第88話 血の粛清①
周辺諸国への外征は泥沼化し、国内での粛清は苛烈さを増すばかり――。かつての「革命」がもたらしたはずの希望は消えうせ、王政に勝るとも劣らぬ恐怖政治が国を覆いつくしている。
その中で、「第二の革命」を呼びかける声が密かに広がり、民衆の心を震わせていた。ユリウスやレイナー、クラリスなど、パルメリアを支えたかつての仲間たちも、今は「彼女を止めなければ国が滅ぶ」と考え、一斉蜂起はいよいよ秒読みの段階に入っている。
一方、パルメリア本人は、かつて王政を倒した時の輝きを失い、圧倒的な権力への執着と狂信にも似た使命感に支配されていた。
「異を唱える者は皆、粛清する」と宣言して憚らず、秘密警察や親衛隊がじわじわと民を追い詰めているにもかかわらず、彼女は「自分こそが革命を正しく導く唯一の存在」だと信じ込んで疑わない。
(ふふっ……私に歯向かうなど、愚かなこと。民衆のために戦っているのは私だけ。あははっ、みんなすぐにわかるわよ――私こそが革命の象徴なのだって)
その狂信的な思考が、やがてさらなる一斉粛清を引き起こす。彼女の冷酷かつ不安定な命令が、どれほど多くの血を国中にもたらすのか――そして、それに抗おうとする者たちの運命はどこへ向かうのか。
外征が長引き、各地の反乱やデモが小規模ながら頻発している一方、首都は奇妙なほど静まり返っていた。
軍兵や秘密警察の巡回が厳しさを増し、道行く人々は足早にすれ違うだけ。人々の顔には警戒と疲労が浮かび、ほんの少しささやきを交わすだけでも、周囲の視線を恐れている。
「また誰か捕まったらしい。『第二の革命』に関わった疑いがあるとか……」
「しっ、余計なことは言うな。誰が聞いているかわからない」
こうした会話が交わされるたびに、人々は互いを警戒し合いながら口をつぐむ。保安局の存在はここまで凄まじい恐怖を社会に植え付けていた。
しかし、その沈黙の下では、着々と蜂起の計画が進んでいる。農村や町の青年団がひそかに武器を集め、反乱の時を待ちわびているとの噂は多く、軍の内部にも通じている者がいるらしい。
その様子を、パルメリアの政権内で唯一「まともな良心」として動くレイナーは、苦い思いで見つめる。
執務室の一角で書類をまとめながら、時折ぎこちない作り笑顔を浮かべ、官吏たちをやり過ごす。彼は外交を担う立場にあるが、今や外国との交渉は全滅同然。表向きはパルメリアに従っているように見せつつ、裏ではユリウスやクラリスと連絡を取り合い、蜂起の準備をしていた。
(このまま再び蜂起しても、大量の血が流れるだけかもしれない。だけど……この独裁と戦争を止めるには、それしか残っていないのか。もっと早く、彼女を食い止めるべきだった……)
レイナーの脳裏には、幼馴染としてのパルメリアの笑顔が浮かぶ。だが、今の彼女はあの頃の優しさを失い、「狂気」に踏み込んでしまっている。
――もし彼女が「第二の革命」の兆しを本格的に察知すれば、必ず一斉粛清に踏み切るだろう。そう予測していたレイナーの懸念は、まさに現実となろうとしていた。
ある朝、パルメリアはいつものように大統領府の執務室に顔を出す。補給物資や外征の状況をまとめた書類が山積みになっているが、そちらに目もくれず、まず手を伸ばすのは保安局からの機密報告だった。
「第二の革命」を名乗る勢力が、各地でビラを配り、軍や警備隊の一部まで取り込もうとしている――そんな情報が赤字で強調されているのを目にし、パルメリアは不気味に笑みを浮かべる。
「ふふっ……なるほどね。 私に歯向かおうとする愚か者がいるというわけね? あははっ……面白いじゃない」
その笑いを耳にした周囲の官吏たちは、一様に青ざめる。パルメリアがこうして声を上げて笑うときは、たいてい危険な決断が下される前触れだからだ。
彼女は書類をぱたんと閉じ、保安局幹部たちが控えるほうへゆっくりと視線を向ける。
「『第二の革命』などと名乗るのは、王政を倒したあの日の私たちを真似したいの? ふふっ、滑稽ね……! いいわ、根こそぎ始末してあげる。そんな連中に好き放題させると思う?」
凍りつく場の空気。保安局の長官が沈黙のまま頭を下げると、パルメリアはさらなる圧をかけるように言葉を続ける。
「徹底的に狩り出して。疑わしい者を洗い出して一斉粛清。……ふふっ、うるさい虫はさっさと潰してしまうのが一番よ。あははっ、革命だなんてバカバカしいわね」
その様子を、遠巻きに見ているレイナーは背筋をぞくりとする。おそらく、大規模な検挙命令が今にも下るはずだ。軍や民衆に潜む「第二の革命」の火種が、保安局によって摘発される日も遠くない。
(まずい……ユリウスやクラリスは大丈夫か? 今動かなければ、皆が一瞬で粛清されてしまうかもしれない)
喉が渇くような息苦しさを覚えながら、レイナーはひとまず落ち着こうと自分に言い聞かせる。保安局が動く前に、仲間に警告し、可能な限り蜂起を早めさせるしかない。今のままなら、粛清が先か、蜂起が先か――そのわずかな時間の差が大量の血を分かつだろう。
さらにパルメリアは、軍の司令官であるガブリエルを呼び寄せ、保安局長官たちの前でこう宣言する。
「軍の内部にも『第二の革命』に同調する動きがあるそうじゃないの。ふふっ、あなたも大変ね、ガブリエル? ……もし司令官であるあなたが『裏切り者』をかばうような真似をしたら、どうなるかわかっているわよね?」
彼女の狂信的な瞳がガブリエルを射抜く。静かな殺気すら漂うその目線に、彼は動揺を押し隠して答える。
「……軍は私の管理下にあります。裏切り者など絶対に許しません。パルメリア様のご心配には及びません」
その回答を聞いたパルメリアは満足げにあははっと笑い、大きくうなずく。
「そう……信じているわ。ふふっ。あなたが私に刃向かうなど、ありえない話でしょうからね」
その場面を目撃したレイナーは、苦々しい気持ちで胸を押さえる。もしガブリエルが「裏切り」を選べば、パルメリアは即座に彼を粛清するだろう。彼女の狂信ぶりがそこまで進んでいるのは明らかだった。
こうしてパルメリアは保安局と軍上層部に「徹底検挙と処刑」を指示し、一気に国内の“第二の革命” の火種を摘み取ろうと動き始めた。
翌朝には、首都の主要通りや広場の掲示板に、彼女の署名付きで以下のような文書が貼り出される。
「近ごろ『第二の革命』と称して国家を転覆しようとする反逆者が出没している。よってこれを徹底的に排除するため、疑わしきは全て逮捕・処刑とする。協力しない者も同罪。大統領閣下のご命令により厳重に粛清を断行せよ」
そのあまりにも直接的な文言に、民衆は恐怖し、震え上がる。王政時代でもこれほど露骨な殺戮宣言は見なかったが、今の独裁政権下では人々が声を上げられないまま萎縮するしかない。
「……何て書いてあるんだ……これ、本当にやるつもりか」
「第二の革命? 誰かが立ち上がるのはわかるが……こんなの、無差別に殺すって意味じゃないか」
足を止めて掲示板を読んだ市民が顔を引きつらせ、周囲に声をかけようとしても、保安局員の冷たい目が突きつけられて慌てて立ち去る。どこに密告者がいるかわからないため、誰も協議できず、ただ震えるばかりだ。




