第113話 荒れる議場②
議場の奥で、そんなやり取りを黙って眺めていたパルメリアは、小さく息を吐いてからかすかに瞳を細める。
――そして、じっと黙るだけ。まるで、この光景が自分には一切関わりのない物語のようだ。両派閥の誰もが期待している「彼女からの一言」は、いまだ聞こえてこない。
その沈黙にいちばん業を煮やしたのが、王太子ロデリックだった。彼は周囲を見回し、どうにもならない空気に焦りを募らせている。ようやく一瞬だけ静寂が訪れたその隙を逃さず、壇上から声を張り上げた。
「……ここで争っていても埒が明かない! この国の未来を案じるなら、ある人物の見解に耳を傾けるべきだ。――パルメリア・コレット嬢、あなたはどう考える?」
名指しと同時に、騒がしかった場内は水を打ったように静まった。
全員が、一斉に彼女を振り返る。保守派、改革派を問わず、期待や猜疑、あるいは嘲笑めいた空気を孕んだまま、一斉に視線が集中する。
誰もが口をつぐみ、息をのむようにしてパルメリアの答えを待っていた。
(これまで姿を見せなかったパルメリアが、強制に近い形で招集された。今こそ、この国を救う“秘策”を掲げるのでは――)
そんな期待が、まるで電流のように会場を流れている。
改革派の若い貴族などは「彼女ならきっと何か突破口を」と信じているらしく、背筋を伸ばして、半ば祈るような視線を送っていた。保守派の一部も「保守を理解しつつも国を変えた実績がある」と耳を傾けるそぶりを見せる。
しかし、当のパルメリアは一番奥の席にじっと座ったままだ。まるで動く気配もなく、虚ろな瞳をうっすらと伏せたまま。
周囲の熱い視線を、まるで他人ごとのように受け流し、まったく興味を示さないように見える。
「パルメリア嬢、どうかお聞かせ願いたい。この国の財政や防衛の問題をどう建て直せばいいのか。あるいは、どんな改革が必要とお考えか」
複数の貴族や官僚が、すがるように言葉を投げかける。
長引く国難からようやく脱する一手を、今こそ彼女が示してくれるのではと、熱い視線が注がれる。もともと、王宮へ来さえすれば救いの道が開けると期待されていたのだ。
しかし、呼びかけがあっても、パルメリアは返答をせず、机の上に置かれた資料を手に取ることもなく、じっと唇を閉ざしている。
数秒、十数秒――誰にとっても長く感じられる沈黙が続き、やがて「パルメリア様、どうか……」という情けないささやきがあちこちから上がる。
(……何を言えばいいの。どうせ私が提案したところで、この国は同じ道をたどるだけ。それなら何も言わない方がいいわ。いずれ国が滅びるとしても、私の手は汚さずに済む……)
そんな思いが脳裏をかすめ、パルメリアはやがて重い口を開く。周囲が息を呑んで待ち構えるその一瞬、彼女はまるで面倒な書類でも処理するかのように淡々と話し始めた。
「……意見、ですか。特にございません。――どうぞ、お好きになさればよろしいかと思います」
あまりにも素っ気ない返答。それこそ一言で終わらせるような無関心ぶりに、場内はざわめきに包まれる。何事かと言わんばかりに首をかしげる者が現れる中、パルメリアはさらに続ける。
その声には、投げやりというより、嫌気さえ感じられた。
「税にしろ軍備にしろ、皆さんのご都合で勝手に決めればよろしいでしょう? 私は……どんな改革も提案するつもりはありません。そこまで求められても困りますし」
あまりにあっさりした態度に、周囲は「何だと……?」と色めき立つ。
期待をかけていた貴族や官僚たちが、落胆の声を上げ、ざわめきは一気に激しさを増していく。一部の人間は立ち上がりかけ、資料を叩きつける者までいた。
「待ってくれ……それでは意味がない!」
「強制召集までして来てもらったのだ。今こそ、あなたの力を貸してほしいのに、この緊急事態をどうしようと言うのか!」
その中で、保守派の一部からは露骨に嘲笑めいた声が上がる。
「やはり所詮は令嬢ごときに何ができるものか。噂ばかり大きく膨れ上がりおって……」
皮肉の混じった言葉に、改革派の若手貴族が反発する。
「彼女は優れた洞察を持っているはずだ! 領地の改革案や国政への分析だって、周囲を驚かせるほど正確だったという報告があるのに……」
だが、当の本人は「知りません」という態度で、背もたれにもたれたままだ。特別に怒りを示すこともなく、周囲の押し問答を眺めているだけに見える。それがさらに火に油を注いだ。
改革派の貴族や官僚たちは「ここまで期待を裏切られるとは」と肩を落とし、保守派の一部は「噂ばかりで実際は何もできないではないか」と憤慨する。怒りや失望が混じり合い、議場は一種の地獄絵図の様相を呈していた。
誰かがたまらず声を荒げる。
「貴様……この緊急事態に呼ばれた意味を分かっているのか? 何か言うことがあるはずだろう!」
「国が滅びかねないのに、そんな投げやりな態度が許されると思うのか!」
四方から非難が浴びせられるが、パルメリアは「そうですか」と無表情に肩をすくめるだけだった。
その冷め切った様子に、王太子ロデリックも困惑を隠せない。彼は壇上から一歩踏み下り、必死にパルメリアの反応を探ろうとする。
「本当に、何も言うことはないのか。……君をここに招いたのは、この国をどうにか良くするためで――」
けれど、パルメリアはロデリックの言葉を遮るように静かに息を吐き、鋭い眼差しを彼へ向けることもなく、言葉を紡ぐ。
「私は協力する気はありません。どうせ先は知れていますから、余計な提案などしないほうがいい。……勝手にすれば、というのが私の答えです」
自嘲とも諦めとも取れる響きを伴ったその声は、あたかも「国がどうなろうと構わない」と言わんばかり。
その瞬間、議場は沈黙の刹那を迎え――それを破るように怒号と動揺が一斉に弾けた。嘲笑と罵声が混じり合い、テーブルを叩く音や椅子を引く耳障りな音がそこかしこに響く。
「何という無責任な……!」
「ふざけるな……国を救う気などさらさらないということか!」
「ここまで呼んでおいて、これが結論か? 正気なのか、あの女は!」
周囲の声は大混乱である。誰もが期待を裏切られたか、あるいは「やはりな」という諦観で一杯だ。保守派の年配者の中には「やはり出る幕などない」と勝ち誇った顔をする者もいれば、改革派は「絶望だ……」と沈黙する者もいる。
激昂した大臣や若手官僚たちが次々に言葉を投げつけるが、パルメリアの表情は微動だにしない。かすかにまぶたを伏せ、まるで子どもの喧嘩を眺めるような冷たさで、口をつぐむ。
「……ええ、そうです。私は国を救う気などありません。皆さんどうぞ、ご自由に」
静かな声が、余計に周囲の怒りや失望を煽った。
この言葉を機に、大広間は完全な混乱に突入した。保守派は「やはり役立たずだ」と吐き捨て、改革派からも「呼ぶだけ無駄だった」と落胆の声が上がる。
互いが互いを罵り合うなか、ロデリックが必死に場を収めようとするが、もう誰も止まらない。むしろ、「最後の希望」とされた存在があっさりと拒絶したことで、さらなる失望と苛立ちが爆発したのだ。
「おい、もう時間の無駄だ! 話し合いなど不可能だ!」
「そうだ、保守派も改革派も徹底して対立するしかないのか」
「この娘は何がしたいのだ、国を内乱に導きたいのか?」
すさまじい激情のうねりが広間を満たし、出口付近に控えていた者たちまで、何事かと騒然となる。ロデリックが壇上に戻り、大声で「落ち着け、皆!」と叫ぶが、その声はほとんどかき消されるだけだった。
椅子が倒れ、机に積まれた資料が床へ散らばり、足元で踏みにじられる。まさに「荒れる議場」という言葉そのものだ。
(どうして……彼女はここまで冷たく突き放す?)
ロデリックの胸には苦々しさがこみ上げる。パルメリアに最後の望みをかけていた自分の甘さを呪うような思いすら芽生えている。けれど、彼女が言葉を撤回する気配は微塵もない。まるで、「これで終わりだ」と言わんばかりの沈黙を貫いている。
もう少しで周囲の者が彼女に直接暴言を浴びせるか、あるいはつかみかかる事態にさえなりかねない。それほど、みんなが追い詰められていたのだ。そんな切迫した心情と相まって、会議室内の空気はまさに混沌そのものへ変わっていく。
「彼女が黙しているなら、もう打つ手はない。自分たちで決めるしかないだろう?」
「決めるも何も、派閥がバラバラで何ひとつ議論がまとまらないからこうなっているのだ!」
「どうする、地方の反乱だって増える一方だ。軍は? 財政は? 王家は責任を取れるのか?」
怒り出した数名の貴族が席を立ち、保守派と改革派の溝はいっそう深まっていく。激しい怒号が再び飛び交う中、パルメリアはゆったりと椅子を立ち上がると、誰にも挨拶をせずに回れ右をした。
ロデリックが「待ってくれ、パルメリア!」と声をかけるが、まったく耳を貸さない。彼女は足早に大広間を後にし、その背中を追いかけようとする者もいない。いや、追いかけられないほどの修羅場になっているのだ。
結局、会議は何ら具体的な合意に至らないまま散会となる。
時間ばかり浪費し、苛立ちと諦めだけが皆の口からこぼれ落ちる。「このまま内乱に突入しても不思議ではない」と半ばやけ気味に吐き捨てる者や、「もう国外へ逃げるしかないのか」とささやく者まで現れる有様だ。
「いったい、何のために彼女を呼んだのか……。推薦した者もいたが、全く当てにならなかったじゃないか」
「国が崩れかけているというのに、あの娘はただ『知らぬ存ぜぬ』を決め込むつもりらしい」
「これでは本当にもう終わりだ。国境の侵攻を防ぐ策もなし、地方の混乱を収める気配もないまま、崩壊へ進むだけか……」
あちこちから漏れる怒りと諦観の声。その中を、大広間を後にしたロデリックは壁際にもたれ、拳をきつく握りしめたまま目を伏せている。
まだ耳に残る喧騒が遠ざからない。むしろ、その余韻が耳鳴りのように頭を締めつけていた。
国が滅亡への道を転がり始めた今、唯一の希望となり得たはずのパルメリアがはっきりと背を向けた――その虚脱感は計り知れない。
(なぜだ、パルメリア。君は本当にこの国を見捨てるのか……)
そう胸の内でつぶやきながらも、現状を覆す手立ては見当たらない。
彼女の口から出てきたのは「勝手にすればいい」ただそれだけ。この国を救う気などさらさらなく、すべてを傍観するつもりだという冷酷な意思表示。
いまさら別の会合を開いたところで、彼女が再び意見を翻すとは到底思えない。派閥争いは絶頂に達し、民衆の不満は頂点へ近づき、隣国の脅威が迫る中、王家にも有力貴族にも手の打ちようがなくなってしまった。




