第13話 知識の橋渡し①
コレット公爵領の改革が徐々に形を成し始めたころ、一通の手紙がパルメリアのもとへ届いた。
送り主の名はクラリス・エウレン。学問の都として名高い地方の研究所で注目を集める若き女学者だという。手紙の冒頭には、パルメリアが進める農業改革や教育の取り組みに強い関心を持ち、自分の研究が役に立つならば協力したいという熱意が、丁寧な筆致でびっしりと綴られていた。
(遠方にまで私の改革が伝わっているなんて……。これは大きなチャンスかもしれない)
そんな期待を胸に抱きつつ、パルメリアは早速クラリスを屋敷へ招く手配を進める。周囲の家臣や侍女たちは「見ず知らずの学者を領地に呼ぶなんて前代未聞です」と戸惑いを隠さないが、彼女は動じない。今の彼女にとって、領地改革の糸口となる可能性を見逃す余裕はないのだ。
数日後、クラリス本人が実際にコレット公爵家を訪れた。控えめな物腰で礼儀正しく振る舞う一方、どこか鋭い探究心が瞳に宿っている。その姿を初めて見たとき、パルメリアは「この人なら信頼できそう」と直感した。
館の一室で対面したクラリスは、素朴なドレス姿にリボンでまとめた髪を揺らしながら、一礼して静かに口を開いた。
「クラリス・エウレンと申します。お目にかかれて光栄です。パルメリア様の改革について噂を聞き、私の研究がお役に立てるならば……と思い、こうしてお伺いした次第です」
クラリスの姿は、貴族の娘というより一介の学者然としている。だが、その静かな声と明朗な表情には、同時に自信と探究心がにじんでいた。パルメリアは微笑を返しながら、「研究とは具体的にどういった分野なの?」と尋ねる。
「医療や上下水道の整備、建築素材の改良、それに農業技術の発展など……社会の基盤となる分野を幅広く研究しています。私の成果が人々の暮らしを豊かにするなら、こんなに嬉しいことはありません。ですから、パルメリア様の領地で実験的に導入させていただけないかと」
その言葉には、実験や研究に伴うリスクも厭わないという覚悟が透けて見える。パルメリアはそれを感じ取りつつ、うなずきながら応じた。
「農業や教育を軸に改革を進めてはいるけれど、医療や上下水道の改善にも興味があるわ。領民の生活は農業だけじゃ救えない部分も多いはず。とはいえ危険な実験は避けたいから、あくまで人々の生活を脅かさない範囲で協力してほしいわ。いい?」
「もちろんです。私も研究目的のために人々を犠牲にするつもりはありません。人々の暮らしを支えるのが学問の本懐……。そこを忘れては、ただの机上の空論にすぎませんから」
クラリスの言葉に、パルメリアはほっと安堵したような眼差しを向ける。前世で培った知識を活用しようとする自分と同じように、この世界でも新たな学術を実践に移そうと奮闘する仲間がいる――その事実は、彼女の胸に大きな期待をもたらした。
実は、クラリスがパルメリアへ送った手紙には、いくつかの具体的な研究成果が記されていた。例えば、畑の水はけを良くするための地質学的なアプローチや、害虫対策における自然由来の薬品の使い方、さらには簡単な上下水道を整備することで衛生面を改善し、疫病を減らす取り組みなど――どれもコレット領には馴染みの薄い、あるいは貴族が軽んじてきた分野ばかりだ。
(学問の都でこんな研究が進んでいるなんて……。もしこの知識を領地に導入できれば、もっと大きな進歩が望めるかもしれない)
パルメリアは改めて、クラリスが書き送ってきた文書を紐解く。専門用語が並んでいてわかりにくい部分もあるが、彼女自身、前世の知識があるため、何とかイメージをつかむことができる。
「排水路を効率化するための地形調査の手法」「簡易消毒を行うことで外科治療の成功率を高める技術」「上下水道の原理を応用した灌漑システムの構想」――どれもこの世界では進んだ領地ですら十分に普及していないアイデアだ。
「すごい……こんな技術が実現すれば、村の水源問題や疫病の流行も抑えられるんじゃないかしら」
彼女は、つい感嘆の息をつきながら手紙を読み返す。もちろん、実用化までの道は遠く、人手や費用もかかるはず。しかし、未来を大きく変える可能性を感じずにはいられない。
そんな期待を抱いたパルメリアは、クラリスを館へ招き、面と向かって話す場を設けることにした。迎賓室には地図や書類が広げられ、二人で山積みの課題を見下ろしながら話し込む。
クラリスは緊張気味ながらも、研究者らしい熱心さで語る。
「私が調べている新しい耕作法は、土壌が連作障害を起こさないようにする仕組みです。以前、パルメリア様の輪作に関するお話を拝聴し、そこにさらなる改良を加えられないかと考えていまして……」
「なるほど。すでに輪作は少しずつ成果を出しているわ。でも、その先の改良となると……費用や農民の手間が増えるかもしれない。慎重に導入する必要がありそうね」
パルメリアは肩をすくめながらも、興味深そうに耳を傾ける。ここで一気に拡大して混乱を招くより、試験的に一部地域から始めたいという、これまでの方針に合致するやり方を提案できるかどうかが鍵だ。
続いてクラリスは、まるで自分の宝物を紹介する子どものような熱量で、上下水道の仮設計図を広げる。きちんとした配管や排水路を引ければ、村の衛生状態は大幅に改善し、疫病の流行を抑えられるという論理が、細かくまとめられている。
「もちろん、規模の大きな工事になりますから、すぐには実現しにくいかもしれません。でも、部分的に導入して成果を確認し、段階的に広げることができれば……」
「上下水道の整備、ね。財源もそうだけど、職人の確保が大変そう。まあ、やり方によっては、害虫対策や疫病予防にも繋がるわね。私自身、そんな理屈が通用する世界があるなら、ぜひ見てみたい」
パルメリアは目を輝かせながらつぶやく。この世界では、貴族の屋敷ですら上下水道が整っていない場合が多く、衛生面の問題を放置しがちだ。彼女は前世の知識とクラリスの研究が合わされば、新たな扉を開けるかもしれないと感じている。
ただし、クラリスも「研究には多少のリスクが伴う」と自覚しており、その点を強調することを忘れない。
「未知の技術を導入するには、試行錯誤が避けられません。材料が不十分だったり、地形に合わなかったりすれば失敗するでしょう。人手と費用も相当かかる。それでも、何もしなければいつまでも領民の暮らしは改善しないという思いが私にもあります」
パルメリアは少し考え込むように口元に指を当て、静かに答える。
「あなたが言う通り、むやみに大規模な実験をするのは危険だわ。だから、まずは小さな範囲から始めて、成果や安全性を確認する。これまでやってきた輪作や排水路の整備と同じように、段階を踏んで進めましょう。私が常に確認して、領民の安全を優先する。それを守ってくれるなら歓迎するわ」
「もちろんです。私も、犠牲を出すための学問ではなく、みんなを助けるための研究をしたいのですから」
クラリスのその言葉には、真摯な情熱と、研究者としての確信が混ざり合った響きがあった。パルメリアはその姿勢に安堵と共感を覚え、「あなたの研究と私の改革が合わされば、きっとすごいことができるはず」と胸を高鳴らせる。
とはいえ、王国全体を見渡せば、こうした先端的な学問や技術に対しては警戒が強い。保守派貴族の中には「知らぬ技術など魔術と同じ」と断じたり、「下手に領民の暮らしを上げると身分制度が崩壊しかねない」と批判する者も少なくないだろう。
それでも、パルメリアはクラリスとの出会いを好機と見ていた。農業改革や教育普及に留まらず、さらに大きなスケールで領地全体の生活を底上げできる可能性があるのだ。前世の知識だけでは限界があるが、クラリスの研究という「この世界の最先端」を組み合わせれば、一層強力な改革の柱を作れるかもしれない。
(知識は誰かの独占物じゃない。いずれ王国中が理解すれば、技術は広がり、多くの人が救われる。今はまだ一部の人だけが知っているものでも、私たちの行動次第で変わっていくかもしれない)
パルメリアはそんな予感に、心底胸をときめかせていた。これまでは「ゲームの知識」と自分の努力だけが頼りだったが、ここにきて「現地の学問」が力強い味方となり得る。まさに「知識の橋渡し」が始まろうとしている。




