第90話 決起の合図④
その頃、ガブリエルは軍の一部隊を率い、大統領府の門前を包囲していた。門の向こうからは親衛隊が銃を向けていたが、すでに士気はほとんど失われている。
「司令官、相手は投降を考えているようです」
部下の小声に、ガブリエルは目をつぶり、短くうなずいた。
「やむを得ん……撃ち合う必要はない。降伏する意志を示すなら、早急に武器を捨てさせろ。無用な戦闘は避けたい……!」
古びた門がきしむ音を立て、ゆっくりと開く。その奥にいた親衛隊は、まるで糸が切れた操り人形のように武器を放り投げた。
「もうこれ以上、戦って何になる……!」
怯えと疲労がにじむ顔には、後悔や憤りが混じっている。しかし、ガブリエルにも同じような後悔がある。
(あれほどパルメリア様に忠誠を誓い、独裁を支えてしまったのは、他ならぬ私たちなのかもしれない……)
こうして、ほとんど大きな抵抗もなく、大統領府への道が開かれる。すぐにユリウスやレイナーが合流し、押し寄せた反乱軍が広大な敷地を包囲していく。ときおり響く銃声は、まだ一部で小競り合いが続いている証拠だが、その規模は大勢を左右するほどではない。
瓦礫と血のにおいが充満する広場に、徐々に集まってくる人々。誰の瞳にも、深い痛みと怒り、そして「最終決戦が近い」という高揚が同居していた。
レイナーは軍服の襟を正し、ユリウスは髪を乱暴にかき上げ、クラリスは医薬品を携え、かけ寄ってくる仲間たちと情報を交換する。
「よし、これでほぼ首都の大半が我々の手に落ちた。残るは……パルメリア本人をどうするか、だ」
ユリウスのつぶやきが、周囲の空気を一気に引き締める。
人々の視線は自然と大統領府の正面玄関へ集まる。そこは厚い扉で閉じられ、中からの物音は聞こえない。保安局の主要幹部たちも逃げ散った今、もしかするとあの中でパルメリアが最後の抵抗を企てているのかもしれない――あるいは、すでにどこかへ逃亡したのかもしれない。
どちらにせよ、ここで独裁を終わらせるには、彼女との決着が必要だ。
ユリウスとガブリエルは視線を交わす。ふたりにとって、パルメリアは王政を倒したころの仲間だ。それを今、この手で倒さなければならない。並大抵の苦しみではない。
ガブリエルは歯を食いしばり、剣を握る手を強く震わせる。
「……私は覚悟を決めた。あなたたちと共に、パルメリア様を――」
言葉をのみ込みながらもうなずくその姿に、ユリウスは瞼を閉じ、痛ましい沈黙で返す。
レイナーは拳を握りしめ、もう一度大きく息を吸った。首都の人々が自分たちを見守っているのがわかる。彼らは「革命の成功」を信じて今ここにいるのだ。
「……行こう。これで、全てが決まる」
その短い言葉に、周囲の兵や民衆からも小さな決意の声が漏れる。
王政を倒したとき、パルメリアはこの広間で凛々しく勝利を宣言した。人々は「彼女こそが英雄だ」と賞賛し、新時代の幕開けを祝った。その場所へ、今度は「第二の革命」を掲げる人々が、血と涙まみれの姿で乗り込むことになるなんて、誰が想像しただろうか。
これは歴史の皮肉と言わずして、何と言えるのか――。
深い夜の闇が、うっすらと白み始めている。夜明け前は、最も暗い時間帯でもある。しかし、その暗闇を切り裂くように、ここに集う民衆たちは悲壮なまでの意志を燃やしている。
「もう二度と、こんな支配を許さない」「飢えと恐怖から解放されたい」――そんな思いが人々の胸に渦巻き、それが大きな渦となって「独裁者を倒す」熱量を生み出しているのだ。
ユリウスは大きく声を張り上げる。
「聞け! これより、俺たちはパルメリア・コレットを倒す! この国を取り戻すため、再び革命を起こすんだ! ……王政を倒したときとは違う。血も涙も、もう散々に流してきた。だが、ここで踏みとどまらなければ、未来はない!」
その叫びに応えるように、周囲から「おおっ!」という低い唸り声が上がり、鎧や武器を鳴らす音が続く。人々の肌が粟立つような熱気と焦燥感が混ざり合い、まるで地面が震えているかのようだ。
レイナーとクラリスも、それぞれ仲間たちに小さくうなずき、意志を固める。保安局がどれだけ抵抗してこようとも、もう引き返さない。ここで決着をつけるしかないのだ。
ガブリエルは、兵士たちを見渡してから唇を引き結んだ。
「……今こそ、パルメリア様に決断を下すときだ。悔いることは多いが、私はこの剣で、もう一度『正しき道』を貫く」
部下たちは誰もが重い面持ちで敬礼を返す。かつてはパルメリアのために剣を振るってきた者も多いが、今は彼女を倒すためにその剣を構えている。その複雑な思いを胸に、彼らは一歩前へ進むのだ。
遠くから、爆発の名残で立ちこめる煙が見える。市街地各所で火が上がり続け、要所を制圧した仲間たちが次々に合流してくる。クラリスの医療班には負傷者が運ばれ、必死の処置が続いているが、とても追いつかない。血に染まった衣服を着た若者が、朦朧とした意識のまま倒れこむ姿もある。
けれど、そんな苦しみの合間にも、人々の意志はくじけない。多くの若者が拳を握り、「パルメリアを倒すぞ!」と声を合わせている。
やがて、ユリウスが大きく手を上げて合図を送り、周囲の部隊が一斉に「大統領府」の門内へと突入する。砕けた門の残骸を踏み越え、全員が武器を握りしめながら奥へ進んだ。かつて王政時代に「王宮」として使われていたこの建物は、今や独裁の牙城と化している。
廊下にはまだ親衛隊の一部が残っており、断末魔のような叫びを上げながら応戦するが、数と士気で圧倒する反乱軍にじりじりと追い詰められていく。すでにパルメリアの命令も届かず、事実上指揮系統は崩壊していた。
朝の光が、薄らと窓から差し込みはじめる。その仄暗い明かりのなか、瓦礫と硝煙の中を進む革命軍の足音が、建物全体に低く響く。
ついに、「第二の革命」が彼女の独裁を崩す瞬間が訪れたのだ――。
その結末を、誰もが息を呑んで見守っている。かつての「革命の英雄」は、今や「独裁者」として、この暗闇の奥に身を潜めているはずだ。
もう逃げ場はない。血を流して積み上げた強権体制も、一夜にして崩れ去る。
――これこそが「第二の革命」の決起の合図であり、パルメリア・コレットを打倒するための合図だった。
(終わりは近い。今度こそ、この国を救わなければ――)
ユリウスもレイナーも、そしてガブリエルも、胸に様々な思いを抱きながら、その廊下の奥へと突き進んでいく。クラリスや他の仲間たちは負傷者の処置に追われつつ、後方から支援している。
すべては、この朝日が昇るころに決する――。
――こうして、一夜にして独裁体制を崩す反乱は「第二の革命」の名のもとに成功へと動き出し、王政を倒したはずの英雄パルメリアは、今まさに追いつめられようとしていた。
荒れ果てた街には怒号と悲鳴が響き、血の臭いと硝煙が漂う。だが、その混沌のただ中で、人々は「独裁を打破する」という一点に意志を結集し、かつてない強い力を発揮していた。
夜明け前の暗闇を切り裂く爆発音と悲壮な叫び声は、この国に新たな歴史の幕を下ろし、そして更なる血と涙をもたらすクライマックスへ突き進んでいくのだ――。




