第107話 届かぬ呼び声①
王宮や有力貴族からの要職の勧誘をことごとく断り続けるパルメリア。
その姿勢は国内の上層部にとって大きな話題となり、「彼女が動けば国が変わるかもしれない」という期待を抱く者がいる一方、「いったい何を考えているのか」と苛立ちを募らせる者も少なくない。そうした騒ぎの裏で、彼女自身はどこ吹く風のように、屋敷に閉じこもる日々を過ごしていた。
ところが、そんな平穏とも言えぬ停滞を突き破るように、「前の人生」でパルメリアとともに革命を戦った仲間たち――ユリウス、クラリス、そしてガブリエル――が、ほぼ同時期に面会を求めてくる。もちろん今の彼らには「かつての革命」の記憶などない。ただ噂を頼りに「公爵令嬢パルメリア・コレットの洞察力を借りよう」と考え、別々の経緯で彼女のもとを訪れることになったのだ。
ある昼下がり、公爵家の使用人がパルメリアに「ユリウス・ヴァレス様が来邸なさっています」と知らせに来た。パルメリアは廊下に出ることもなく、部屋の扉越しに「応接室へ通しておいて」とだけ答える。かつてならその名を聞いただけで喜んだだろう人物――ユリウスは、都市部の改革派をまとめあげる若きリーダー。熱意と行動力を武器に、腐敗した体制を改めようと奔走している。
パルメリアは、自分で足を運んで応接室へ向かう。あえて部屋で待たずに、自ら応接室へ行くあたり、わずかながら「礼儀」は忘れていないのかもしれない。だが、彼女の表情は終始硬く、微塵の笑みも見せないままだ。
応接室に入り、ユリウスと対峙する瞬間、パルメリアは胸がきしむような痛みに襲われる。前の人生で彼と語り合い、共に国を変えようと心から信じていた日々が、一瞬フラッシュバックのように頭をかすめたのだ。しかし、それを表に出すわけにはいかない。
「パルメリア・コレット様。お会いできて光栄です。コレット領の改革の噂を聞き、ぜひお力をお借りしたいと……」
ユリウスの声は真っすぐで、いささかも迷いが感じられない。まだ若いながらも、確かな実力と熱意を持ち、多くの下層民や学生を率いている男だ。彼の背筋は伸び、視線は力強い。かつての革命で共に血と汗を流したときも、こうして情熱を前面に出し、自らが信じる正義に突き進んでいた。
だが、パルメリアはその視線をまともに受け止めることなく、少し目を伏せるようにして短く答える。
「そう……でも悪いけれど、私は力を貸すつもりはないわ。興味がないの」
まるで、ユリウスがどんなに真摯に頼んできても全く関心を向けないと言わんばかりの態度。先刻まで懇切丁寧に情報を仕入れ、領地の人々と触れ合ってきたユリウスにとっては、その冷たさがまるで氷の壁にぶつかったような衝撃をもたらす。
「……どうして、そこまで拒むんだ? 君なら、人々の声を聞き、国を変えるための道を示すことができるはずだ。今こそ、体制を変革しないと、民が苦しむばかりだよ。俺たちは、本気で――」
ユリウスは食い下がるように言葉を重ねる。情熱に満ちた口調から、かつての彼とまったく同じ「正義感」が伝わってきた。しかし、パルメリアは険のある微笑をつくり、首をかすかに横へ振るだけだ。
「あなたの考えはわかったけれど……いまの私には何の関係もないわ。それに、私が関わっても、何も変わらないどころか、もっと悪くなるかもしれないのよ?」
ユリウスは一瞬言葉を失う。だが、自分が聞きたい答えとあまりにかけ離れすぎていて、どう返していいのか分からないのだろう。「本当に、そんなはずはないだろう。君には確かな才覚があると噂になっていて……」と、半ば懇願するように声を落とす。
「……噂なんて当てにならないわ。いずれにしても、私の意志は変わらないから。ごめんなさいね」
パルメリアは平然とそう言い切ると、そっと視線を逸らした。ユリウスは、わずかに苦い顔をして言葉を飲み込み、最後に「そうか……」とだけつぶやいて立ち上がる。かつてなら彼女と意気投合し、共に行動を起こしていたはずなのに、いまや彼女はひたすら冷たい。
「じゃあ、またいつか……気が変わることがあれば、声をかけてほしい。俺は諦めないから」
ユリウスはそう言い残して部屋を出る。彼の背中を見送りながら、パルメリアは一瞬だけまぶたを閉じる。
(……ユリウス、あなたの純粋な思いはよく知っているわ。でも、私は……あなたに期待されるほど怖いことはないの。前のように、一緒に革命の道へ進むなんて、絶対にしない)
そう心の中でつぶやきながら、パルメリアは彼が出て行った扉を黙って見つめた。開いた扉の隙間から、一陣の廊下の空気が流れ込み、彼女の頬をかすかに撫でる。閉まりかけた扉が完全に閉じると、応接室には再び重々しい静寂が降りた。
しかし、その静寂は長くは続かなかった。ユリウスとのやりとりを終えた翌日、若くして学術分野で頭角を現しているクラリス・エウレンが、公爵家を訪れる。農業や医療、教育など幅広い研究と革新を提案している彼女は、そのための協力者を求めてやってきたのだ。
応接室に通されたクラリスは、丁寧に資料の束を抱えてパルメリアを待つ。かつてのパルメリアであれば、こうした「新しい知識や技術を活かして社会を変えよう」とする話題には興味を示していた。だが、今のパルメリアはすでに改革への意欲を捨て去っている。
「パルメリア様、こうして直接お話しするのは初めてですね。私はいま、農村支援や医療設備の強化、それに教育制度の整備を何とか進めたいと考えているのですが……」
クラリスの声には、静かな熱意が込められていた。いくつもの知識を活かし、貴族や学術会を説得し、実際の研究も進めている。しかし、その過程で保守的な勢力の反対に遭い、資金援助や政治的支援を得るのが難しいという。その一方で、「パルメリアのいるコレット領なら可能性があるのでは」と期待を寄せているのだ。
「あなたの研究は素晴らしいわね。でも、私は協力する気はないの。興味がないもの」
パルメリアの返答はあまりに素っ気なく、机の上に目を落としたまま資料を見ようともしない。クラリスは「そんな……」と小さくつぶやき、明らかに失望を隠せずにうつむいたまま資料を抱え直す。
「こうした取り組みは、きっと国の未来につながると思います。もしよろしければ、何かお力添えを……」
「ごめんなさい。それでも私は動かないわ。あなたを失望させたいわけではないけど、私にとっては関係ないことなのよ」
クラリスは数秒黙り込み、悔しげに目を伏せた。かつてパルメリアは同じような熱意を持ち、「新しい時代を築きましょう」と言ってくれた人物でもある。にもかかわらず、いまこうして冷ややかな態度を突きつけられると、もはや何を言っても無駄なのだと痛感してしまう。
「……わかりました。では、これで失礼いたします」
資料をそっと束ね直し、彼女は立ち上がる。パルメリアは最後まで表情を変えず、視線さえクラリスと交わそうとしない。部屋を出るクラリスの背中を見送ることもなく、彼女は淡々とした様子でため息をつく。
(クラリス、あなたの学術への情熱は知っているし、本当に素晴らしいと思う。でも、私が関われば、きっとどこかで歪んだ形に変わってしまう。それをもう一度見るのは嫌……)
そんな独白を胸に秘め、パルメリアは資料の散らかったテーブルには目もくれず、その場に座り込んだまま動かない。自分が動くことで何が起きるのかを痛感しているがゆえに、もうどうしようもないのだ。
そして、三日後。王国騎士団に属していたガブリエル・ローウェルが、コレット家の門を叩いた。かつて上官との軋轢により左遷されたが、公爵が彼の忠誠心を買って騎士として採用した経緯がある。ガブリエルは、王宮でうまく居場所を見出せなかったぶん、パルメリアのいるコレット家こそ自らが仕える真の主君と信じているらしい。
大柄な体躯に、誠実そうな眼差し。ガブリエルは応接室に通されるなり、かしこまった姿勢でパルメリアに挨拶する。
「初めまして、パルメリア様。公爵様より新たに騎士団へお迎えいただき、ここに仕えることになりましたガブリエル・ローウェルと申します。微力ではありますが、何かお役に立てることがあれば、ぜひご命令をいただきたいのです」
パルメリアの胸はきしむように痛む。以前の人生でも、ガブリエルは自身の理想のために忠誠を尽くし、結果として彼女の独裁へ深く関わってしまった。その末に、どれだけの苦悩を背負ったのか、その記憶が今でも彼女の良心を責める。
「わざわざありがとう。でも、私はあなたに何も頼むつもりはないわ。あなたに守ってもらうような危険も冒す気がないし……」
ガブリエルは一瞬面食らったように言葉を呑む。
「危険に身を投じるご予定がないのは結構ですが、いずれ何か起こったとき、お守りするのが私の役目です。どうか、少しでもお嬢様のお考えをお聞かせいただければ――」
「何も考えていないし、あなたを巻き込む気もないわ」
パルメリアはにべもなく答える。その口調は穏やかだが、拒絶の色は濃い。ガブリエルは切なそうに一息つき、それ以上言葉を続けられない。
「……承知しました。騎士団の任務に支障が出ぬよう、私にできることがあればいつでも……」
「ええ、父を守ってあげて。私はあなたの忠誠を必要としていないもの」
そう短く言い切る姿は、冷たいという以上に悲痛なものをはらんでいた。ガブリエルは何か言い足したそうに唇を動かすが、パルメリアの冷厳な態度に押されて結局声を発しないまま、一礼して部屋を出る。残されたパルメリアは、テーブルの上の文書に視線を投げかけることもなく、椅子に深く身を沈めるだけだ。
(ガブリエル……あなたの忠誠がどんなに崇高でも、私が受け取れば傷つくのはあなた自身。あの血塗られた結末を繰り返すわけにはいかないのよ)
こうして、ユリウス、クラリス、ガブリエルといった「前世の革命仲間」が立て続けにパルメリアを訪ねたにもかかわらず、結果は皆一様に落胆と戸惑いを抱えて帰ることになる。かつては同じ目標に向かって歩む強い絆で結ばれていたはずだが、今やパルメリアがあっさりとそれを拒絶する。彼女には、前の人生でともに戦った思い出があるだけに、なおさら近づきたくない理由が鮮明にあるのだ。




