第11話 巧妙な反撃①
ベルモント公爵派による妨害工作は、一時的にコレット公爵領の交易や税収を脅かし、パルメリアたちの改革を大きく揺さぶった。しかし、彼女は腹心の家臣たちを極秘裡に動かし、相手の内情を探るべく周到な準備を始める。
この世界の「ゲームの知識」を元にすれば、ベルモント公爵がどのような人脈と利権を握り、どれほどの権力を持っているかはある程度推測できる。物語の舞台では、彼は終盤でヒロインたちを追い詰める強大な敵として描かれていた。――だが、それはあくまで「ゲームの中」の話。現実となった今は、こちらが先手を打って行動を起こす余地があるかもしれないと、パルメリアは考えていた。
(このまま放っておけば領地が崩壊する。ベルモント派を手強い相手と思っていても、証拠さえつかめばこっちの主導権を握れるはず)
そんな決意のもと、彼女は家令のオズワルドや信頼できる領民たちと連携し、ベルモント公爵派の不正を示す情報を集め始める。買収や賄賂などの不穏な噂は以前から絶えなかったが、具体的な証拠を押さえるのは至難の業だ。
とはいえ、パルメリアは決して諦めない。夜な夜な集まった書類を精査するうちに、王室財務局の一部官僚を買収し、「コレット領の特産品に違法取引の汚名を着せようとしている」動きが浮かび上がってきた――それはオズワルドたちの極秘調査でも裏付けられた事実だった。
ある晩、パルメリアは執務室にオズワルドを呼び、机に並べられた数十枚の文書の内容を黙々と確認していた。そこにはベルモント公爵派に属する高位貴族の署名や、商取引を歪める指示らしき内容が克明に残されている。
パルメリアが一枚の書簡を拾い上げ、低く唸る。
「これは……。どうやらベルモント公爵たちが、『違法な荷物』に見せかけてコレット領の商人を捕らえようとしていた証拠ね。しかも官僚まで買収しているとなると、すぐに公表しても彼らが開き直る危険があるわ」
オズワルドは静かにうなずきつつ、パルメリアの指先が示す書簡に目を落とした。
「はい、お嬢様。これほどの証拠を一気に公にすれば、ベルモント公爵派も大きな打撃を受ける可能性があります。しかし、その代償は大きい。彼らが逆上すれば、こちらの領地にさらなる圧力をかけてくる恐れも否定できません」
「ええ、わかっているわ。ここで急に大事にしても、勝ち目は薄いでしょう。かといって、黙っていると彼らのやりたい放題になる」
パルメリアは一瞬、窓の外に視線を送る。夜の闇がしんしんと降りてきているが、彼女はまったく疲れた様子を見せずに、書類をもう一度整理し始めた。
「私の狙いは、今すぐ相手を潰すことじゃない。彼らの足元を揺さぶりながら、時間を稼ぐの。領地の改革を進める間は、妨害を抑えてもらわなきゃ」
「では、この証拠を活用して……」
「取引を持ちかけるわ。相手の痛いところを握っているとわかれば、しばらくは動きを抑えることができるはず」
そんな密談を経て、パルメリアはすぐに行動を開始する。関係者に取り込みを図るなど、陰で活動するベルモント派の上級貴族たちが近隣に滞在している情報をキャッチし、その貴族たちを“ささやかな夜会”へと招待することにした。
公爵家の別邸を会場にし、昼間とは違った落ち着いた雰囲気を醸し出す。そこに彼らを迎え入れ、パルメリア自らが優雅に振る舞う――すべては、証拠を突きつけるための「巧妙な舞台装置」だった。
「殿下……いえ、あのベルモント公爵派の方々が本当に来るのでしょうか?」
侍女の一人が不安げに尋ねる。パルメリアは微笑をたたえながら、「大丈夫よ。彼らは私のことを取るに足らない令嬢だと思っているから、まさか私が何かを握っているとは思っていないわ」と答える。
実際、保守派の上級貴族はパルメリアを「公爵令嬢」としては認めていても、実務能力や政治的手腕については侮っている面がある。そこにつけ込むのが、彼女の狙いだった。
そして翌日、日が落ちてまもなく、ベルモント派の上級貴族数名が別邸に到着した。豪奢な馬車から降り立つ彼らは、パルメリアが出迎える姿を見て露骨に怪訝な表情を浮かべる。
そもそも、コレット家の主宰する夜会といえば、公爵本人や華やかな貴婦人たちがメインのはず。令嬢が直接招待を仕切るなど異例づくしで、しかも規模が小さい。
ある伯爵はつぶやくように言う。
「これは一体、どういうことだ……ご令嬢が自らお招きとは?」
「まさかコレット公爵令嬢に招かれるなんて。今日はどのようなご用件でしょうかな?」
一見丁寧な口調だが、その目は冷淡さを漂わせている。だが、パルメリアはまるで意に介さず、にこやかに微笑んで招き入れる。
「本日はお越しいただきありがとうございます。わざわざお時間を頂戴したのは、みなさまが最近とても精力的に活動されていると伺い、私も少し話を伺いたいと思ったからです」
「話……? ほう、それは意外ですな。令嬢が我々に興味をお持ちとは」
貴族たちは顔を見合わせ、警戒を隠そうともしない。彼らはパルメリアの眼差しにわずかに不安と嫌悪を感じ取ったのか、つかみどころのない微笑をたたえる令嬢の姿に動揺を覚え始める。
別邸の一室へ案内された彼らは、豪華とは言えないが落ち着いた調度品が配された空間に通され、テーブルには上質な茶菓子や紅茶が整然と並べられている。そしてパルメリアが直々に淹れた紅茶を差し出す様子は、まるで社交の作法そのものだった。
「お座りくださいませ。今宵は、皆さまとゆっくりお話をしたく存じます」
そう言うパルメリアの笑顔は優雅だが、その瞳には不思議な鋭さが宿っていた。
しばしの談笑――といっても、相手の貴族たちは終始探り合いの目つきで視線を交わしている。紅茶を飲みながらも、「これはただの社交辞令の場か」「令嬢が何を企んでいるのか」と内心でざわめいているのが手に取るように伝わる。
そして、話が進まないまま小さな沈黙が訪れたとき、パルメリアはさりげなくテーブルに数枚の文書を並べた。
「ところで、こちらの書簡を、皆さまにも見ていただきたいのです。これは私の手に渡った“ある取引”に関する書類なのですが……」
貴族の一人が、パルメリアの手元に置かれた書簡を一瞥し、その瞬間目を見開いた。
「こ、これは……。違う、偽物じゃないのか?」
言葉を詰まらせる貴族たちに対し、パルメリアはこともなげに書簡をめくってみせる。そこには、明らかにベルモント公爵派が行っていた賄賂の受け渡し指示や、コレット領への妨害を具体的に示す指令書がはっきりと記されていた。
貴族たちが焦って一斉に顔を寄せ合い、口々に低い声で言い争う。開き直ろうにも、内容は決定的で言い逃れできないレベルだ。そんな彼らを前に、パルメリアは落ち着いた声で続ける。
「みなさま、この書簡がもしも外部に流出したらどうなるでしょう。――たとえば王室に届けられたり、あるいは公爵に反感を持つ貴族たちに示されたりしたら? 私はその可能性を考えると、どうしても大事にはしたくないのです」
その言葉に、相手の貴族たちは露骨に苦い表情を浮かべる。彼らにとっては、証拠が世間に公表されれば、ベルモント公爵が厳しい処分を受けるばかりか、派閥全体の威光が崩れかねない。
「何が目的だ、コレット令嬢……!」
苛立ちを隠せない様子の貴族の問いに、パルメリアはあくまで冷静な微笑で返す。
「私の目的は、領地封鎖や徴税の名目で行われている妨害を直ちにやめていただくこと。被害については補填を協議する用意があります。そして、今後はむやみにコレット領を狙わないでいただきたい。それが条件です」
「取引……というわけか」
「ええ。取引と呼んでいただいて構いません。私もこのように騒ぎを大きくしたいわけではありません。お互いが無駄な損害を被らないために、賢明な選択をしていただきたいのです」
ぱたり、とパルメリアは書簡をテーブルに置き、静かに貴族たちを見据える。まるで「出方をうかがっている」かのように、一切焦らず、堂々とした表情だ。
彼女の背後には家令のオズワルドが控え、貴族たちの一挙一動を見逃さないよう注意を払っている。
一方、相手側の貴族たちは、まさか「若い令嬢」がこれほど直接的な証拠を突きつけてくるとは想像していなかったのだろう。何人かは青ざめ、ある者は「まさかこんな形でつかまれるとは……」とつぶやいている。
しばらく低い声での協議が続き、やがて最年長らしき伯爵が渋い顔のまま口を開いた。
「……よかろう。検問所や徴税請負人への指示は直ちに撤回させよう。補填についても話し合おう。ただし、これで全てを公にするような真似は勘弁していただきたい」
「もちろんです。私も無駄に大騒ぎするつもりはありませんわ。お互いに得をしないでしょう?」
パルメリアは優雅に一礼し、文書を丁寧にまとめる。相手が認めた以上、少なくとも当面の間、ベルモント派の強硬な妨害は一旦収まるはず。
しかし、彼女は確信している――相手がこうあっさり引き下がるわけがない。この取引はあくまで「時間を稼ぐ」ために行われる仮初めの休戦にすぎないということを。
(これで完全に静まるとは思っていない。私が改革を進める時間を稼ぐ、それだけが今回の狙いよ)
こうして、貴族たちは足早に退席し、夜会はあっという間に終わる。優雅な振る舞いに見せかけた駆け引きは、わずかばかりの沈黙と激しい心理戦の末に、パルメリアの一時的な勝利で幕を閉じた。




