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第2話 新たな日常①

 パルメリアとして転生した翌朝、私を迎えてくれたのは、まだ馴染みきれない豪華な寝室と、質の高い調度品の数々だった。大きな窓から差し込む朝の光がふんわりとレースのカーテンを透かし、ベッドサイドには花の香りを含んだ穏やかな風が漂っている。わずか数日前まで会社員としてバタバタ働いていた自分には、あまりにも別世界すぎて、もはや信じられない光景だ。


(慣れない……でも、これが私の新しい日常……本当にそう思わなきゃならないのよね)


 寝ぼけた頭を少し振りながらも、ふと湧き上がるのは前世の習慣だ。いつもなら、慌てて飛び起きて満員電車に乗らなきゃ遅刻する――そんな焦りが胸をよぎる。だが、ここは「貴族令嬢パルメリア・コレット」の部屋。あの暗い夜道で事故に遭ったはずの私が、再び命を与えられて「乙女ゲームの悪役令嬢」に転生してしまったのだ。混乱と不安は消えきらないけれど、前の世界に戻れない以上、今はこの事実を頭に叩き込むしかない。


 ベッドからそろりと足を下ろし、まずはドレスに着替えるのがこの世界の「朝の支度」だという。前世の私はスーツかラフな服が基本で、ドレスを着る経験など皆無だったため、豪華な生地が足元を揺れる感覚にはまだ慣れない。裾の広がりを少し持ち上げてみれば、ささやかなのに思いのほか重い。


「……このふわふわしたドレスを毎日着るなんて、大変そう」


 ぽつりと独り言をこぼすと、待機していた侍女たちが素早く襟元や袖口を整えてくれる。それだけで、全体のシルエットが見違えるように美しく仕上がるから不思議だ。彼女たちは慣れた手つきでコルセットの締め具合を微調整しながら、「どうか少しでも楽にお過ごしください」と柔らかな微笑みをくれる。その姿勢に恐縮するやら、妙な責任感を覚えるやら――何せ“悪役令嬢”らしく傲慢になるどころか、こんなに大事に扱われているのが不思議でならない。


(私なんかに、こんな丁寧な仕え方をしてくれるんだ……。今や私が堂々と公爵家の令嬢だなんて、やっぱり現実味がない)


 それでも、ここでの生活をこなしていくうちに、いつかは自然体で受け止められるのだろうか。そう思いつつ、優雅な生地の感触を指先で確かめながら、苦笑を浮かべる。


 さて、貴族令嬢ならば家族そろって広い食堂で朝食を……と想像していたが、現実は少し違った。父である公爵は早朝から執務に出ていて、テーブルを囲むほどの余裕はないらしく、結局、私は別室で軽めの食事を取る形になるらしい。


 侍女に案内されるまま、小さなサロンへ行けば、そこには手入れの行き届いたテーブルと椅子、花瓶に挿された数本の花。そして、その場には私のためだけに用意されたらしい料理が、こぢんまりと並んでいた。


「お嬢様、ご用意したのはこちらでございます。お気に召すとよろしいのですが……お口に合いますでしょうか?」


 そう言いながら給仕してくれる侍女の言葉には、どこか緊張が混じっている。もしかすると、これまでの「パルメリア」は、些細(ささい)な味付けのミスや好みで激昂していたのかもしれない。私としては、そんな風に当たり散らす気はこれっぽっちもないが、侍女からすれば不安を感じて当然だろう。


「……ありがとう。とても美味しそう。早速いただくわね」


 そう素直に言うと、彼女は目を見開き、すぐに安堵のような微笑みを浮かべて頭を下げる。そこにはスープと小ぶりのパン、そしてフレッシュなフルーツを使ったサラダが置かれていた。前世の私が連想する貴族の豪勢な朝食とは違い、見た目は比較的シンプル。だけど、一口食べると素材の味が際立っていて、驚くほど美味しい。


「本当に……美味しいわ。ありがとう」


 思わずこぼれた本音に、侍女はうれしそうに笑みを返す。きっと、こんな丁寧な労いをかけられたのは初めてなのだろう。以前のパルメリアの評判を考えると、彼女たちが戸惑うのも無理はない。私は自分が転生者であると周囲にバレないよう、なだめるような言動を心掛けるが、つい感謝の気持ちが口に出てしまう。


(でも、言わずにいられない。いつもこんな風に私の身の回りを世話してくれているんだから、ありがとうって伝えたいわよね)


 かといって、自分の性格が激変したと思われないよう、ほどほどに気をつけなくちゃ。そんなことを考えながら食事を終えると、今度は別の侍女が小走りにやってきて、厚みのある手紙の束を差し出してきた。


「お嬢様、本日はこのように多くの招待状が届いております。各種お茶会や晩餐会の案内が中心ですので、お時間のあるときにご確認を……」


 綺麗な封蝋を施された封筒の数々が、見事なほどに積み上げられている。公爵家の令嬢となれば、人付き合いも半端な量じゃないらしい。私はパラパラと眺めながら、思わず嘆息する。前世で言えば「仕事のメール」が山のように届いている状態に近いだろう。


(こういう社交の場に出るのも、貴族としての義務なんでしょうね。だけど、あんまり浮ついた場所には行きたくないのが本音。私の目的は「悪役令嬢」の破滅回避と、領地に関わることなんだし)


 そうは思っても、完全に無視するわけにもいかない。まずはこの国の貴族文化や人脈を正しく理解し、不要なトラブルを避ける必要がある。つまり、「公爵家の令嬢パルメリア」として最低限の礼儀と付き合いを守らなくてはならないのだ。


 朝食後、ふと「今日の予定は?」と侍女に尋ねてみると、即座に複数人がスケジュール帳を取り出し、流れるように読み上げてくれた。午前は礼儀作法の稽古、午後は音楽教師が来邸、その後は夕刻に馬車で仕立て屋へ向かい、新作ドレスの試着……などなど、びっしりだ。


(まるで会議と会議の合間を走り回る前世の仕事みたい。でも、内容がまるで違うわね……)


 服を整えている時点ですでに疲労の予感がするものの、ここで「全部キャンセル!」などと言い出せば、周囲の家臣や父公爵もただでは済むまい。なにより、「何を考えているのだ」と疑惑を買う可能性が高い。 


「まあ、やるしかないわね」


 弱々しくつぶやいてから、まずは礼儀作法の稽古へ赴く。そこでは年配の女性講師が待ち受けていて、私の歩き方や椅子への座り方、会釈の角度まで細かくチェックし、ちょっとした姿勢の崩れも容赦なく指摘してくる。


「お嬢様、右足の位置がずれています。もっと背筋を伸ばして、視線はまっすぐに。まるで空気を(まと)うように優雅に……そうです。以前はもう少し……いえ、失礼いたしました」


 以前のパルメリアは、公爵令嬢として完璧な礼儀作法を身につけていたのかもしれない。講師も言葉を濁しつつ、私の微妙な変化を不思議がっているようだ。


 続く音楽教師はさらに手厳しかった。ピアノやハープといった楽器の演奏をメインに指導してくれるが、指の運びや音の抑揚、リズム感などに鋭い目を光らせ、ほんの少しでもずれると「今のところ、もう一度弾き直して!」と促される。


(ごめんなさい、前世では音楽の素養なんてほとんどないのよ……!)


 内心で謝罪しつつ、なんとか記憶を辿って指を動かす。かつてのパルメリアが習得した技術が体に残っているのか、ゼロから独学で弾くよりは多少ましだけれど、やはり不慣れは隠せない。苦戦している私を見て、音楽教師は首を傾げつつも淡々と追加の練習を課す。


「お嬢様、いつもとご様子が違うように感じますが……体調がお悪いのでは? それとも、練習不足……ですか?」


 その問いかけをどう受け答えするか悩んだが、「最近、いろいろ考えることがあって。申し訳ないわ」と頭を下げるしかない。多くを言い訳すれば不審に思われるし、かといって無言で誤魔化せるほど優しい教師ではない。結局、この場は「体調不良」に準じた説明で誤魔化すことにする。

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