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悪役令嬢、追放回避のために領地改革を始めたら、共和国大統領に就任しました!  作者: ぱる子
第三部 第2章:閉ざされた未来

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第102話 過去の残像①

 この世界に「戻って」から数日、朝食を終えたパルメリアは、使用人たちが手際よく食器を片づける様子を横目に、屋敷の廊下を静かに歩いていた。周囲には磨き上げられた装飾が整然と並び、壁に飾られた絵画の彩りや、さりげなく生けられた花々の香りがかすかに漂っている。公爵家の一日がいつもと変わらずに始まったことを象徴するかのように、使用人同士の穏やかな会話が廊下の奥でこだましていた。


 しかし、彼女の足取りには生気がまるで感じられない。普段なら目に留まりそうな煌びやかな調度品にも、朝日が差し込む窓の外の景色にも、彼女の視線は淡白だった。足音だけが規則正しく床を打つが、どこへ向かうつもりなのか彼女自身にも分からない。ただ、家の中をさまよっているだけ――そんな印象を与えるほど、目的のない歩みだった。


(また同じ光景が繰り返されるだけ。もう全部わかっているはずなのに、どうしてまだ終わらないのかしら……)


 パルメリアの胸の内には、かつての世界で感じた痛みがじっとりと巣をつくっている。あの処刑台で死を迎えたはずなのに、こうして再び朝の穏やかな空気を味わっている事実が、彼女を一層追い詰めていた。今さらどんな選択をしても、結局は同じ破滅しか待っていないのではないか――そんな絶望と嫌悪が、心を冷たく蝕んでいた。


 やがて、廊下を曲がりかけたところで、大きな窓から陽光が差し込んでいるのに気づく。そこは中庭を見下ろせる位置にあり、ガラス越しに庭師が花壇を手入れしている様子が目に入った。春の兆しを含んだ柔らかな光が降り注ぎ、彩り豊かな花々が朝露をまとって控えめに輝いている。かつてのパルメリアなら、この季節の移ろいを見るだけで心が弾み、領民たちの暮らしや町のにぎわいへ思いを馳せただろう。


 しかし今は、その美しさを目にしても、ただ「また同じ風景か」という淡々とした感想だけが浮かぶ。心の奥底から感情が湧き出ることはない。ごくわずかな「美しい」という意識がかすめても、すぐにむなしい嫌悪感へと消えていく。


(昔の私なら、こんな陽射しに嬉しさを覚えて、領地をどう良くするか前向きに考えていたはず。でも、結局は……)


 彼女の思考は、ふと断片的な回想を呼び起こす。


 かつて領地を改革しようと奮闘した日々。人々からの期待に胸を弾ませ、社会の仕組みを変えられると信じていた時期があった。だが、その道はいつしか血の匂いをまとい、裏切りに塗れた暗い沼へと変質してしまったのだ――今はその原因を細かく振り返りたくもない。ただ、一度得た権力がどれほど自分を狂わせたかを思い出すたび、胸の奥がずきりと痛むだけで十分だ。


 あの革命の日々。最初は大義名分に燃えていたのに、気づけば誰も彼もが敵か味方か分からなくなり、粛清に手を染めることになった。多くの人間が目の前で斃れ、あるいは自分が指示を出したことで命を散らしていった。そこには、最初に抱いていたはずの理想など微塵(みじん)も残らなかった。


 ――そんな苦い回想が、一瞬のフラッシュバックとしてパルメリアの意識をかすめる。激昂した民衆の姿、密室で密談を交わす裏切り者たちの影、そして自らが下した冷酷な処分の数々。


(人々を救うはずだったのに、むしろ多くの命を奪い、最後は私自身も罰せられた。どうして……また同じ場所に戻されて。何をしろって言うの?)


 胸の奥で小さく声が震え、パルメリアは窓から視線を外す。瞳がかすかに潤むが、涙にはならなかった。彼女は廊下の壁に飾られた花の絵をなんとなく眺め、足早に歩み始める。まるで明るい陽射しから逃げるかのように、壁際に身を寄せるようにして進んでいった。


 足音が軽く響くなか、ふいに侍女が遠慮がちに近づき、声をかけてくる。


「お嬢様、先日までお取り組みになっていた村の学舎の件なのですが……」


 それは以前のパルメリアが進めていた領地改革の一環らしい。村の子どもたちに教育の機会を広げるための学舎建設――かつての彼女なら、少しでも早く成果を上げたくて目を輝かせていたことだろう。だが、今のパルメリアにとって、それはもはや過去の亡霊に等しかった。


 彼女は侍女を一瞥(いちべつ)すると、低くかすれた声で短く答えた。


「……ごめんなさい。あまり興味がないの」


 侍女は戸惑いの色を浮かべて「さようでございますか……」と一礼する。パルメリアには、その表情さえまるで他人のように見えた。困惑させたことが罪悪感として胸に生まれないわけではないが、それ以上に、何かを動かそうという意欲が湧いてこないのだ。


 侍女が気まずそうに去っていく気配を背中で感じながら、パルメリアはもう一度、ゆっくりと息を吐く。


(私が動けば、また誰かを巻き込み、血に染まる結末しか待っていない。どうして、それを繰り返さなければならないの?)


 自身へ向ける問いかけは、どこからも答えを得られず、空を舞うだけ。彼女はそのまま廊下を進み、自室へ戻ることにする。途中、数人の使用人が彼女に視線を送り、軽い会釈をするが、パルメリアは返事すらしない。ただうつむいて、早足でその場を離れる。


 自室の扉に手をかけるとき、内心で苦々しい思いがこみ上げる。かつて大切に思っていた空間に戻る気も起きないのに、他に行くあてもないという現実。扉を開いて中へ足を踏み入れると、そこは薄くカーテンが引かれ、淡い光がわずかにベッドや机を照らしているだけだった。


 部屋の空気は落ち着きがあるはずなのに、今のパルメリアにはそれがむしろ(うと)ましい。しんと静まり返った空間が、自分の心の中を映し出しているような気がしてならない。


 彼女はそのままベッドに腰を下ろし、肩を落として天井を仰ぐ。じわじわと脳裏に広がるのは、またしても革命の断片的な記憶。


 一瞬、赤黒い焔に染まる街がフラッシュする。血に濡れた石畳を走り抜ける人々の悲鳴や、糾弾の声が耳の奥で蘇る。さらに、夜の闇に乗じて行われた粛清――手を下したのは自分自身だという記憶が脳裏をかすめるたび、彼女は小さく唇を噛んだ。


(もう二度と、自分の手で血を流すくらいなら……何もしないほうがいい)


 脳裏に浮かんだその断片的な台詞は、かつてパルメリアが自らに言い聞かせたもの。誰かを救いたいと願いながら、そのために血を流すことを選んだという矛盾。それがどれほど恐ろしい悲劇を生んだか、彼女は骨身に染みて思い知っている。


 今さら何をしても、あの時のように道を踏み外し、独裁へ転落する可能性が拭えないのだ。


 彼女はベッドの上で軽く背を丸め、顔を両手で覆う。無音の部屋に、自分の浅い呼吸だけがかすかに響く。ときどき、シーツを握りしめる指先が震えているのが自分でもわかった。


 思えば、まだこの屋敷にこもり始めて間もないころ、彼女は「いつかまた立ち上がれるかもしれない」などという淡い望みを、一瞬だけ抱いたような記憶がある。だが、それは次々と蘇る断片的なフラッシュバックによって打ち砕かれた。薄暗い部屋の奥で、生々しい過去の亡霊が彼女を離さないからだ。


 ひとつ、ふたつ、と深呼吸をして、目を閉じる。空気を肺に満たすだけで、頭の奥に奇妙な痛みが走る。こうして落ち着こうとするたび、粛清や裏切り、あるいは民衆に囲まれた処刑台などの記憶が不意打ちのように襲ってくる。


 とても正常な精神でいられる気がしない。


 彼女は自分がやったことを(ゆる)したわけではない。むしろ、罪悪感や後悔の念は強まるばかりだ。でも、何をどう反省しても、結局は同じ悲劇の結末をたどるしかないのではないか――という思いが支配的になっている。それならば、はじめから何もしなければよいのではないか、とすら考えるようになった。


 部屋の窓からはかすかな光が差し込み、床の一部だけが淡く照らされている。そこに落ちる埃の粒が、舞いながらきらきらと明滅を繰り返す様は、どこか幻想的とも言えなくはない。昔の彼女なら、そうした些細な美しさを好奇心いっぱいの瞳で眺めただろう。


 だが今は、その光すら鬱陶しく感じるだけだ。


 ふと、廊下のほうで何やら使用人たちの話し声が聞こえる。彼女の様子を案じているのだろう。「お嬢様、まだお加減が悪いのでは」「どなたか医師を呼ぶべきかも……」といったやりとりが、遠くに響く。だが、それを聞くほどにパルメリアはまた苦しさを覚えた。心配されたところで、自分自身が助かるわけではないのだ、と分かっているからだ。


(また、私を甘やかすのね。彼らは何も悪くないのに……私がどれほど多くの人を殺めてきたか、知らないから)


 視線を落とし、そっと両手を握ってみる。指先の感触は温かいはずなのに、彼女にはそれがまるで自分のものではないように思われる。前の人生で、この手がどれほどの血を招いたか考えると、もう同じ過ちは繰り返したくないと強く思う。


 けれど、そんな強い決意を抱いたところで、世界が再び回り始めれば、やはり同じ運命をたどるのではないか。あのときは革命という名のもとに「粛清」を繰り返し、それが当たり前だと信じるまで自分を狂わせた。今、似たような状況が訪れれば、自分の内に潜む「狂気」が再び目覚めるかもしれない。そう想像するだけで、背筋が寒くなった。


「……嫌」


 かすかな声が、自室の空気を震わせるほどの力もないまま、かすかに零れる。誰の耳にも届かない否定の言葉――それでも、本人にとっては今の気持ちを端的に表す大切な声だった。

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