別の、じわりとした温かさが名残のように残っていた。
激しい意見の対立を経ても、なぜかユリウスとなら腐敗を正す未来を描けそうな気がする――そんな期待が湧くからこそ、同時に不安も倍増する。もし革命派が暴走してしまえば、せっかく改革を進めているコレット領が戦火に巻き込まれる危険だって十分にある。
(それでも、腐敗を止めるには、私一人では限界があるのも確か。王太子ロデリックや保守派との駆け引きだけじゃなく、革命派との関係も考えなきゃならないなんて……)
彼女は小さく苦笑しつつ、机の上の書類に手を伸ばす。ここにあるのは、学舎の運営報告や農業改革の進捗、そして領民の声――それらをきちんと読み解き、次の対策を講じるのが彼女の役割だ。それこそが、恋や個人的な感情よりも大切な使命であるはず。
しかし、ユリウスが見せた鋭い情熱はパルメリアの心を強く揺さぶり、単なる協力者以上の何かを感じさせる。彼の言葉や指先の体温までもが離れず、胸のどこかに不思議な高揚と切なさを残している。
王太子ロデリック、幼馴染のレイナー、そして革命派のユリウス――パルメリアを取り巻く存在はいずれも、国の未来と深く関わる重要な役割を果たしている。彼らとの関わりがどう変わろうと、彼女は自分の道を見失うわけにはいかない。
それでも、人の心は勝手にときめき、惹かれる対象を見つけてしまうもの。ユリウスと対話を重ねるたびに、パルメリアは自分の中に芽生えるかすかな共鳴に気づかずにはいられない。
手段の違いを越えて、「理想」の部分で通じ合える相手がいるという安心感なのか、それともその危うさと情熱そのものに惹かれているのか――彼女はまだ、それが恋と言えるかどうかも分からない。ただ、心が熱くなる一瞬があることは事実だ。
(彼の情熱は本物。でも、その炎に近づきすぎたら私も燃え尽きてしまいそう……)
パルメリアは書類に視線を落とし、意識的に余計な感情を振り払おうとする。今は改革の進行と領民の生活が最優先――そう心に言い聞かせるが、かすかに胸が高鳴る感覚を完全に否定することはできない。
こうして、ユリウスとパルメリアの「危険な接触」は続き、互いの理想が少しずつ共鳴を強めていく。激しい言葉の応酬の中にも、彼らだけが共有できる情熱があり、その火花はどこか甘美な予感すら帯びている。
彼女が守りたいのは血を流さない改革の道。彼が求めるのは民衆が声を上げ、腐敗を根絶する革命の道。現時点では相容れない部分があっても、「国を変えたい」というゴールでは確かに一致している。
もし二人が手を取り合う日が来るなら、その時に何が起こるのか――コレット領だけにとどまらず、王太子や保守派を巻き込み、国全体が大きく動くことは想像に難くない。だが、どう進むかによっては血なまぐさい道へ突き進む危険もある。
(この人との対話は、私の心を揺さぶってやまない。いつか道が交わるのか、平行線のままなのか……けれど、腐敗を許さない気持ちだけは確かに同じ)
パルメリアは地図を広げた机に手を置き、ふと窓の外を見つめる。曇り空の下、風が草木を揺らすように、彼女の心も揺れ続けている。その揺らぎこそが「未来を切り拓くためのエネルギーになるかもしれない」と、彼女はかすかに感じていた。




