第80話 外交の限界①
他国への侵攻が始まり、周辺諸国からは激しい非難が殺到していた。わずかな時間で複数の砦を落としたパルメリア率いる共和国軍は、短期的な「戦果」を背景に国民へプロパガンダを強める一方、世界の視線は「専制国家の暴走」に変わりつつある。
その渦中で最も苦悩を深めているのが、外務担当のレイナーだ。革命期には無二の仲間としてパルメリアを支えてきたが、いまや多くの外交ルートは閉じられ、彼自身が動いても、どの国もまともに交渉に応じようとしない。
(いったい、どこで道を間違えてしまったのか。――王政を倒したあの瞬間、すべてが変わると信じていたのに)
深夜の大統領府。薄暗い執務室には、山積みの書簡と外交文書が散乱している。ほとんどが「交渉拒否」「国境閉鎖」を通告するもので、いくつかは憐れみや呆れを帯びた文面すら見られる。
レイナーは机の前に座り込み、片手で頭を支えながら、一通ずつ目を通す。どれも陰鬱な文言ばかりで、彼の心は重く沈むばかりだ。
「もう本当に誰も、僕たちと和解しようなんて考えていない……このまま戦争になれば、いずれ大国同士が連携して、圧倒的な兵力で押し返されるだけだ。――パルメリア、どうしてわからない?」
そうつぶやいても、返答する者はいない。保安局員が絶えず見張っているこの空間では、自分の思いを大声で語ることすら許されないのだ。
遠ざかる仲間、強まる監視、周辺諸国の連携――国が破滅する足音がすぐそこまで迫っているのを感じながら、レイナーはどうしようもない無力感に苛まれていた。
ある朝、レイナーは最後の望みをかけ、南方の隣国の使節団と面会する手はずを整えていた。これまで自国と同様に貴族政治を強く批判してきたその国なら、革命の理念に理解を示してくれる可能性がわずかにあると信じたからだ。
しかし――、大統領府の応接室へ通された使節は、冷淡極まりない態度だった。
「……大統領閣下は、王政を倒した直後は高潔な理想を掲げていたとか。しかし、いま行っているのは他国への侵略と粛清ではありませんか。わが国にとっては脅威でしかない」
レイナーは必死に弁明する。
「どうか誤解しないでください。我々は支配のためではなく、あくまで圧政に苦しむ民衆を解放するつもりで……」
「解放? では、侵攻先で起きている略奪や住民虐殺は何なのです? わが国の報道でも、そちらの破壊行為は知れ渡っていますよ」
使節の言葉に、レイナーは言葉を失う。事実、軍や保安局が征服地で残虐な行為を行っていることは否定できない。パルメリアは「必要な粛清」として容認しているし、それをレイナー自身も止められない立場にある。
「……それは一部の兵が暴走している可能性も。私たちは決して、住民を苦しめるために戦っているのではありません」
「一部の兵? その『暴走』をなぜ放置する? それこそ体制の問題だろう。わが国を含む周辺諸国は、もはやあなた方の言う『革命』を信用していない。これ以上の侵攻を続けるというなら、相応の対策を取るまでだ」
使節は語気を強め、書簡を残すと席を立った。そこには「停戦と撤退をしなければ、共同で武力対処する」という趣旨が明記されている。
レイナーは苦渋の思いで、それを受け取るしかなかった。彼が「少し時間をいただければ……」と声をかけても、使節は「あまり猶予はありませんぞ」と冷ややかに返すだけだった。
(――もう外交で解決できる余地など、ほとんど残っていないんだ)
その夕刻、レイナーは執務室でパルメリアに会い、使節とのやり取りを詳しく報告した。だが、彼女は相変わらずの強硬姿勢で応じる。
「連合を組むと言って脅そうとしているのね。ふふっ……ならば先にこちらが彼らの中枢を押さえればいいだけ。もし怯んで停戦などしたら、今度は私たちが攻められるわ」
彼女の瞳には迷いがない。むしろ狂信に近い決意が浮かんでいて、レイナーの言葉など一切意に介さない様子を見せる。
レイナーは苦しげに机を睨みつける。己の声が届かないもどかしさに、拳を握りしめてもどうにもならない。
「パルメリア、世界を全て敵に回しては、いずれ僕たちは……。もう少し話し合いの道を模索できないのか?」
「模索? そんな時間を与えれば、連中は国境を固め、こちらへ一斉侵攻してくるわ。甘い考えでいて、民が大勢死ぬことになる。――私はそのような無責任にはなれない。ふふっ、私が攻め続けることで、むしろ民を守っているのよ」
そこには「狂信」以外の何ものも見当たらないが、パルメリア本人は本気で「これが正義」だと信じている。かつての革命の理想からはあまりにもかけ離れた姿だ。レイナーは唇を噛み、もはや何も言えずにその場を後にした。
次の日、レイナーのもとへ新たな使者が届く。彼がわずかに望みを繋いでいた別の隣国の外交官からの書簡だ――と思いきや、その内容は「これ以上の接触を拒否する」という冷たいもので、要するに「連合が本格的に動き出すため、共和国への制裁に加わる」という意志表明でもあった。
書簡には「王政より危険な独裁政権」と断じられ、徹底抗戦の姿勢が示されている。もはや和解の道は完全に閉ざされていると言ってよかった。
「……これで、本当に終わりか」
レイナーは手元の書簡を見つめ、力なくつぶやく。周辺諸国が連合を組むのは時間の問題で、彼がどれだけ動いても、相手はもはや耳を貸してはくれない。
国内でパルメリアの独裁に意を唱えれば粛清され、国外では戦争を止めようと声を上げても「手遅れ」と返される――これが現実なのだ。
その夜、レイナーは廊下でガブリエルとすれ違った。司令官のガブリエルは疲労の色が濃く、彼の腕には大量の軍令書が抱えられている。
レイナーが声をかけようとするが、ガブリエルは足を止めずに小さく首を振るだけで、表情には諦観が刻み込まれていた。二人は言葉を交わさないまま別れ、闇のなかに消えていく。
まるで「お互いを助けられない」ことを悟っているような、それでもそばにいるしかない歯がゆさが漂っていた。
隣国が相次いで通商路を閉鎖し、国境に大規模な兵を集める。さらに、海を隔てた大国も「共和国を制しなければ、いずれ自身の脅威となる」という危機感を強めていた。
こうした連携により、「対共和国連合」はすでにほぼ形成されつつあり、物資の流通は大幅に制限され、共和国は孤立の度合いをいよいよ深めている。
レイナーが得た情報によれば、それらの国々が結集すれば、共和国軍など全く相手にならない可能性が高い。だが、パルメリアはその現実に目を背けるどころか、「ふふっ……私に逆らう愚か者どもが連携しているのなら、なおさら先手を打ちましょう」とすら言い放つ。
ある夕方、大統領府の会議室では、保安局幹部や軍の強硬派が集まり、「連合が動き出す前に大打撃を与えて降伏させる」という強権的な作戦を論じていた。レイナーも呼ばれて同席したが、ほとんど意見を言う隙がない。
パルメリアは地図を広げ、各国の動向を確認すると、すべてを「先制攻撃」の範囲に含めようと主張する。ガブリエルが、「しかし、全方位に敵を作れば……」と懸念を示すと、彼女はきっぱり言い返す。
「ふふっ、甘いわね。もし一国ずつ丁寧に戦っていたら、連合が完成してこちらを呑み込む。全方位を一気に叩くのが賢明でしょう?」
「ですが、それは……」
「黙って従いなさい。あなたが司令官として迷えば、兵たちが不安を募らせるだけ。――『私の正義』を信じられないなら、ここにいる資格はないわ」
その言葉に、周囲の将軍らはおぞましいほどの熱狂と緊張を抱え、神妙にうなずくだけだ。誰もが「逆らえば粛清される」とわかっており、むしろパルメリアの「覇道」に乗る方が安全だと判断している。
レイナーはただ目を伏せ、「これではもはや外交の余地など、どこにも……」と心の中で涙するだけだった。




