第109話 変わらぬ意思③
翌日もまた、王宮や貴族たちは混乱のただ中にいた。改革派と保守派の溝は深まり、地方からは盗賊や暴動の報告が増え、隣国との外交も難航しているという話ばかり。にもかかわらず、誰も事態をまとめる力を持たないまま、破滅への坂道を下り続けている。
「やはりパルメリア・コレットが動いてくれれば……」と口にする者は後を絶たないが、肝心のパルメリアは一切応じないまま。
「いいえ。私は行きません」
と、懇願する使者の前で彼女は今日も短く答える。その場に居合わせた公爵が「そんな……」と肩を落とすが、娘の視線は冷えきっていた。
「私が何度同じことを言っても、あなた方は諦めないわね。でも無駄よ。動く気はないから。どうぞほかを当たって」
そのあまりに頑固な姿勢に、使者は言葉を失い、重い足取りで屋敷をあとにする。外に出るとき、彼の表情には「これ以上無理だ」という諦観がはっきり浮かんでいた。
こうして、何度目かの説得にも失敗して人々が帰っていく光景が繰り返されるうち、屋敷の使用人たちも深い落胆を覚え始めている。「もうお嬢様を動かすのは不可能だろう……」と。かつて活気に満ちた公爵家とは対照的に、今は屋敷のどの部屋にも暗い影が落ちているようだ。
(そう、みんな諦めて。私が動かない以上、これ以上問いかけるだけ時間の無駄……)
パルメリアは自室へ戻って椅子に腰を沈め、窓の外の空を見上げる。夕暮れが近づき、少しずつ赤みを帯びているが、それが警告色のようにも見える――まるで近づく災厄の兆しを告げているかのようだ。しかし、彼女はどうでもいいと思っている。
(今の歪んだままの国がどうなっていようと、私が手助けすれば、もっと大きな流血を呼びこむだけ。だから、私は「変わらない」)
そんな独白を胸に秘めつつ、パルメリアは扉を閉じてカーテンを半分ほど下ろす。周囲がどれだけ歪んだまま進行していようが、それが自分の責任になることはない。彼女が関わらなければ、少なくとも自分の手で誰かを傷つけずに済む――そう確信しているのだ。
夜になり、王都の遠くから馬車のきしむ音がかすかに聞こえてくる。もしかすると、今日も危機的な状況が王宮で議論されているかもしれないし、あるいは派閥同士の小競り合いが起こっているのかもしれない。いずれにしても、パルメリアは関心を示さない。
(私が自ら変わって立ち上がり、行動を起こしても、もう未来は見えてるのよ。結局、同じ破滅を迎えるだけ――)
机の上には、放置されたままの書簡が散乱している。どれも「彼女でなければ乗り越えられない」と切実に訴える文面だが、彼女は開封することすら躊躇する。知ってしまえば、少しでも興味を持ってしまうかもしれないから。
こうして彼女の「変わらぬ意思」はゆるぎなく、国全体の混乱を止めようとする声をあざ笑うかのように拒絶を続ける。周囲の焦燥は日に日に増しているが、パルメリアからの協力は得られず、国は「歪んだまま」進むしかない。この空気が、やがて取り返しのつかない破滅へと繋がる可能性を多くの人が感じ始めていても、手をこまねくしかできないのが実情だ。
屋敷の扉が閉じられ、公爵家に静寂が訪れるとき――パルメリアは自室で、一人きり胸の奥に残る焦げ付いた記憶を抱えている。かつて独裁の果てに見た血の色が脳裏をよぎるたび、「私は絶対に動かない」と自分に強く言い聞かせるのだ。
(このまま国が歪んで崩れていくのが見えても、私が動けばもっと大きな惨劇を生む。……だから、もう変わることはない。誰に何を言われても、私は変わらない)
翌朝、またしても知らせが入る。「改革派がついに街でデモを起こした」「保守派が武力で鎮圧を図っているらしい」と。話を耳にしても、パルメリアは無関心の姿勢を崩さない。以前の彼女を知る人々からすれば、あまりに心が痛む光景だ。とはいえ、彼女の気持ちは周囲には理解されていない。結果、皆が「どうしてこんなことに」と嘆くだけで、先に進めない。
そうして「堂々巡り」と「歪んだまま進行する国」の構図が確立したまま、パルメリアと周囲の間には深く越えられない壁ができていた。いつの日かこの壁が取り払われるのか、あるいは破滅へまっしぐらに突き進むのか、今のところ答えは見当たらない――ただひとつ確かなのは、パルメリアが“変わらぬ意思”をさらに強固にしているという事実である。
屋敷の廊下で、使用人が誰かを出迎える声がしても、彼女は部屋に閉じこもったまま出て行かない。公爵が後でそれを伝えても、「そう」と短く答えるだけ。こうしたやり取りが繰り返され、家臣や友人たちの表情には諦めと落胆が刻まれていくのがわかる。
(私が変われば、国はより悲惨な結末に向かう。……それだけはもう嫌。この先、何がどう動いても、私が出て行くことはない)
暗い部屋の片隅で、パルメリアは小さく独白する。声はそれほど大きくなく、自分に聞かせるための念押しのようにも聞こえる。それが自らを奮い立たせる言葉ではなく、動かぬための呪縛であるあたり、どこか切ない響きを伴っていた。
かくして、周囲が何度も同じ問いかけをし、彼女は何度も同じ拒絶を返す――そんな状況が続き、人々は少しずつ「パルメリアを頼るのはもう不可能なのだ」と覚悟を固め始める。だが、「歪んだまま」進む国の危機は深まり、破滅の影がじわじわ近づいていると感じる者も多い。王太子ロデリックでさえ、「これ以上打つ手がない」と苛立ちをこらえながら苦闘しているという噂がちらほら聞こえてくる。
それでもパルメリアは部屋の窓を閉じ、扉をしっかりと押し込んで、外界との接触を遮断する。このまま暗闇のなかでやり過ごせば、何も起きない。そう信じているかのようだった。
その態度は、まさに「変わらぬ意思」を体現している。周囲の期待と焦燥には「興味がない」の一言で答え、かつての思い出や後悔は胸に秘め、国の行く末がどうなろうと決して関わらない。そこには、一縷の迷いや揺らぎさえも見つからなかった。
――そうして日々が過ぎゆくなか、王宮や有力貴族、そして民衆までもが、「彼女には頼れない」と悟りはじめる。国の混乱は誰にも止められず、破滅の足音がますます迫る気配が広がっているのを感じながら、パルメリアは変わらぬ姿勢を貫き通す。その結末がどのような惨劇をもたらすか――まだ誰にも知る由はない。
しかし、彼女の周囲に漂う「絶対に動かない」という雰囲気が、一層の絶望を醸し出しているのは確かなことだった。そう、もう誰の説得も通じないほど、彼女の心は閉ざされている。
部屋に戻ったパルメリアは、静まり返った窓辺へひとり腰を下ろし、小さく息を吐く。
(同じ問いかけ。私も同じ拒絶。みんなが期待しようと関係ないわ。……もう、私は変わらない)
そう心の中でつぶやき、彼女は夜の闇に包まれた部屋で瞼を閉じる。
かつての仲間も、王太子ロデリックも、公爵の嘆きすらも、「どうでもいい」と押しやるしかない――それが今の彼女にとって唯一の道なのだ。
扉の外で誰かが足音を立てても、パルメリアは振り向かない。もう変わる余地はない、と強く思い込んでいるからこそ、彼女の孤立はますます深くなる。
こうして、何度同じ説得が繰り返されても、何度国の悲鳴が耳に届いても、彼女は一歩も動かず、変わらぬ意思を保ち続ける。その様子を知る者たちは、徐々に諦めと絶望を覚え始め、国は歪んだまま破滅へ向かって進んでいくかのように見える。
――次に何が起きても、パルメリアが手を差し伸べることはないだろう。彼女にとって、「二度と自分を変えない」ことは自らを守るための絶対条件なのだから。そんな不穏な空気だけが、屋敷の廊下に、王都に、国全体に重く垂れこめている。




