最終話 絶望を抱いて④
外から見ると、コレット家の館はまるで壮麗な蝋燭が溶け落ちるように赤い炎をまといながら一気に崩れ落ちる。屋根の一部が破裂音を立て、瞬間的に火の粉が空へ舞い上がり、巨大な炎の渦が夜空に描かれる。
その炎の渦がやがて収束し、すべてを焼き尽くしたあとは、黒く焦げた瓦礫と灰が残るだけ。誰がそこにいたのか、どんな最後を迎えたのか、今となっては知るすべなどない。
こうして世界が終わり、国が歴史の底へ沈んだあとも、数年経てば、この地で何が起きたかすら誰も語らなくなる。パルメリアの名前も記録されず、噂だけが朧げにささやかれるほどだろう――それもいずれ風に流される。
「かつてパルメリア・コレットと呼ばれた者がいた」と、まるで風の噂のように人々がささやき合うかもしれない。しかし、その真相を知る者はいないし、探しに来る者もいない。
それが、この「絶望しかなかった国」の本当の終焉であり、そこに一片の救済すら与えられない。
炎が治まった頃、そこに舞い戻る者は誰もいないだろう。廃墟の中心には瓦礫と灰の塊が転がっているのみで、パルメリアの名を呼ぶ声も存在しない。もし神や天があったとしても、彼女を見守ることなく、すべてが忘却へと吸い込まれていく。
人々の記憶から「革命」や「独裁」がそうだったように、今回の大破滅も時間と共に風化する。生き残ったわずかな者たちは、どこか別の地で命を繋ぐか、あるいは同じ破滅に飲まれて散るだけ。
そうして、歴史からも地図からも消え去るこの国。その中心でパルメリアは最後の舞踏を捧げ、誰にも看取られることなく灰に溶け込む。
――こうして、王国は世界からその姿を完全に消し去った。
繁栄を極めた過去も、華やかな王城のあった日々も、今では跡形もなく焼き尽くされ、人々の記憶さえもいつか薄れていく。灰燼と化した都市の片隅にあったコレット家の館も、同様に黒く焦げた瓦礫だけを残し、誰もそこを訪れないまま朽ち果てていく。
その瓦礫の下で、パルメリア・コレットという存在が最後の舞踏を踊った事実は、記録されることなく消え去るだろう。誰かが彼女を知っていたとしても、語る相手がいないのだから。
燃え尽きた街路には、煤と灰が揺らめき、焼け落ちた廃墟の影が幾重にも重なるだけ。
耳を澄ませば、かすかなささやきが残っているのかもしれない――誰にも届かなかった「彼女」の声か、それともただの風の音か。
その「声」を実際に聞く者はもういない。世界の終焉を見届ける目撃者などいないのだから。
かつて仲間たちがいくら足掻き、力尽きたとしても、それらも同じく歴史の闇へ封じ込められる。くすぶる火山のように広がった革命と破滅の轍も、やがては人々の脳裏から消え果てるのだ。
あのドレスの舞姫――誰かがいたらそう呼んだかもしれない。しかし、現実にはもう観客はいない。煉獄のような業火の中で独り踊り、そして崩れ落ちた瓦礫の下に沈む。生死を問うまでもなく、そこにもう呼吸が残っているはずもない。
前世の処刑と比べても、ずっと劇的かつ静寂な死。周囲の罵声や怒号ではなく、燃え尽きたあとの幽かな轟音の中で幕を閉じる。
これ以上の救済がないことを悟ったからこそ、パルメリアはあえて「最後の舞踏」を選んだ。狂気の淵を越えた陶酔の中、灰に包まれた空間でゆっくりと消えていく姿は、あまりに美しく、そしてあまりに無慈悲な結末だ。
煤だらけの風が吹き抜ける廃墟に、もはや人の姿はない。燃え盛る火もやがて鎮火し、残ったのは黒く焦げた地面と灰の山。いくばくかの建物の骨組みが崩れかけに残っているが、そこに命の気配は感じられない。
王国も、革命も、仲間たちの足跡も、すべてが歴史の底へ沈み、ただ風と灰が夜空を舞うだけの静寂の原野となった。
その荒涼とした光景を見つめる人はもういない。遠くから誰かが踏み入れようとも、そこには破滅の名残しかなく、かつてパルメリア・コレットと呼ばれた令嬢がこの地で最後の舞踏を踊ったことなど、永遠に知られることはないだろう。
「かつて、この廃墟にパルメリア・コレットという娘がいたらしい。しかし、その名を正確に知る者はもう残っていない……」
そんな噂だけがかすかに風のなかをさまようが、それすらも数年か数十年かすれば完全に消え去るに違いない。ここに残るものは何もない。国が滅び、人々は死に絶え、思い出や記録すら灰と化す。
すべてが終わった世界の中心で、「彼女の最後の舞踏」もまた灰へと溶けていった。
こうして、燃え落ちる廃墟の奥深くで、パルメリア・コレットは自分だけの舞踏を捧げ、消えていった。
前世の処刑よりも優しい――と彼女が言う破滅は、周囲の誰も救えない結末に違いない。けれど、彼女自身の心には、独裁と粛清の記憶が、再び手を汚すことへの嫌悪が、そして「もう何もしたくない」という深い諦めがあった。
結果として、仲間たちも国そのものも救われず、すべてが大火による灰燼へと沈む。これは間違いなく「救いのない終幕」だ。しかし、彼女にとっては、前世であれほど苦しんだ処刑台の光景と比べれば、まだ「静かに死を迎えられる」だけましなのかもしれない。
最期の瞬間、パルメリアが小さく微笑んだかのように火炎のなかで揺れていた。もはや誰の目にも映らないが、その微笑には、この世界と共に沈むことへの深い諦観とわずかな安堵が混在していたのだろう。
炎の叫びが止み、廃墟に鎮まる静寂が降りるとき、彼女の存在はかき消されてどこにも残らない。記憶も名声も、罪も理想も、歴史の底へ幽かに沈んでいく。
これが、「誰も救われない物語」の本当の結末――前世の失敗と今世の破滅を繰り返すことで、いよいよ完全なる絶望に到達し、そこに微笑を捧げて果てる。何の希望も、何の後日譚も存在しない。
「……これでいいの。どのみち救われないなら、生きる意味なんて見当たらないわ。
……さようなら、この世界。私はもう……何もいらないわ。ふふ……そう、最初からなにも……」
かくして、廃墟の片隅で、すべての物語は終焉を迎える。
救済もなければ幸福もない。崩壊した王国とともに、「悪役令嬢」は自ら滅びへ溶け込む道を選んだ――
誰からも知られず、誰にも咎められず、ただ世界と同時に沈んでいく。
深い闇と灰色の風だけが、この地を吹き抜き、もう永遠には戻らぬ時を映し出す――
それこそが、この物語の果て。
絶望を抱いたまま、彼女は静かな眠りへ沈んでいく。
二度と覚めることのない夢の底で、すべてが静寂に包まれた――
(完)




