第98話 革命の果てに②
首都の中心にある議事堂の一室では、レイナー、ユリウス、クラリスをはじめとする新政府の主要メンバーが顔を合わせていた。
テーブルには地図やメモが散らばり、どこか殺風景ながらも「新しい国づくり」のための意欲が感じられる。昨夜のうちから急ぎ整備した暫定政府の組織図や、外交方針のたたき台などが並べられ、あちこちにインクの跡や書き加えられた修正が走っている。
「都市部の復興が急務だけど、農村もこのままじゃ飢餓と疫病が深刻化する。どちらを先に救済すべきか……難しいな」
レイナーは書類を睨みながら、声を落とす。彼はパルメリアの最期を見届けて以降、虚脱感を抱えたまま、夜も眠れずに考え続けていた。
ユリウスは天井を仰ぎつつ、「両方やらなければ……。同時進行で。手が足りないのはわかっているがどちらかを後回しにしたら、また不満が爆発しかねない」と答える。
クラリスは手元のノートをパラパラとめくっている。
「医療設備や学校の再建も急がないと……。子どもたちがこのまま学びの場を失えば、国の未来が根本から損なわれてしまいます」
そんなふうに意見を交わすが、具体策はまだ固まらない。財源も人員も著しく不足し、しかも国際関係も不安定だ。かつてパルメリアが侵略戦争をしかけた隣国はまだ警戒を解かないだろうし、今すぐ友好ムードに転じるのは難しい。
「でも、やるしかない。王政が滅び、パルメリアもいなくなった今こそ、僕たちが作り上げるべきだ。――二度と同じ過ちを繰り返さないために……」
レイナーの言葉に、ユリウスとクラリスは互いに目を合わせて力強くうなずく。やり場のない悔恨を抱えながらも、歩みを止めてはいけないという思いが、三人を再び繋ぎ留めていた。
一方、広場では今もなお処刑台の姿が残る。周囲に人影はなく、朝日だけがその板張りと縄を照らしている。
かつては民衆が怒りをぶつけ、あるいは憎悪と悲しみに打ち震える場でもあった。その中心に君臨していたパルメリアは、もはやこの世にいない。
誰かが台の近くを通れば、足元に散らばる木片や血の痕が視界に入るかもしれない。だが、今は人の往来がほとんどないため、静寂のうちに時間だけが過ぎ去る。
風が吹き、埃まみれの台の上で縄がかすかに揺れる。まるで、そこにかつての「悪役」の影が残っているかのように、淡い輪郭を描いているようでもあった。
もしこの台が言葉を持っていたら、どんな叫びを上げるだろう。彼女を裁いたのは誰か、彼女が失ったものは何か、そしてこの国が得たものは何か――その答えを誰も知らないまま、朝日がすべてを照らしていく。
しかし、やがてこの処刑台も解体され、新政府によって撤去される運命だろう。一度は自由と理想を掲げた英雄の最期を、このまま見せ続けるわけにはいかないのだ。歴史の傷痕としてはあまりにも生々しい。だが、この台を取り壊したところで、パルメリアの残した爪痕は消えない。
彼女は確かに、この国を変えようとしていた――それは王政を打倒した革命であり、独裁へ至る道でもあった。いずれどこかで、この処刑台のあった場所を記憶に留めたいと願う者が現れるかもしれない。それほどまでに、この広場は激動の歴史を映し出している。
――こうして振り返れば、王政の崩壊から始まった「革命の物語」は、ひとまずの終わりを迎えた。しかし、それは同時に新しい物語の始まりでもある。
どれほど荒廃していようとも、どれほど深い悲しみがあろうとも、人は生きていくしかない。レイナーやユリウス、クラリスをはじめ、暫定政府の面々は、すでに「次」を見据えて動き始めているのだ。
首都の外れにある小さな教会では、早朝から炊き出しの支度をする市民たちがいる。革命に積極的には関わらなかったが、独裁に苦しんだ経験を持つ者たちも多く、孤児や負傷者に少しでも食事を届けようと声を掛け合っている。
「この国には、まだまだ苦しむ人がたくさんいる。たとえわずかな分け前でも、支え合わなくては」
そう言いながら、鍋で煮たスープを配る老婦人の姿があった。彼女は王政時代にも貴族に仕えていたが、その冷酷さに耐えられず逃げ出し、パルメリアの革命に賛同した過去を持つ。しかし、あの独裁ぶりに絶望し、今はただ市民同士が助け合うことこそ大切だと信じているという。
こうした小さな連帯が、やがて国を救う大きな力になり得るのかもしれない。諦める者ばかりではないのだ。涙を流しながらも、なお前を向こうとする人々が確かに存在する。
もう「英雄」はおらず、「独裁者」もいない。自分たちの手で世界を創り出すしかない――その現実を、人々はしみじみと感じ始めている。
広場の処刑台が取り壊されるのも、そう遠くないだろう。だが、その場所に刻まれた記憶は消え去らない。誰もが黙して語らずとも、あそこが何の舞台だったかはしっかり覚えているからだ。
王政が崩壊し、パルメリアが生まれ、そして彼女が独裁を敷き、人々は再び革命を起こした――それがこの国の歴史。これから先は、この深い傷を抱えたまま歩んでいくしかない。それでも、朝日は昇る。血の匂いが残る広場にも、確実に新しい光が差し込むのだ。
朝が明るさを増すにつれ、首都の空は淡い薄紅色から青みを帯び始めていた。荒れた空気の中に、少しだけ暖かさが混ざる。
あの日々の戦い、数えきれない命の散華。王政も独裁も過去のものとなり、第二の革命も勝利を収めた今、果たしてこの国は何を得て何を失ったのだろうか。
レイナーやユリウス、クラリスの姿を思い浮かべれば、少なくとも彼らは諦めてはいない。いつの日か、本当に誰もが安心して暮らせる国を作るために。ガブリエルやロデリック、そしてパルメリア――失ってしまった多くの仲間や命を無駄にしないためにも、その決意を胸に刻んでいる。
「革命の果て」とは、苦悩や悲嘆の底にある虚無だけを指すのかもしれない。あるいは、一筋の光が射し込む再生の入り口を指すのかもしれない。
パルメリアを葬り去ったことで手に入れた自由は、まだ芽吹いたばかりの脆い存在だろう。けれども、そこには確かに希望の種が眠っている。王政も独裁も超えた先に、新しい時代の息吹がある。
人々は流れる時の中で、もう一度自らの手で生活を築き、子どもたちを育て、学問や文化を育てようとするだろう。それがいつか大きな花を咲かせるのか、それとも再び権力の魔物に呑まれてしまうのかは、誰にもわからない。
しかし、物語はそこで終わらない。流されてきた血と涙を決して忘れずに、次の世代へバトンを渡していく。そのプロセスこそが、間違いなく「革命の果て」にある新たな始まりなのだ。
「……そう、私がたどり着いた結末は、こんな惨めなものだったのね。
あれほど抗って、あれほど血を流したというのに……結局、倒される側になるなんて。
転生先で王政を覆して革命を起こしたはずが、『独裁者』と呼ばれて自分が処刑されるだなんて……笑うしかないわ。
……事故で終わったはずの私の人生。
それでも、この世界では違う未来が待っているって――あの頃は、そう信じていたの。
けれど結局、王政を倒しても悲劇は終わらず、私が失わせた命の重さだけがここに残った。
『悪役』の運命から逃れたと思ったのに、結局は同じ破滅を迎えたの。
愚かだと笑ってくれたって構わないわ……そう、私こそが一番の『罪人』なんだから。
でもね、最後に見たあの光景――
怒号と悲鳴と、血に染まった地面。
私が止まれば、誰かが笑顔でいられたのかもしれない。
それでも……立ち止まれなかった。革命の旗を投げ出すのが怖くて……その先の未来を信じるのが、怖くて……。
『悪役令嬢』として始まった私の転生劇は、こうして幕を下ろした。
それでも、この国の物語はきっと終わらない。
私の命が尽きても、また誰かが歩き出すでしょう。
この苦しみと矛盾を抱えた世界が、いつか本当の光を見つけられるのなら……それでいいわ。
ふふっ……。最後の笑みが狂気に見えたとしても、私はそれで構わない。
誰にも消せない痛みを抱えたまま、私は終わりを迎えた。
……もう、この世界には生まれ変わりたくない。次こそ、どうか……静かな眠りを――」
ほのかな声音が風に溶けた時、そこにはもう誰の姿も見えない。処刑台とロープだけが、血と涙の記憶を宿したままたたずんでいる。
人々は広場を後にし、国は新たな時代へと向かい始めた。パルメリア・コレットという名は、多くの傷痕を伴って歴史に刻まれることだろう。
――それでも、悲嘆と後悔の底で見上げた朝日は、容赦なくこの地を照らす。
彼女が消えた今、もはや「革命」も「自由」も、あの日々の亡霊にすぎなくなるのか。
だが、彼女が最後まで見据えたもの――それは、血と涙を経てもなお、人々が次へ進むかもしれないという淡い期待だったのかもしれない。
こうして物語は一つの幕を下ろす。
独裁者として処刑された彼女が、最期に浮かべた微笑――その真意を知る者は、もういない。
だが、崩れ落ちた瓦礫の上に降り注ぐ朝の光が、ゆっくりと国を染めていく。
かつて「革命の英雄」と呼ばれた者の亡きあとも、世界は動き続ける。
そう、全てが失われたわけではないのだ。薄紅に染まりゆく空の下、人々は歩みを止めず、それぞれの明日を模索していく――
そして、これこそが彼女が「革命の果て」で見届けようとした最後の輝きなのかもしれない。
(第二部 完)
(第三部へ続く)




