第89話 狂信の笑み①
そろそろ「第二の革命」が動き出す――そうした噂と予兆が、民衆や軍の一部、そして秘密警察までも巻き込み、国中を混沌に陥れていた。長きにわたる戦争と粛清で疲弊した国土は、もはや限界を超えているにもかかわらず、パルメリアの独裁はさらに先鋭化し、日ごとに狂気を帯びてゆく。
そんななか、首都から遠くない地方都市の一角で、小規模な蜂起の火が上がった。しかし、秘密警察と軍の精鋭が即座に投入され、数十名の民兵や抵抗者が一瞬で血に染まって倒れる。その事件が引き金となり、パルメリアは「決定的な大粛清」へ舵を切ることを決心するのだ――
(もう、どんなに血が流れようと関係ないわ。私の革命を邪魔する者は、皆殺しにしてやる。ふふっ……あははっ、誰も私を止められないのよ……!)
その内面から溢れ出る狂信は、誰の目にも「正気」の範疇を超えていた。今や、かつて仲間たちと誓った理想とはかけ離れた、「血ぬられた女王」のように君臨し始めたのである。
夜半、首都の石畳を無数の靴音がひしめき合う。保安局の隊員たちが広場や通りを占拠し、通行人を片端から取り締まっていた。
憲兵服に身を包んだ男が、路地でうずくまっていた一人の女性を乱暴に引きずり起こす。
「貴様、何を持っている? ビラか? ポケットの中身を出せ」
「ちがうの……私は何も……!」
言い訳をする間もなく、彼女は腕をひねり上げられ、悲鳴を上げる。すぐさま他の隊員が周囲を取り囲み、問答無用でロープをかけられてしまった。
その姿を遠巻きに見ている人々は誰一人声を出せず、ただ怯えた瞳を向けるだけ。少しでも誤解されれば、自分も「処刑」されかねない――それが今の首都の現実だ。
(まるで王政どころか、それ以上の恐怖政治だ……これがパルメリアの言う「民衆のための革命」なのか?)
そんな嘆きが心をよぎっても、声に出せない。この息苦しい空気こそが、「第二の革命」を心から望む人々を増やしていた。しかし、その火の粉は少しでも漏れれば引火し、再び血を呼び込む。
どこを見回しても、誰もが何かを恐れて縮こまるように歩いている。壁には大きく「反逆者は即処刑」と書かれた張り紙があり、その紙の端にはささやかな文字で「二度目の革命が必要だ…」と、誰かの落書きが重ねられていた。
夜明け前、大統領府の執務室に保安局の幹部が駆け込む。
大きな扉を開けた先には、ふかぶかと腰かけたパルメリアが、不気味な笑みを浮かべて待ち構えていた。窓の外はまだ薄暗く、重々しい静寂に包まれた空間だが、その人影はひときわ妖艶な殺気を放っている。
「大統領閣下、昨夜の検挙で『第二の革命』に関与しているとみられる者が十数名ほど出ました。まだ調査中ですが……続々と新たな疑わしき者が浮上しております。どうかご指示を…」
幹部は伏せ目になりながら報告する。
パルメリアはふふっと笑みを漏らし、手にした書類を机に叩きつけるように置く。
「あははっ……いいわね。でも、十数名とはずいぶん少ないんじゃないの? もっと徹底的に洗い出してよ。ふふっ、私を舐めてる連中に、思い知らせてあげなくちゃ……」
「……は、はい。さらに取り締まりを強化します。あの……ただ、国内は既に限界が近いと――」
「限界? あははっ、限界なんて、私が決めるのよ。この国は私のもの。誰がこの革命を私から奪えるというの?」
その言葉に宿る狂信ぶりは、その場の空気を凍らせる。保安局幹部は震える声で「は、はっ」とだけ答え、彼女の機嫌をこれ以上損ねないように足早に部屋を出ていった。
そして扉の閉まる音が響くなか、パルメリアは誰も聞いていないはずの室内で、かすかに独白を漏らしていた。
(こんなところで崩されるわけにはいかない。もし私を裏切る者がいるなら、徹底的に排除するまでよ。ふふっ……あははっ……見ていなさい、もう誰も私を止められないんだから……!)
翌日、パルメリアは軍の司令官であるガブリエルを再び呼び出す。既に保安局を通じて、軍の中に「第二の革命」に呼応する動きがあるという情報が入っていたのだ。
「ガブリエル。……最近、兵士の間に妙な噂が流れているようね。あなたの部下に『裏切り者』がいるかもしれないって。ふふっ、あなたはどう思うのかしら?」
ガブリエルは彼女の狂気じみた笑顔を正視せず、うつむいたまま沈黙する。一方、パルメリアは「あははっ」と楽しげに笑う。
「あははっ、黙り込むの? もし裏切り者を庇うつもりなら、あなた自身も処分するしかないわよ。ふふっ……私に歯向かうなんて、騎士の誓いを捨てる行為でしょうに」
その言葉に、彼の心は激しく揺れる。かつて主君と誓い合った日々が思い起こされ、同時に今の彼女の姿にいたたまれない思いが込み上げる。
しかし、ガブリエルはあえて何も言わない。彼女の命令に従ったフリを続けながら、密かに兵たちと 「第二の革命」側が連携する可能性を探ろうとしている。これ以上犠牲が出る前に、どうにかして彼女を止める――それがかすかな望みだった。
(あなたを裏切るのが「誓いの否定」だとしても、このまま従えば、もっと多くの無辜の人々が死ぬだけ……)
首都の上空には厚い雲が垂れ込め、昼間とは思えない暗さに包まれている。まるで差し迫る破局の予兆を表すかのように、空気全体が重苦しい。
民衆の間では「もうすぐ大粛清が本格的に始まる」との噂が広がっており、ユリウスやレイナー、クラリスをはじめとする抵抗勢力も、決行を前倒しするか否かで激論を交わしていた。
「放っておけば、どれだけの血が流れるか……。だが、準備が不十分で今すぐ行動を起こせば失敗するリスクが高い。どうする?」
誰もが答えを探しながら、深い溜息をつく。パルメリアの狂気が国を飲み込む中、ここで遅れれば大勢が粛清される。早まれば失敗して自滅する。
それでも、動かなければ確実に絶望が待ち受けている――そんな状態が続くなか、各地で小規模な衝突が頻発し、血の粛清が繰り返されている。やがて人々の怨念が爆発し、国全体が混沌に沈む日も遠くはない。
執務室の壁には、地図が貼り付けられている。赤いピンが無数に刺さり、抵抗勢力の推定拠点や動きが示されていた。パルメリアはその地図を指差しながら、保安局長官へ命じる。
「ここにも、あそこにも……『第二の革命』を企む輩が隠れている。ふふっ、いっそ丸ごと焼き払えばいいんじゃない? あははっ……もう容赦しないわ。根絶やしにするの」
保安局長官は恐る恐る口を開く。
「ですが閣下、丸ごと焼き払えば多くの民が――」
「あははっ…… 『多くの民が死ぬ』ですって? それで何か問題でも? 彼らが本当に私を支持しているなら、逃げ出そうとも思わないでしょう。ふふっ、裏切り者と一緒に焼けるくらい、恐れる必要ある? 私の革命を守るためだもの……」
このあまりに狂気じみた発言に、部屋の空気が凍りつく。官吏たちは唇を噛むしかできず、レイナーは心の中で悲鳴を上げていた。
(このままでは、本当に国が滅ぶ。――ああ、彼女はもう救えない。早く動かないと……)
彼はどうにか平静を装い、書類の山へ目を落とすふりをする。ここで何か言えば、保安局の監視を一斉に浴びて、自分も粛清されかねない。
その夜、パルメリアは誰もいない執務室の奥で、机に頬杖をつきながら笑っていた。
外では時折、銃声や悲鳴が聞こえる。保安局が「反逆者」を捕らえるたびに、命を奪うまでが極めて迅速なのだ。
しかし、彼女の笑いには一切の楽しさや慈悲が感じられない。むしろ、その瞳には哀しみの混ざった狂気が宿っている。
「あははっ……裏切られるたびに、どうして私がこんなに頑張らなきゃいけないの? 王政を倒したのに、また同じように私が倒されるって言うの? ふふっ……冗談じゃないわ」
(みんなが敵になったなら、私が潰すだけ。民だって、そのうち私に感謝するはずよ。だって、あははっ……この国は私が守っているんだから)
明確な論理さえないまま、狂信が彼女を前へ駆り立てる。その陰で、かつての仲間――ユリウスやクラリスたちが「第二の革命」を起こそうとしている事実を、彼女も薄々感じ取っていた。
「ふふっ……あいつら、まだ私に逆らうつもり? ユリウスも、クラリスも……愚かね、あははっ。私に勝てるとでも思って? 全部、潰してあげるわ……!」
自嘲と嗤いが混じった声が、夜の執務室にこだまする。誰も止めに入らないし、止められない。彼女はすでに自らを疑う思考さえ失っていた。




