第121話 静かなる終焉③
こうして屋敷は、まるで無人の城塞と化す。
その周囲にあるのは炎と灰の廃墟であり、人の営みなど微塵も感じられない。かつてここを囲んでいた豊かな畑や森は一部が焼失し、枯れ木が焦げた姿をさらしている。道を行き交う者もいなくなり、焼け野原が広がるばかりだ。
これが「国」と呼べるのか、もはや定かではない。通貨や法や秩序といった概念は踏み潰され、人々は神にも見放されたように死んでいく。それをパルメリアはまるで客席にいるかのごとく、静かに眺めている。行動する道も拒絶したまま。
「前世でも、こうなるのは嫌で革命を起こしたのに……結局、もっと壮絶な破滅を目撃するなんて、本当に皮肉な話ね」
その自嘲じみた声に答える者はいない。周囲は深い闇と紅の光で染まった空間に変化しつつある。昼でも夜でも、どこまでも赤黒い煙が空を淀ませている。
強い風が吹けば、いつ火の粉が舞い込んできて邸内に引火するか分からない。だが、パルメリアは一切動じる様子を見せない。逃げるにしても誰を頼ることもなく、頼られようとしても既に誰もいないのだ。
荒涼とした庭をもう一度見下ろし、パルメリアはそっと椅子に腰を戻す。まるで、ここが自分の「墓場」になるのを受け入れるかのようだ。
火の粉と灰が窓際を吹き込むたびに、床やテーブルが白茶けた粉で汚れていく。床の絨毯は使用人が手入れを放棄したままで、部分的に焦げが混じっているが、まだ本格的な火の手は入っていない――それすら奇跡に思えるが、やがて奇跡も尽きるだろう。
遠くから火砲の重い音が一度だけ響き、そのあと長く続いた沈黙に、パルメリアは軽く息をつく。
「……ああ、なんて静か。こんなにも世界が燃えているのに……これこそが世界の終焉なのかしら」
この静謐さは決して安堵などではなく、すべてを焼き尽くした荒野に訪れる「死の静けさ」に等しい。前世の革命の最後には見られなかったほどの総合的な破滅が今や完成されつつあり、まるでそこへ自分が取り残されている――そんな感覚だ。
彼女はその静寂の中で、再び前世の記憶を反芻する。革命に命を賭け、理想と熱狂に身を焦がし、やがて独裁を行って粛清を繰り返し、最後には処刑台で微笑んだ。そのときも「終わり」を感じたが、今ほどの無力感や空虚さはなかったかもしれない。
(あのときは、自分の罪を自覚した上で、処刑を受け入れた。でも今は、自分の罪すら霞んでしまうほど、大きな破滅が世界を覆っている。もう罪を償うこともできず、ただ終わるしかない……)
そんな想いが胸を支配し、彼女は目を閉じる。薄暗い照明が揺らめく室内は、地獄の入り口のように静寂で、誰の足音も響かない。
ここにいるのは主人公パルメリアだけ。救いを求める声も、差し伸べられる手も、もうどこにも存在しない。
時折、扉の外から何かが落ちるような音が聞こえ、まだ完全に屋敷を離れきれない誰かが彷徨っているのかもしれない。しかし、その音もやがて止む。
やがてほんの数十秒後、扉が静かに開いて、最後の使用人と思われる青年が無言でパルメリアの背中を見つめる。何か言いたげに口を開きかけるが、結局一言も発さず、頭を下げ、すぐに扉を閉める。
もう誰も止めようとしない。いよいよ、屋敷には彼女一人だけが残ったらしい。
こうして、周りの音が完全に消え、巨大な虚無が廊下を覆い、静かに風がカーテンを揺らす音だけが聞こえる。夜なのか昼なのかさえ分からない赤黒い光が、窓を染め上げているのが見える。
「終わりね。もう、本当に誰もいない……」
その独白が誰もいない部屋に響き、パルメリアは椅子を立つ。上半身に軽い疲労を覚えているが、これはただの虚脱感かもしれない。
世界がこれほど凄惨な終焉を迎えた事実を、静かに受け止める姿は、かえって慈悲すら感じさせないほどの冷徹さを伴っている。救いを求める者に対しても「何もしない」と決めているからこその無力感でもある。
屋敷の壁にはまだ炎が届いていない。けれど、その外ではすべてが廃墟と化し、もはや国そのものが機能を失っている。
「これ以上、何が起きても驚かない」――そんな静謐な絶望を抱えて、パルメリアは廊下をゆっくり歩みながら、まるで廃墟を視察するように周囲を見回す。
かつての王都に暮らす人々を救うことも、隣国の侵攻を阻むことも、仲間たちと共に戦うことも、もうすべてが過ぎ去った話。今はただ、閑散とした屋敷が己を飲み込むのを待つだけ。
そして、屋敷の中央ホールに戻ると、パルメリアはそこに置かれたソファへ再び腰を下ろし、両手を組んで膝の上に置く。
遠くの空では、いまだ燃え上がる火柱があるが、どんどん弱まっていく声を感じると同時に、静かなる終焉の訪れを確信する。
――人々の叫び声はすでに枯れ果て、多くが力尽きて死んだのだろう。兵士や難民があちこちで散るなか、侵攻軍もまた戦利品を漁り、一部は消え去っているのかもしれない。すべては無残な結末を迎え、ただ灰と骸が積みあがった光景が残るのみ。
(こうして、この国は静かに終わりを迎えるのね。騒がしい破滅の夜は過ぎ、最後には深い沈黙が支配する。たったそれだけのこと。ふふっ……前世の革命以上に、いっそ清々しいほどの無惨さだわ)
自分の心を嘲るように薄く笑みを浮かべ、彼女は周囲に漂う沈黙を受け止める。どこか涼しげな風が吹き抜け、火の粉や灰を連れてこないあたり、既にこの辺りに炎がないのではなく、すべてが燃え尽きたからだと気づかせるかのようだ。
こうして大きな戦いは終焉を迎え、国は抜け殻となり、パルメリアだけがそこに取り残されている。
部屋の隅にはわずかな物資と、乱雑に置かれた荷箱があるが、もう誰も整理することはない。もしこの家にも火が放たれれば、一瞬で燃え上がるだろう。玄関は開け放たれ、砂ぼこりが舞い込み、誰かが立ち寄ればすぐ分かるはずだが、その気配はない。
屋敷が燃えていないのは奇跡に近いが、風向きが変われば、あるいは暴徒が現れれば、結末は明白だ。それでもパルメリアは「どうでもいい」と心の中でつぶやいているかのように、無表情のまま動かない。
そうしているうちに、時が少しずつ流れ、淡い光が薄紫から黒へ移り変わる。この国ではもはや“昼夜”の概念など意味を成さないが、空は定期的に明度を上げ下げしている。それ以外のすべては止まったように見えた。
「誰も来ないし、何も求められない。もう、この世界と一緒に沈むしかないのね……」
パルメリアの独白を受け止める者はなく、ここには狂騒も激情も存在しない。かつての仲間たちがどうなったかも定かではない。レイナーやユリウス、クラリスが無事か、ガブリエルがどこかで息絶えたのか――誰も知らないし、知らせようとも思わない。
全員が散り散りに姿を消した今、彼女は黙して屋敷に最後の締めくくりを与えるように身を沈める。
こうして、「静かなる終焉」は形を成す。
街は瓦礫と灰に埋もれ、人々は死に絶え、あるいは遠くへ逃げ去り、侵攻軍さえ略奪を終えて去った場所もあるのだろう。もはやこの国を治める権威も秩序も、何もかも失われている。
パルメリアの眼差しは、すべてを受け流すように落ち着いている。前世の革命で得た教訓が、今の混沌を強く肯定する――「行動すればさらなる流血を招く。故に行動しないでいる方が、まだ傷が浅い」と。
使用人は誰もいない。庭も焼け焦げの土に変わりつつある。門を叩く声もなく、壁を越える人影も見当たらない――それだけ、世界が静寂に覆われたのだ。
時折、不気味なほど澄んだ風が入ってきて、焦げ臭い灰を巻き上げるが、それもすぐに落ち着く。パルメリアはソファに身体を預けて、もういつ火がついても逃げようとしない。
少し遠くで建物が崩れる轟音があったが、それも今や人々の耳には届かないかもしれない。すべてが終わりに近づいているのだ。
パルメリアは薄目を開け、天井を見つめる。かつては華やかなシャンデリアがあった場所だが、いまは跡形もない。取り外されたのか、あるいは既に落下して壊れたのか――いずれにせよ、彼女の脳裏にはその輝きさえ遠い記憶に過ぎない。
「ここで沈んでいくのが当然だ」という決意と同時に、ほんの一瞬だけ「もし動いたらどうなる」と考えそうになる。しかし、すぐに頭を振り、その可能性を打ち消す。
もし動けば、また血を流すだけ。自分には何もできないし、あの革命以来の呪縛がそう告げている。かろうじて助かる道があったとしても、結果はさらなる惨劇しか呼ばない――それが彼女の固くなった確信だ。
「……もう、ここからは動かない。それが私の答え」
自分に対してつぶやいた声は、まるで最後の宣言のようでもあり、挨拶のようでもある。
破滅の崖っぷちに立ちながら、恐怖さえ上回る無力感が彼女を支配しており、彼女はすでに死と同居する選択を受容しているのだ。
そこには前世の「処刑台の笑み」とは違った静寂がある。あのときはどこか悲壮と決意を抱えていたが、今はもっと虚脱した静かさ――もはや何も響かない、ただ「無」だけに覆われている。




