第96話 革命の終焉①
夜明けの薄紅が、空をわずかに染め始めた頃――首都の中央広場には、重苦しい熱気が渦巻いていた。そこは、かつて王政崩壊を祝う民衆の歓喜に包まれ、希望の叫びがこだました場所。だが今や、同じ場所が「独裁を終わらせる」ための処刑台として暗澹たる空気を漂わせている。
粗末な材木と鉄骨で組まれた処刑台は、早朝の淡い光を受け、まるで巨大な影のようにそびえていた。周囲には黒い布を羽織った兵士が警戒するかのように固く武器を握り、新政府の役人たちが悲痛な面持ちで視線を落としている。激しい怒号や罵声をあげる群衆の姿もそこかしこにあった。憎しみ、痛み、嘆き――全てが混ざり合い、この朝を地獄のように熱くする。
だが、その殺気立った群衆の中央で、女は一人、首に縄がかけられながらも、まるで別世界の住人のように凛然と立っていた。
パルメリア・コレット――王政を倒し「革命の英雄」と称えられながらも、多くの粛清と外征の末に「独裁者」と化し、最期に「第二の革命」の手で打ち倒された女。
その姿こそ、粛清の元凶を裁く「正義の鉄槌」だと語る者もいれば、かつての希望の火を灯した英雄が葬られる現実に涙を浮かべる者もいる。
彼女を責める声、悼む声、そして沈黙する者――そのどれもが混在し、収拾がつかないまま朝日は昇りつつあった。
(――ああ、これで本当に終わるのね。私の革命も、私自身も……全てが、ここで幕を下ろす)
その首は、固く縛りあげられた縄に絡み取られ、かすかな痛みを伴っていた。それでもパルメリアは肩の力を抜き、まるで皮肉げに唇をゆるませる。かつての「狂気」が嘲笑として現れていた頃とは違い、今は限りなく静かな、すべてを諦めたような「ふふっ」という冷笑でしかない。
いや、その内奥には確かに悲しみもあるのかもしれないが、それを表には出さず、ただ「悪役」としての最後を完遂しようとする矜持が、彼女を奮い立たせているように見える。
「悪役令嬢」として転生したパルメリアは、かつて王政を倒し革命を導いた偉大なる英雄。だが今は、その女が広場の中央で命を落とそうとしている――。この対比があまりにも生々しく、民衆の中には激昂する者、呆然と立ち尽くす者、あるいは失笑混じりに「あれほど強かった英雄が、こんなにも簡単に……」とつぶやく者がいた。
「死ね、化け物め! 俺たちの恨みを思い知れ!」
「お願い……やめて……あの人は、王政を倒してくれた恩人だったのに……」
怒号と泣き声がないまぜになり、広場はまさに修羅の巷。圧倒的な衝撃が人々の胸を締めつけ、この朝焼けの空気を重苦しくしている。
数日前まで、パルメリアを「独裁者」として憎んでいた者も、いざ目の前で処刑を見ると胸にかきむしられる思いを抱いているらしい。かつて王政に苦しめられた記憶がよみがえり、自分たちが憎んだのは「圧政そのもの」であって、「彼女の全て」ではなかったのではないか――そんな戸惑いまで生んでいた。
(……歴史の皮肉ね。私が革命の先頭に立った時、誰がこの結末を予想したかしら? あの時、私は確かにこの国を救おうとしたのに)
パルメリアは民衆の罵声を耳にしながら、一瞬、まぶたを伏せて苦笑する。彼女はきっと、この矛盾や理不尽を端からわかっていたのだ。だからこそ、一歩も退かず、首にかかった縄の痛みにすら動じない。――最期まで「悪役令嬢」として堂々と幕を下ろす。それが彼女の誇りの証かもしれない。
処刑台を取り囲む騎士や兵士の後方には、レイナー、ユリウス、クラリス、そしてガブリエルが集っていた。
「第二の革命」を主導し、独裁者パルメリアを倒した彼らだが、心境は勝利に酔うどころか、深い喪失感に苛まれている。その表情は、見る人の胸を締めつけるほど痛々しい。
(これで、本当に終わりなのか? あの時、僕たちは同じ理想を語り合っていたのに……)
レイナーは顔を伏せ、声にならない独白を抱え込む。かつて幼馴染として、パルメリアと笑い合った記憶が脳裏に去来し、言葉にならない苦しみがこみ上げる。
ユリウスは拳を握りしめ、視線を処刑台に注ぐ。泣き叫びたい衝動を抑え、「ここで目をそらしては、何のための革命だったのか……」と自分を責める。
クラリスは小さく震えながら、かつて科学技術や教育改革に夢をかけたあの頃を思い返し、涙を流す余裕すらない。自分たちが望んだ未来と、現実のあまりの落差に心が千々に乱れる。
ガブリエルは騎士として、パルメリアを護ると誓いながらも護れなかった無力感を抱えていた。今更ながら、何のために剣を振るったのか、自分が何を守りたかったのか――全てが疑問となり、足が震えるのをこらえるのが精一杯だ。
(……騎士として、私は何もできなかった。この剣で、一体何を守ったと言えるのか)
彼はうつむきかけた顔を上げ、かろうじて視線を処刑台へ向ける。そこにたたずむパルメリアの姿――首に縄がかかりながらも、一点の曇りもないような凜然とした姿勢。それが、逆に彼の心をえぐり、深い慟哭を呼び起こすのだ。
太鼓が激しく鳴り響き、法務官が民衆を制止しようと声を張り上げる。
「全員、静粛に! これより独裁者パルメリア・コレットの死刑を執行する! ――騒乱は許されない!」
しかし、民衆は一瞬黙りこむものの、その背後では号泣や漏れ聞こえる悲痛な呻きが止まらない。今この時、無数の感情が嵐のように広場中を吹き荒れている。
そんな中、パルメリアは動じることなく、首についた縄をわずかに動かして確認するように視線を落とす。首が苦しげに締まり始めても、依然として「ふふっ……」という嘲り混じりの微笑をたたえている。
かつての狂おしい嗤いとは違い、静かで冷めた笑い――まるで「全てがどうでもいい」とでも言うように、諦念と達観が織り交ざった笑いだ。
(そうよ、これが私の最期。――誰もが私を憎み、私を殺すことで気が済むのなら、私はそれを受け入れてあげる。ふふっ……いいわ。最後まで「悪役」を演じ切ってあげる)
そっと微笑んだまま、パルメリアは目を閉じる。処刑台に立つ彼女の姿は、儚い美しさすら帯びている。荒れ果てた衣服や汚れた髪が、その悲惨な状況を際立たせながらも、一方で最期の誇りを象徴しているかのようだ。
観衆のうち幾人かはそのたたずまいに息を呑み、「どうしてこんなに堂々としていられるのか……」と口をこぼす。怒りの声も、嘲笑も、最期には別の形に変わっていく。
レバーを引く役目を負った執行人の顔は蒼白だ。王政を倒した伝説の英雄を、自分の手で葬る――どれほど民衆が求めようと、この役目が重い事実は変わらない。
それでも、法務官が「執行せよ」と合図し、太鼓がテンポをあげて鳴り響く。広場の空気が一斉に張り詰め、一瞬にして人々の声が消え失せるように静まった。
パルメリアは、そんな緊迫した気配を感じ取りながら、首筋にかかる縄を再確認する。苦しみや恐怖を感じないわけではない。それでも、今の彼女に失うものは何もない。
そして、静かに瞳を開き、まばゆい朝日を仰ぐ。空にはまだ雲が垂れ込め、光はどこか鈍色を帯びているが、それさえも「革命」の終焉を告げる舞台装置のように見える。
かつて、同じ空の下で「理想」を掲げて剣を振り上げた自分を思い返し、苦笑がこみあげる。
(私はこの国を守ろうとしたはずだった。でも、気づけば私は自らの手でこの国を壊し、血に染まった支配の中に立っていた。ふふ……前の世界の記憶なんて、もはや遠い幻にしか思えないけれど。転生してまで生きた意味は、いったいどこにあったのかしら?)
彼女は薄く笑みを漏らし、唇を動かした。独白とも呼べるその声は、近くにいた兵士や法務官にも微妙に聞こえていたらしい。
誰かがぎょっとして震える。彼女の台詞が、最後まで「悪役」としての魂を宿しながら、それを語る声に「不思議な美しさと恐ろしさ」を感じたのかもしれない。




