第119話 崩れゆく王国①
隣国の侵攻と国内の反乱――燃え上がる二つの炎が、王国を容赦なく崩壊の淵へと追いやっていた。
市壁の外では絶え間のない戦闘の音がこだまし、重々しい砲火の衝撃が王都の空気を震わせる。すでに何度も繰り返されてきた衝突は、今夜こそ決定的な形で城下に火を放ち、この国を焼き尽くすのではないかと人々は本能的に感じ取っている。
かつては華やかに灯された大通りも、今は血に染みる硝煙と、ちぎれた絶叫が混じった修羅場と化していた。夜風は、焦げた木材や瓦礫の鋭い匂いを運び、空気を息苦しいほどに熱と煙で満たしている。
王都の路地裏には逃げ惑う者、略奪に乗じる者、必死に抗う者、あらゆる人間の叫び声が混在し、建物の隙間からは赤黒い光が脈打つように漏れていた。
ときおり、爆裂音のような振動が地面を揺らし、立ち昇る火柱が城郭を朱色に染めている。誰かが「助けて!」と叫んでも、もう誰も助けてはくれない――そんな諦めと絶望が街全体を覆いつくしていた。
焦げつく風に巻かれながら、嘆きと悲鳴が空を切り裂く。大通りを塞ぐように瓦礫がうずたかく積まれ、そこに燃えさかる炎が赤黒い光を放っていた。人々はその炎を避けようにも逃げ道がなく、あちこちでぶつかり合う群衆の足音が、石畳を不規則に叩きつける。
ある者は家族を守ろうと走り、ある者は略奪品を抱えて昂然と笑い、そしてまたある者は行き場を失って呆然と立ち尽くす。夜空には灰が舞い上がり、黒ずんだ煙が星々を隠していた。
日が落ちてから、王都の一角で内乱が本格的に起きたという知らせが走った。
隣国の軍勢と小競り合いを続けていた城外の防衛線が崩れ、侵攻軍が市壁の裏手から回り込んだらしい。その混乱を見計らったかのように、王都の内部でも暴動が爆発し、城下各所で火災が同時多発的に起こっている。
燻っていた火種が一気に燃え広がり、夜の空を赤く染め上げていた。
「敵兵が破城門を突破した」「反乱軍が貴族の館を襲撃している」「盗賊が略奪を始めた」――断片的な報告や噂話が次々に広がり、人々の恐慌をかき立てる。
兵士たちが懸命に防衛を呼びかけても、命の危険を前に統制は保てない。次々と建物に燃え移る火は、情け容赦なく屋根を砕き、柱を焦がし、崩れ落ちた梁が道を塞いで逃げ道をさらに奪ってゆく。
やがて、その猛火に照らされる市街地の一角がまるで地獄のような有様となった。通りには瓦礫と死骸が散乱し、さらに風で舞う火の粉が皮膚を焼きつくように痛めつけている。
悲鳴と怒号が絶え間なく入り乱れ、足を踏み外した瞬間、誰かに押し倒され、誰かが刃を向ける――そんな凶乱があちこちで繰り返される。
暗闇に混じる炎の照り返しは、悪夢染みた紅の残像を視界に焼き付け、呼吸するたびに燃えかすと灰が喉を痛めた。
そして城壁の上でも火砲の轟音が響く。砲弾らしき閃光が夜空を切り裂き、城下へ重い衝撃を落とすたびに、地面が震える。楼門が崩壊し、王都の外側へと続く道も火の海と化し、逃れようとする群衆の悲鳴が暗い夜へ溶けていく。
王都から離れたコレット領にも、戦火は刻一刻と迫っている。しかし、そんな地獄絵図が広がろうとも、涼しい顔でそれを「遠い風景」としか思えない者が一人――パルメリア・コレットは、自邸の窓辺に留まり、王国の惨状をまるで他人ごとのように眺めている。
激しく噴き上がる炎の壁、走り回る兵士や暴徒の影、そして破滅の気配に怯える人々の姿。彼女の眼差しには、驚きや悲嘆よりも、どこか冷え切った諦観が宿っていた。
コレット家の屋敷に立ちこめる緊張感は、高い壁の向こう側から差し込む赤い火光と悲鳴によって一層際立っていた。
廊下を駆ける使用人たちの声には、「お嬢様をお守りしなければ」という切迫感がにじんでいる。いつ暴徒が押し寄せてくるか、いつ火の手が屋敷を舐め尽くすか、まったく予断を許さない状況だ。
だが、そんな悲壮感のなか、パルメリア本人は変わらず窓辺の椅子に腰を下ろし、宵闇に吠え立てるような炎の動乱を、まるで他人事のように眺め続けている。
「お嬢様、どうかご移動を。ここも危険です!」
「早く、お早く! 街道は混乱しているようですが、裏道からならまだ脱出の可能性が……!」
必死に訴える侍女と家令を、パルメリアは疲れた瞳で一瞥する。かすかに息をつき、視線を外した。
「……どこへ逃げても同じよ。破滅が迫っている事実には変わりない。私を守ろうとしても、結局はあなたたちも危険に巻き込まれるだけだわ」
淡々と言い切られるその言葉は、不気味なほど冷たい。周囲の者たちは衝撃を受け、しかしどうすることもできず、困惑したまま互いに視線を交わす。
パルメリアは冷めた笑みを浮かべ、まるで「これこそが当然の結末」だと言わんばかりに力のない声でつぶやく。
「焦がれるように求められた『救世主』の役割なんて、もうとうに捨てたわ。……だから、どうぞ逃げたい人は逃げればいい。私はここで最期を迎えるだけ」
言葉の底には、何かしら狂気じみた静けさがある。いっそ吹っ切れたかのように見えるが、その実、深い孤独と絶望をまとっていることは誰の目にも明らかだ。
侍女たちが「そんな、せめて……」と涙ながらにすがろうとするが、パルメリアは素っ気なく肩を振りほどき、身を引く。
「お願いだから、放っておいて。あなたたちが傷つくのは見たくないわ。私のそばにいる限り、きっと不幸になる。だから早く逃げなさい」
わずかな情がこもるようでいて、彼女の声には冷徹な拒絶が鋭く刺さっている。侍女は「お嬢様……」と震えながらも、どうしようもなく立ち尽くす。
外では爆音の合間に、人々の絶叫と甲高い武器の衝突音が夜を切り裂いている。火の粉がひらひらと風に乗って屋敷の庭を染め、まるで迫り来る運命を告げているかのようだ。
いよいよコレット領にも燃え広がった炎は、石造りの建物を徐々に崩壊させ、木製の屋根や梁を猛火で包み込む。そびえ立つ聖堂の尖塔からも煙が噴き出し、鐘楼の鐘が何度も揺らされ、何かを告げるように不気味な音を響かせる。
大通りを埋める人の波は、どこかへ逃げようとする者、奪おうとする者、守ろうとする者が入り交じり、秩序もへったくれもない有り様だ。
バラバラの連中が怒声を上げて乱闘し、倒れた人々の上を他の者が踏みつけていく。わずかな道が炎で断たれ、命からがら突破しようとする者が血を流しながら叫んでいる。
眼前の建物が崩れ落ち、火の粉が舞い上がり、人々は絶叫と共に散り散りになる。全身に煤を浴びた商人が、焼け焦げた荷車を捨てて逃げ惑い、衛兵らしき男が「落ち着け!」と号令をかけても、どこからか矢が飛んできて彼を射抜く。
濃い煙のヴェールが視界を遮り、炎の明滅がまるで悪夢じみた死の舞踏を描き出す。そこに嗄れ声の咆哮が上書きされ、「貴族を叩き潰せ!」「このままじゃ全員飢え死にだ!」などと恨みの叫びが耳を突き刺す。
地面には無数の破片や瓦礫が転がり、そこに吹きつける熱波が肌を焼き付くような痛みをもたらす。馬車が横倒しになり、中の積み荷が散乱し、それを奪い合う人々が血の争いを繰り返す。
逃げ延びようとする者同士が衝突し、火傷で泣き叫ぶ子どもの声がどこかから聞こえてくるが、その子の手を引く大人は既に見当たらない。
「もう終わりだ……!」
「神よ、どうか助けを……っ」
そういう悲痛な声に耳を傾ける間もなく、さらに爆音が鳴り響き、道端の建物が崩れ落ちる。地を這うかのように火が広がり、建物内部の梁や天井を嘲笑うかのように燃やし尽くす。
そんな苛烈な光景の中で、無力に立ち尽くしている者もいれば、狂乱のように笑いながら刃を振るう者もいる。かつて栄華を誇った王国は、もはや地獄絵図の舞台と化していた。




