第106話 冷徹な拒絶②
ある夕刻、公爵家のサロンで行われるはずだった小さな集まりが急きょキャンセルになった。理由は「パルメリアが出席しないと決めたから」。使用人がその旨を関係者に伝えると、悲嘆の声があがる。「またなの?」「少しくらい顔を見せてもいいでしょうに……」と。しかし、パルメリアは自室で「行く気はない」と言い切った。それだけで話は終わってしまうのだ。
ここに至っては、仲間たちも半ば匙を投げていた。レイナーやほかの友人たちが説得を試みても、パルメリアは「悪いけれど興味がない」と拒み続ける。何度か試みて失敗した彼らは、今や「仕方ない、少し距離を置くしかない」と諦め気味である。もちろん心配してはいるのだが、あまりに彼女の態度が硬いため、結果的にそこまでしかできない。
かつての彼女をよく知るレイナーが噂話を耳にするたび、苦い表情で「どうしてあそこまで……」とつぶやいている姿が見られた。かつては領地の改革を語り合った仲なのに、今のパルメリアは誰からの呼びかけにも応じる気配がないからだ。
(私なんかに救う力はない。前の人生で散々証明したじゃない……)
パルメリア自身も、そう胸に刻みつけるかのように苦々しく独白をする。まわりの失望や非難は、彼女が「もう後戻りはできない」と感じるほどの圧力を加えてくるが、逆にそれが彼女の意志をより硬くしている部分もあった。
夜になり、屋敷の灯りが控えめにともされるなか、パルメリアはふっと窓を見やる。闇の向こうに王都の明かりがちらちらと瞬いているが、そこには彼女を受け止める場所などないように感じられる。自室の奥へ向かいながら、静かに思う。
(――皆が私に期待するのは勝手。でも私は、もう何もしたくない。この世界にとって、私が動くほうが不幸を呼ぶと知っているんだから……)
もしここで動き始めれば、王宮の呼び声に応えてしまえば、再び血を見ることになるかもしれない。あの独裁と粛清の惨劇が再燃するのではと怯えている以上、すべての期待が彼女にとっては重荷にしかならない。だからこそ、「冷徹な拒絶」を貫くしかないのだ。
翌朝、またしても使者が来るが、彼女は一言「お引き取りを」と言い放つ。使者は何かを言いかけたが、公爵がその場を収めるように横から割って入り、「娘がこう申しているので……」と釈明するしかない。結果として使者は苛立ちと落胆を抱えて帰っていく。廊下に沈むその足音を、パルメリアは自室の扉の隙間からかすかに聞き、苦い思いを飲み込んでいる。
(もう、私に何を言っても無駄だって、周囲はわかってきたでしょう。なら、放っておいてくれればいいのに……)
胸がきしむのを感じながら、彼女はそう思わずにいられない。周囲の声はますます陰鬱なものに変わり、失望や非難が膨れ上がっているのが分かる。彼女のもとへたどり着く前に諦める人も増え、「あの公爵令嬢にはもう何を言っても無駄だ」とあきらめ顔で口にする者があちこちに現れる。王都の街角では「あれほどの才能を捨てるなんて」という嘆き節や、「利己的に国を見捨てるとは」と憤る議論まで起きているらしい。
しかし、パルメリアにはまるで響かない。自分が関われば、また惨事が起きる――それが彼女の信じて疑わない「確信」だからだ。前の人生での激しい革命と、その結末である処刑台の記憶が、彼女を完膚なきまでに縛り付ける。
こうした状況を目の当たりにし、公爵家の使用人たちは「パルメリアにもう何を言っても無駄だ」と悟りはじめている。数人の侍女が彼女を心配して廊下で「お嬢様は疲れきっているのかしら……」と話すが、扉をノックしても「大丈夫、用はないわ」と言われるだけ。扉の向こうには、閉ざされた彼女の世界がある。
その閉ざされた世界の奥で、パルメリアはあらゆる期待に背を向けたまま、「誰にも干渉されずに終わりたい」といった思いを募らせている。もはや王宮からの誘いに耳を傾ける可能性さえない。そうした最終的な拒絶ぶりが、周囲を深い落胆へ導き、同時にパルメリア自身も孤独へ押しやっていた。
そして夕刻、公爵家に集まっていた友人や関係者らしき人々が、一様に暗い顔で屋敷をあとにする。応接室でパルメリアに会えるかと思ったが、会えずじまいだったのだろう。誰一人言葉を交わさず、重い足取りで姿を消す。その姿を窓辺から見下ろしたパルメリアは、かすかな息を吐いた。
(私なんかに救う力はない。そう思うだけで、どうしてこんなにも胸が苦しいのかしら。でも、私はもう後戻りできない――)
そう心の中で反芻するたびに、遠い記憶の処刑台と血の光景がちらつく。あの惨劇を二度と繰り返さないために、彼女は自らを拒絶へと追いこんでいるのだ。周囲が嘆こうが、非難しようが、それが彼女の中にある“最終的な結論”だから、もう揺らがない。
翌朝、外では爽やかな青空が広がり、鳥のさえずりが屋敷の中庭に響いている。使用人が朝食の準備を整えるが、パルメリアはほとんど食事を口にせず、書類の山を横目に座っている。そこへ再び家臣が、「今度こそ王都へ行くことを検討されませんか」と話を切り出したが、彼女は顔を上げることなく「ああ、興味がないから」とだけつぶやいた。
家臣はしばし無言で彼女を見つめるが、結局何も言えずに退室する。パルメリアは周囲をこんなにも落胆させている事実を知りながら、しかし態度を変えるつもりはなかった。誰の前でも「もう何もしたくない」と心のシャッターを下ろしている。
もはや、彼女に期待する者たちも少なくなるだろう。皆が「どうして彼女はこんなにも冷たいのか」と戸惑いつつ、今はまだ最後の望みをかけているようだが、ほどなくしてその望みは潰え、「パルメリアにもう何を言っても無駄だ」という諦念へ変わっていく。
それが彼女の狙いかもしれない――誰一人として、そう突き止められはしないが、結果的に周囲は離れていき、パルメリアは固い殻に閉じこもる形となる。噂ばかりが先行し、「冷徹」「無情」などの言葉で彼女を表す人もいるが、当の本人はそんな評判など一向に気にせず、自室へ戻って扉を閉じた。
――こうして、「冷徹な拒絶」は最終的な段階にまで達していた。
かつてのパルメリアを知る者たちが嘆き、失望や非難が広がっていくなか、彼女の態度は変わるどころか、ますます硬度を増していく。王宮や有力貴族がどれほど熱心にアプローチしても、もはや手が届かない場所へ行ってしまったかのように。
夕刻になり、公爵が「最後にもう一度だけ、私から頼む……」と言おうとしたが、パルメリアは首を横に振って「今さら何も変わらないわ」とだけ答え、部屋を出て行ってしまった。廊下に残された公爵が気まずそうに溜息をつき、使用人たちは目を伏せる。
この光景を横目に見ていた家臣の一人が、小さな声で漏らす。「もう……お嬢様に何を言っても無駄なのではないか」と。
それが、周囲が抱く結論だった。あれほど多くの要請や誘いがあったのに、すべて拒否し続ける彼女の意思は、誰にも変えられない。失望だけが積み上がり、非難の声はこれからも増えるだろう。だが、パルメリアにはそれを受け止める意思も、軟化する考えもない。
(私は誰も救わないし、救われるつもりもない。もうここまで来たら、後戻りなんてできない――)
パルメリアは夕暮れの赤い光が差し込む屋敷の奥を進みながら、そう心の中で繰り返す。深い忌まわしい記憶が、彼女の行動をこれでもかと縛りつけ、重苦しい足音を床に落としていく。そもそも自分には救う力なんてない。もし動けば、より一層の血が流れるだけだ――。
暗い陰に沈む廊下を渡り、自室の扉を開けて中へ入る前に、パルメリアは一瞬立ち止まった。廊下の先では使用人たちが申し訳なさそうにこちらを見ている。それを横目に見て、彼女は扉の取っ手に手をかけ、小さく息を吐く。もう後戻りできないという思いが、一層胸に重くのしかかるのを感じた。
(周囲の誰がどれだけ嘆こうとも、私は変わらない。変えられない――)
そう改めて決意するように、扉を静かに閉める。その音が屋敷の中に広がると、使用人たちはそれを「冷徹な拒絶」の象徴のように受け取り、下を向いて去って行くしかない。こうして、すべての説得は不発に終わり、周囲の人々が感じる期待や失望や非難が空回りするだけの日々が続く。
もはや「パルメリアに何を言っても無駄」という雰囲気が公爵家を覆い、次第に王都へも伝播していく。そしてこの空気は、やがて大きな波となって押し寄せる――そんな不穏な予感を残したまま、パルメリアの拒絶は揺るがぬ姿勢を保ち続けるのだった。




