第89話 狂信の笑み③
一方、「第二の革命」を掲げるレジスタンスや軍内の反逆者たちは、粛清命令が強行されるたびに悶絶する思いを抱えながら、「すぐにでも起ち上がらなければ皆が殺される」と危機感を深めていた。
ユリウスがある密会場所で部下たちを前に口を開く。
「これ以上待てば犠牲者が倍増する。準備が万全ではなくても、今行動しなければ『革命』の名が虚しくなるだけだ」
周囲はうなずき、配置図や拠点配置のメモを取り出して確認する。各地で待機する少数の武装勢力は、同時多発的に蜂起する段取りを整えつつある。王政を倒したときに近い作戦だが、今度は相手が「かつての英雄」パルメリアなのだ。
レイナーは布で覆い隠した地図を指し示し、静かな声で説明を続ける。
「ここの軍部隊を抑えられれば、首都近郊の制圧は容易になる。ガブリエルが動いてくれれば大きい。彼にも水面下で『今こそ立ち上がる』合図を送るんだ」
民衆の絶望が最高潮に達した今、もう「第二の革命」を進めるしかない。それが遅れれば、パルメリアの言う「血の粛清」に飲み込まれて、全員が死ぬか隠れるしかなくなる。
それでも成功の確信はなく、誰もが疑念や恐怖を拭い切れないままだ。
そして、ガブリエルもまた静かに部下をまとめ上げていた。保安局の監視をくぐり抜けるため、一度に大きな動きはできないが、少しずつ「裏切り」への準備を進めている。
若い将校が問いかける。
「司令官、私たちが動けば、必ず保安局や親衛隊が本気で叩きに来ます。兵はどれだけ耐えられるか……」
「わかっている。だが、まだ私に従う兵は多い。保安局も軍全体を敵に回すのは怖いだろう。……ユリウスやレイナーたちとも連絡を取り合い、同時に動く。――最悪の場合は、私が盾になってでも皆を守る」
それは、騎士道の名残を最後に示すかのような言葉だった。もはやパルメリアを守るのではなく、パルメリアから民を守ろうとする道を選んだのだ。
いよいよ「血の粛清」が本格発動され、保安局と親衛隊が夜ごと市街地を回っては数十人単位で逮捕し、口封じの処刑を行う惨状が繰り返される。家々からは悲鳴と銃声が響き、廃屋には遺体が積まれるなど、まさに地獄絵図だ。
小さな子どもが母親の腕の中で震えながら、「どうしてこんなことになるの」とつぶやいても、聞く者は誰もいない。パルメリアの指示により「即刻処刑」という言葉が追認され、情け容赦なく断罪が下る。
「きょ、今日は何人が殺された? もう……わからない……」
「怖い……外へ出られない。私たち、いつ来るかわからないわ」
そんなつぶやきが街のあちこちで交わされ、しかしこれを聞きつけた保安局員が来れば一巻の終わりだ。市民は恐怖で身動きできず、毎晩誰かが連れ去られて、二度と戻ってこない。
捕まった「反逆者」とされた人々の多くは、地下牢や一時的な収容所へ連行されているが、そのまま処刑される者が多い。尋問という名の拷問で「仲間の名前を吐け」と迫られ、拒めば容赦なく銃殺――そんな惨劇が繰り返されるなか、「第二の革命」の蜂起はすでに待ったなしの状態へ突入していた。
(間に合わなければ、全国的な粛清で味方は壊滅するかもしれない。ここで何をためらう?)
そうした危機感が、ユリウスを中心に猛スピードで行動を決断させる。蜂起はすぐそこで起こる――もはや待つ余裕はない。
夜半過ぎ、大統領府の執務室。
報告が次々と届き、「〇〇地区で二十名処刑」「△△街区で激しい抵抗を制圧。十名以上が射殺」――血の粛清が順調に進んでいるという内容がほとんど。
パルメリアはそれを聞くたびに、うっとりするような笑みを浮かべて声を上げる。
「ふふっ……裏切り者が減っていくのね。素敵じゃない……! あははっ、でもまだ足りないわ。もっと徹底的にやってちょうだい。そうして私の革命を守るのよ……!」
耳を塞ぎたくなるほどの狂喜の笑いに、官吏たちや兵はただ黙りこむ。反論すれば、自分の首が飛ぶのがわかっているからだ。
しかし、ふと書類の端に残る「革命当初の政策案」のメモを目にした瞬間、パルメリアの瞳にわずかな陰りがよぎる。
そこには、かつてクラリスやレイナー、ユリウスらと話し合った農業改革や教育制度の拡充などが書かれていた。
しかし、今の彼女はそれらすら歪んだ笑いで吹き飛ばそうとしている。
(あははっ……こんなの幻よ。どうせみんな私を裏切ったんだから。いいの、私は私の道を行くだけ。誰にも邪魔はさせない……!)
そうつぶやくと、メモを握り潰し、無造作に床へ投げ捨てる。しばらく笑い声を漏らした後、まるで何事もなかったかのように保安局の報告書を拾い上げ、赤いインクで大きく「全処分」と書き加えた。
一方、執務室に出入りするレイナーは彼女の狂態を目の当たりにしつつ、ギリギリまで抵抗したい気持ちを抱いていた。だが、いまや説得の余地など欠片もない。
外征は行き詰まり、国際的な孤立も極まっているにもかかわらず、パルメリアは「勝利」を声高に叫び、血の粛清をやめる気配はない。
レイナーはついに決心し、ユリウスやクラリスに「このままでは間に合わない。すぐに蜂起を」と情報を流す。さらにはガブリエルとの連携にも踏み込もうとする。
(これで、パルメリアとの決定的な対立が避けられなくなる。……だけど、誰かが止めなきゃ、もう手遅れになる)
彼の思いは苦く、親友を裏切る行為そのもの。しかし、先延ばしすればするほど、国全体が無惨に崩壊していくのを見て取るしかなくなってしまう。
同じ頃、ガブリエルも司令部で最後の準備を進めていた。部下の将校たちの中から確実に信頼できる者を選りすぐり、「第二の革命」と共闘する瞬間に備えて武器や車両を配置換えする。
この行動は綱渡りのように危ういが、逆に保安局に怪しまれた時は、一気に反乱を始めるしかないという覚悟もできている。
(……パルメリア様、どうしてこんなことになったのでしょう。私はあなたを失望させたくなかったのに、あなたも私を切り捨てるでしょう。でも、もう誰もがあなたを止めたいと思っている。私も、その一人になるのです)
静かにそう内心でつぶやき、胸を痛めながらも、もう引き返すことのできない道を踏み出すガブリエル。それが、かつて誓った「騎士としての使命」に相反しようとも、彼はあえて裏切りの刃を握るのだ。
この夜、大統領府の執務室には火の手が広がるかのような緊張感が満ちていた。
パルメリアは椅子に腰掛け、重く静まる周囲を見回しながら、親衛隊と保安局の幹部たちに向けて最後の一押しともいえる「処刑リスト」を提示する。
「ここに書かれている人物、そしてその家族や仲間も含めて、全て粛清対象にしなさい。ふふっ……あははっ、いっそ村ごと焼き払ってもいいのよ。今が最後の正念場ですもの……!」
幹部たちはそのあまりの非道に冷や汗を流すが、誰も逆らえない。レイナーが遠巻きに見ているなか、彼女の狂信が最終段階に突入したのを確信せざるを得なかった。
「今さら情けをかけても、また裏切り者を生むだけでしょ。ふふっ、徹底的にやりなさい。私の革命は、裏切り者どもの血で守られるの。あははははっ……!」
その笑い声は、全てを破壊する嵐の中心に立つ女王のようでもあり、かつ「自分こそが正義だ」と絶叫する狂気の王者のようでもあった。
こうして、最終的な大量粛清が現実味を増し、街では夜ごとに多くの命が消えていく。
ある家庭では、母親と幼い子が怯えるなか、保安局が突入し「反逆の疑いあり」と即断して銃を向ける。泣き叫ぶ子に対しても容赦なく、その屋敷は血の臭いに満ちる。
兵士の中には、自分の家族が粛清されるかもしれないと怯えている者が少なくない。この狂信的な粛清は、多くの人々を裏切りや密告へ追い込み、または「第二の革命」への参加を決意させていた。
「……もう、これ以上は見ていられない。彼女は絶対止まらない。だったら俺たちが、もう……」
そう絞り出す声が、各地の若者や兵たちの間に広がる。ユリウスやレイナーらが裏で糸を引く「第二の革命」は、まさにこの絶望と恐怖を原動力として、最終戦へ向けた体制を整えつつあった。
こうしてパルメリアは、完全に狂信の域へ踏み込み、血の粛清を国土全体に行き渡らせようとする。
民衆の中で「第二の革命」にかかわる者が増えれば増えるほど、彼女はさらに凶暴な粛清を推し進め、笑いながら破壊を指揮する。
そしてユリウスやクラリス、レイナー、そしてガブリエルが、それぞれの苦悩を抱えながら最後の反逆へ向けて決意を固めるとき――全てが臨界点に達するのだ。
執務室の窓から眺める闇の街並みに、パルメリアは静かに笑いかける。
どこかで銃声や悲鳴がこだましていても、もはや彼女の耳には心地よい音楽のように響くのかもしれない。
彼女は書類を握り締め、震える笑みを浮かべながら、夜空に向かってささやく。
「ふふっ……見ていなさい。誰が最後に笑うか……あははっ、わかりきったことよ。私こそが革命を守り続ける英雄なんだから……!」
その声は、暗い大気を震わせ、まるで静かな夜を嘲るように響き渡る。
こうして、「血の粛清」は国を暗黒へ染め上げ、同時に「第二の革命」へ向かう引き金を大きく引くことになった。そして、ついに決定的な衝突が始まる――しかし、それがどれほど凄惨な結末をもたらすかは、未だ誰にもわからないままだ。




