第86話 決断の時①
誰もが戦乱と粛清の只中で心を擦り減らし、次の瞬間に訪れるかもしれない破滅に怯えていた。王政を倒したはずの国が、かつて以上に民衆を苦しめる独裁国家へと変貌していく。
その独裁を率いるのは、かつて「革命の英雄」と呼ばれ、民衆の大きな支持を得て王政を倒したはずのパルメリア――。
だが今、彼女は狂信と呼ぶしかない正義への固執にとらわれ、さらに長期化する外征と粛清を続けている。国内の惨状はもはや覆い隠しきれず、不満と絶望が限界を超えようとしていた。
今こそ、再び人々は立ち上がるのか――
「第二の革命」を求める声は日ごとに強まり、各地で小規模な暴動が起こる。そして、それらの声をまとめ上げ、今度こそパルメリアの独裁を終わらせようとする動きが密かに加速していた。
かつて王政を打倒したユリウス、クラリス、レイナーは、もはや「敵」となるパルメリアを倒すための計画を一気にまとめにかかろうとしていた。
そして、軍司令官・ガブリエルをどう取り込むか――その問題が、彼らの計画にとって最大の焦点となる。
深夜の倉庫街。数日前までユリウスがこそこそと使っていた小さな納屋に、今回はさらに多くの人々が集まっていた。王政打倒のころを知る古参の活動家から、最近になって反乱組織に加わった若者たちまで、十数名が三々五々集結し、隙間風の吹き込む床板の上に座り込む。
ごく小さなランプだけが頼りの明かりだったが、参加者たちの瞳には、はっきりと強い熱が宿っている。誰もが粛清を恐れつつも、もう逃げ場のない絶望の中で「第二の革命」こそが唯一の希望だと信じていた。
入り口の扉を静かに閉め、確認を終えた男が小声で言う。
「……今夜は、レイナーとクラリスが来るはずだ。それからユリウスも。いよいよ『いつ一斉蜂起を行うか』を決めるって話だ」
「本当にやるのか。保安局が黙って見過ごすわけがないだろう?」
そう問いかける若者に、男は眉をひそめて答える。
「見過ごすなんてあり得ない。だからこそ、いっきに叩くんだ。次の戦線拡大をやる前に、パルメリアの首都支配を崩してしまう……それが計画らしい」
言葉には緊張が混じるが、会場に満ちる空気は「今ならやれる」という高揚感が漂っている。民衆の怒りは限界に達し、軍内部や保安局にも不満がくすぶる――王政を倒した頃よりも大きなマグマが、この国に溜まっている。
まもなく、納屋の奥からユリウスとクラリスが姿を現し、続いてレイナーも到着する。三人とも、ひどく消耗した顔をしているが、その瞳にはどこか決意の光が走っている。
ユリウスが唇を引き結び、集まった者たちに目を配る。
「……全員、よく来てくれた。俺はユリウス。王政を倒した時に民衆を率いた者だ。もう一度こんな場所に立つことになるとは思っていなかったが、今の国を見ればわかるだろう。これ以上、放っておけば崩壊する。そこで、俺たちは『第二の革命』を決断しようと思う」
その声には王政を倒したあの頃の勢いこそ薄いが、痛みと覚悟を伴った重みが感じられる。
一方、クラリスが前へ進み出て、小さく手を挙げる。
「私はクラリス。かつて改革のために研究や教育を進めた者です。今は亡命したように思われているかもしれないけど、ずっと国内で潜伏して、貧しい人々を医療と技術で助けてきました。……でも、それももう限界。私は『パルメリアを倒す』以外に道はないと思っています」
彼女の鋭い言葉に、聞く者たちが息をのむ。あの有名な改革者が、それほどの断罪を口にするのかと誰もが驚くのだ。だが、現実はそれだけ悲惨なのだと痛感させられる。
そして、レイナーが肩を落としながら前に出る。
「レイナーです。僕は今も政府内部にいて、パルメリアに仕えているように見せています。でも、こんな惨状を続けたら本当にこの国は終わる。僕も何度か彼女を止めようとした……けど、もう『あの頃のパルメリア』はいない。あの人は独裁と外征に魅入られた狂気だ。……だから、僕も腹を決めました」
そう言うと、その場にいるメンバーが一気にざわめく。レイナーが政府内から手を貸すとあれば、情報面でも資金面でも優位に立てる可能性が高いのだ。
それから三人は並んで、今後の計画を詳しく説明し始める。まずは「蜂起」の具体的な日時を決め、各地の抵抗組織や農民、下級将校などが同時に立ち上がるよう連携を取ること。そして、その間に保安局が混乱する隙を突いて、首都へ突入する部隊を組織する――という大筋だ。
「ここまで準備すれば、いけるはずだ。保安局は確かに強力だが、国内外の情勢から目を離せず、外征にも兵力を取られている。粛清を拡大するほど、国中が不満で満ちる。これは『王政を倒した時』よりも大きな流れを生むかもしれない」
ユリウスが地図を指し示しながら話すと、集まったメンバーたちもうなずき、各々の役割を確認する。誰がどの地域を掌握するか、物資はどこに集めるか、連絡はどの暗号を使うか――まるでかつての革命を彷彿とさせる緊迫した打ち合わせだ。
「……肝心なのは、首都の軍をどう抑えるかですね。ガブリエル司令官が動いてくれればベストですが、期待しすぎるわけにもいきません。万が一彼が敵に回れば、大きな流血は避けられないですから」
クラリスの言葉に、集会の空気が重くなる。誰もがガブリエルの名を知っているが、彼がどう行動するかは大きな不確定要素だった。
「だからこそ、我々は『一斉蜂起』を進めるんだ。司令官が迷っている間に数で圧倒すれば、軍の内部も分裂せざるを得ないはずだ」
ユリウスはそう言い切り、一同は一通り納得する。最後にレイナーが深く息をついてまとめるように口を開く。
「では、蜂起はX日の夜。保安局の巡回が少し手薄になる時間帯に合わせて、各地が同時に動く。僕は政府の動きを注視し、必要なら『X日の夜』を微調整する。……皆さん、どうか慎重に、しかし大胆に動いてください。この計画が失敗したら、次はもうありません」
その言葉にメンバーたちは緊張の面持ちでうなずく。こうして、民衆が主導する「第二の革命」は、ついに具体的な「日付」と「行動指針」を定め、本格的に動き出す段階に入ったのだ。
一方、大統領府ではパルメリアが粛清と外征をさらに進める宣言を出そうとしていた。これまでの戦争が思うように進まなくなり、国際的な包囲網が強化されるほど、彼女の意志は逆に強硬化しているのである。
ある日、閣僚たちを集めた席で、パルメリアは冷ややかな笑みを浮かべながら演説を行っていた。
「ふふっ……皆、わかっているでしょう? 私がここで手を緩めれば、外の連合軍がなだれ込んでくる。そんなことは許さない。私たちは勝ち続けるしかないのよ。あははっ、戦争が長引く? ふふっ……構わないわ。勝てばいいのよ、勝てば……! あははははっ」
閣僚たちは恐怖に身を縮め、誰もが言葉を失う。かつては議会で意見を出し合ったはずだが、今は全員がパルメリアの意向に従う形だけの存在だ。
「国民が苦しんでいる? ……ふふっ、耐えるべき時だわ。民を愛しているからこそ、徹底した手段で守り抜くのよ。あははっ……わかるでしょう? 私こそが正義なのだから、文句はないわよね?」
その笑いには鬼気迫るものがある。彼女に反論しようものなら、保安局がすぐに動くのは周知の事実だった。
この宣言の場に同席していたレイナーは、心の中で必死に平静を保とうとする。パルメリアがここまで 「狂信」に染まっている姿を見るのは、何度経験しても息苦しい。だが、彼がここで異議を唱えれば、まさに死を意味するだろう。
(ああ、やっぱりだめだ……もう戻れない。ほんとに、取り返しのつかないところまで来てしまった。彼女は自分こそが正しいと、微塵の疑いも抱いていない……)
レイナーは表には出さずに悲嘆し、そっと視線を伏せる。彼はこの後、ユリウスとクラリスに「X日の夜が最適だ」と連絡することを心に決めていた。パルメリアが新たな外征計画を発表し、大軍を再編する前に、民衆蜂起を成功させるほかないのだ。
さらに数日後、パルメリアの命によってガブリエルは新たな前線へ出向く準備を命じられていた。彼が深い憂慮を抱えて国防軍司令部の執務室で書類に目を通していると、ユリウスからの密使が闇に紛れてやってきた。
手渡された書簡には短い言葉が並んでいる。
「X日の夜、首都を含め全土で一斉蜂起が起こる。あなたが同行するならば、この国は救われる」
ガブリエルは読んだ瞬間、息を止める。反乱の日取りが明確に記されているということは、彼らが本気でパルメリアを倒すつもりだとわかる。
「……こんな形で『第二の革命』が始まるのか。私を巻き込もうとするなんて……」
その言葉を独りごち、書簡を握りしめたままガブリエルは苦悩する。パルメリアへの誓いを裏切れば、大量の血が流れる闘争になるだろうし、従えばこれ以上の外征と粛清を続けることになる。
(私は誰のために剣を取った? あの日、王政を倒したのは、パルメリア様を守り、民を救うためだった。しかし今……一体誰が何から救われるのか)
頭の中がぐちゃぐちゃになりそうな思考を振り払うように、彼は書簡に火をつけ、灰を床に散らす。もし保安局がこれを見つければ、即刻反逆罪だろう。




