第11話 巧妙な反撃②
貴族たちを見送った後、パルメリアは家令たちとともに別邸の応接室に戻り、深い息をついた。オズワルドが控えめに進み出て、ささやくように声を落とす。
「お嬢様、お見事でした。まさかあの方々が、あそこまであっさり譲歩するとは……もっとも、あれは一時的な手段にすぎませんが」
「ええ、わかっているわ。ベルモント派が本気で手を引くとは思えない。今回は証拠を突きつけて足元を揺さぶっただけ。相手は完全に諦めることはないでしょうね」
パルメリアはどこか冷静な眼差しを保っている。確かに、今夜の取引で妨害は一旦収まるだろう。しかし、相手が巨大な権力を持つ以上、次なる一手を必ず用意してくるはずだ。
彼女はテーブルに広げていた文書を一つずつ確認し、落ち着いた手つきで封筒にしまっていく。まるで“今回の勝負はこれにて終了”と示すかのように。
「でも、今はこれで十分。私たちの改革を邪魔されない時間が欲しかったの。あの人たちも、今のところ下手に事を荒立てて自爆するリスクは避けたいはずよ」
「お嬢様の仰るとおりです。とにかく、しばらくの間は交易を再開できるでしょうし、徴税請負人の動きも大人しくなるかと」
オズワルドが微笑を浮かべる。パルメリアは短くうなずき、夜会で緊張しきった心を緩めるように紅茶のカップを一口含む。
外では月が高く昇り、別邸の庭を淡い光で照らしている。夜会が終わったあとの静寂が、かえって今回の駆け引きの激しさを際立たせるようだ。
(これで一息つけるけれど、これからが本番。ベルモント派は私の改革を警戒している以上、次の手を打ってくるはず)
そう心の中で独白するパルメリア。相手が王国屈指の権力を持ち、政治工作の手段も数多く有していることは痛いほどわかっている。だからこそ、彼女は先んじて証拠を握り、「駆け引き」のテーブルにつかせることで時間を稼いだのだ。
領地の改革はまだ始まったばかり。農業改革や学舎での教育普及も成果が見えはじめた段階にすぎない。ここで妨害が再燃し、大きな衝突に発展すれば、せっかく得た希望がまた遠のいてしまうだろう。
パルメリアは、それを避けながら改革を続けるには、敵の攻勢を抑える「巧妙な反撃」こそが必要だと確信していた。
夜会の後片付けを終え、侍女たちが退室していくと、パルメリアは別邸の応接室に一人残ったまま、窓辺から庭を見下ろした。
暗闇に溶け込むようにして、月光を映す噴水が小さくきらめいている。この静寂の中で、彼女は自分の胸に湧く感情をじっと確かめた。勝ったという実感より、「これでようやく時間が稼げる」という安堵感が大きい。
そして同時に、ベルモント公爵派が今後どんな手段を講じてくるのかという予測が、頭の奥で渦巻いている。腐敗を隠す彼らは、自分たちの利権が失われることを何より恐れるだろう。そのためには、どんな策をも辞さない可能性がある。
「でも、それでも立ち止まるわけにはいかない」
パルメリアは誰にも聞こえないほどの小さな声でつぶやいた。破滅を回避するためだけではない。自分が率先して打ち出した農業改革と教育普及の道を、このまま潰されては領民の未来を危うくする――その思いが、彼女をさらに奮い立たせている。
ふと目を閉じると、畑で笑顔を見せた農民たちや、学舎で文字を覚え始めた子どもたちの姿が脳裏に浮かぶ。彼らの生活を守るためにも、パルメリアはこの戦いに負けるわけにはいかない。
数日後、ベルモント派の妨害工作は一時的に下火となった。検問所での強引な荷物の差し押さえも減り、徴税請負人を名乗る集団の動きも沈静化する。取引ルートが徐々に回復し、行商人たちがコレット領に戻ってくるとの報告も届き始めた。
家令のオズワルドは「当面の脅威は去りましたね」と安堵するが、パルメリアは微笑むだけで、心からは気を緩めていない。あくまでベルモント派は一旦手を引いただけで、完全に諦めたわけではない。今後の改革拡大に合わせて、次なる一手を必ず仕掛けてくるだろうという確信がある。
(だけど、少なくとも今は改革を進める時間ができた。領地を立て直すためにも、この隙にさらに基盤を固めるしかない)
彼女はそう心の中で繰り返しながら、書類に走り書きを始める。農業改革や学舎の運営計画を加速させるため、新たな人材や物資を手配する段取りを大まかに組むのだ。
もし次に敵が攻めてきたとき、こちらが十分な成果を出していれば、相手の攻撃は簡単には通らない。賛同してくれる領民や商人が増えれば、保守派への大きな抑止力になるはず――そうパルメリアは信じている。
夜が再び訪れ、コレット家の館も静寂に包まれたころ、パルメリアは執務室で一人、机に肘をつきながら思案していた。ベルモント公爵派との駆け引きは成功し、今は小康状態。これこそが「巧妙な反撃」として彼女が選んだ道だが、勝負はまだ終わっていない。
窓の外に目をやると、星の瞬きが鋭く闇を彩っている。闇のなかにうごめく敵の姿を思い浮かべつつも、彼女の表情には決して怯えた様子はない。むしろ、炎のように燃える闘志が感じられた。
机の上には、夜会で使用した書簡の写しが綺麗に整理されている。そのうちの数枚を手に取り、パルメリアは静かに目を伏せる。
(これで全てが終わったわけじゃないわ。むしろ、ここからが本当の戦い。改革を継続するためにも、さらに証拠を押さえておくべきかもしれない)
同時に彼女は、今後の展開を思い描く。もしベルモント派がこのまま黙っていれば、それに越したことはないが、現実的には彼らが新たな策略を編み出すのは時間の問題だ。そのときに改めて圧力を押し返す準備を整えなければ、領地が再び翻弄されかねない。
だからこそ、パルメリアは手を止めるつもりはない。むしろ領地を守るために、更なる対策や保険を用意しておく必要がある。夜会での一時的な勝利は、あくまで“繋ぎ”にすぎないということだ。
数日後、コレット領の商人たちが徐々に戻り始め、取引が緩やかに回復していく。徴税請負人を名乗る集団も姿を潜め、農民たちの不安は一時的に和らいだ。
表面的には平穏が戻りつつあるが、パルメリアはこの平穏を“嵐の前の静けさ”と感じている。ベルモント公爵派がこれだけあっさり退いたのは、こちらが握っている不正の証拠を警戒してのこと。だが、それをどこまで有効に使い続けられるかは未知数だ。
邸内の廊下を歩く彼女の足取りは、以前より力強い。夜会での駆け引きによって、ひとまず改革を進める時間を得られたことが嬉しく、同時に次なる不測の事態に備えなければならないという緊張感がある。
(改革の道はまだ遠い。でも、私には後戻りする選択肢などない。領民を守り抜くためにも、この指先から零れ落ちる時間を無駄にできないわ)
パルメリアはそう心の中でつぶやき、廊下の先にある執務室の扉へと向かう。扉を開けると、オズワルドが既に書類を広げて待っていた。次の施策や追加の証拠集め、今後の教育や農業の拡大計画――やるべきことは山積みだ。
しかし、彼女の表情には迷いの影は見られない。夜会での反撃により手にした貴重な時間を最大限生かし、領地の未来を確かなものへと変えようとする強い意志が宿っている。
こうして、パルメリアは保守派との駆け引きを制し、当面の妨害を封じ込めることに成功した。だが、相手が完全に屈服したわけではない――これは壮大な闘いの序章であり、彼女にとっても準備の時間にほかならない。
書簡を整えて夜会の余韻を振り返ると、冷静に取引を進めた自分の姿が思い出される。あのときの駆け引きは、決して快感を得るためのものではなく、領地を守るために必要な行動だった。それを改めて自覚しながら、パルメリアは机に腰を下ろし、次なる戦略を練り始める。
(もう私は昔のように、ただ社交界を楽しむだけの公爵令嬢じゃない。改革を邪魔する者がいるなら、こちらも手段を選ばない。領地と人々の未来が懸かっている以上、負けるわけにはいかない)
彼女の瞳に燃える炎は揺るがず、室内の薄暗い光を映し出す。今は一時的に妨害が消えても、これから先はさらに大きな波乱が待ち受けているだろう――しかし、パルメリアはその波に飲まれるつもりはない。夜会での巧妙な反撃は、まだ全ての終わりではなく、これから繰り広げられる大きな戦いの幕開けにすぎないのだから。




