第78話 戦争の大義②
ある日、大統領府の一室で、パルメリアは少数の幹部を集めて次の侵攻作戦を協議していた。軍司令官ガブリエル、外務を担当するレイナー、保安局の長官らが主なメンバーだ。
机には地図が広げられ、国境線や隣国の主要都市、資源地帯などが細かく書き込まれている。
「まずはここの鉱山地帯を制圧し、そこから北部の地方都市へ進軍する。……ふふっ、そうすれば奴らの兵站を分断できるし、こちらが必要とする資源も確保できるわ」
パルメリアの指先が地図上をなぞり、その軌跡は王政時代の侵略ルートと酷似していた。かつての王が領土拡張を目指してつけた線を、彼女がなぞるとは誰も想像していなかったが、現実はこうして再現されようとしている。
「パルメリア様、それは……昔の王国が侵略戦争で用いたルートとほぼ同じかと……」
ガブリエルが勇気を振り絞って言うと、パルメリアは眉一つ動かさずに答える。
「ええ、そうね。だけど当時は王政の傲慢だった。でも今は違う。私たちは民を解放し、革命の正義を広める側。――ふふっ、何か問題でも?」
その笑いに潜む妖艶さと狂気が、部屋の空気を凍りつかせる。
ガブリエルは視線を下に落とし、何も言い返せない。レイナーも口を開こうとしたが、結局やめた。彼女の狂気に満ちた瞳を見れば、ここで反論しても徒労に終わるだけだ。
協議後、レイナーとガブリエルは廊下で顔を合わせた。二人とも、以前のパルメリアを知っているからこそ、今の状況に深い失望と苦悩を覚えている。
人目が少ないのを確認し、レイナーが小声で声をかける。
「……どうする、ガブリエル。このままでは、僕たちが全ての引き金を引くことになる。国境を越えれば、周辺諸国は結束してこちらを攻め返すだろう。国防軍だって疲弊してる。戦争で勝てる見込みは薄いはずだ」
「私に言われても……もう司令官として命令に従う以外に道はないんだ。もし背けば、私や部下が粛清される。それに、パルメリア様を見捨てるようなことは、私にはできない」
ガブリエルは苦渋の表情を浮かべる。誇りを守れなくても、最後までパルメリアに仕えるという、自らの誓いを捨てることができないのだ。
「……わかってる。だけど、こうなると、もう止まらない。いつか、彼女自身の手でこの国が焼き尽くされるんじゃないかって、僕は怖いんだ」
「レイナー……」
それ以上、どちらも何も言えなかった。二人とも抱えるものが多すぎ、ましてや保安局の監視のなかで長々と話せる立場ではない。
そんなある日、国境付近で小規模な衝突が発生したという報が入る。保安局の精鋭部隊が「事前偵察」として越境し、隣国の守備隊と交戦したのだ。
結果は些細なもの――数名の死傷者が出ただけで戦線は拡大していないという。しかし、この一報は「本格的な戦闘が始まる」予兆として国中を震撼させた。
「……閣下、敵の出方を見てから動くことも可能かと思われますが」
国防軍の一部幹部は、すぐに大規模侵攻へ移るのは危険だと主張した。しかし、パルメリアはその意見を一蹴する。
「そちらが動く気なら、こちらこそ反撃するしかないわ。ふふっ……むしろ好都合よ。今こそ『革命の理想』を証明する時が来たじゃない」
彼女はまるで、それを待ち望んでいたかのような言い草だ。隣国が少しでも牙をむけば、堂々と侵攻を正当化できる――彼女がそう考えているのは明らかだった。
小競り合いの報せから程なくして、再び街頭に布告が貼り出される。そこには「正義を貫くため、隣国へ本格的な出兵を行う」「敵の侵略を未然に防ぐための自衛措置」であると断言されていた。
「自衛措置」「民衆の解放」という美辞麗句の裏にあるものは、純然たる侵略戦争――しかも、粛清で疲弊しきった国内をさらなる緊張に追い込み、他国との大規模衝突を招く可能性が高まる。にもかかわらず、パルメリアはひるむ素振りを見せない。
「王政時代と同じか、それ以上に性質が悪いよ……」
「でも、もうどうしようもない。俺たちはただ従うしかないんだ……」
人々は相変わらず口をつぐみ、保安局はますます監視を強化する。以前なら生活感が色濃かった市場も、今やほとんど機能しておらず、兵役や物資徴用で逼迫する国民は、生きることに精一杯だ。こんな国で誰が反対運動を起こせるのか――その疑問を抱えても、答えは見つからない。
布告から数日後、パルメリアは軍関係者の前で「戦争の大義」を再び説く。彼女の姿はどこか神々しく、あるいは狂おしさを増しているかのようでもあった。周囲の強硬派議員と保安局幹部が拍手を送るなか、彼女は演台で微笑みながら語り続ける。
「ふふっ……私たちの革命は、王政という腐敗を打ち砕き、民を解放してきたの。だけど、まだ周囲の国々では同じような圧政に苦しむ人がいる。ならば、私たちが手を差し伸べるのは当然でしょう……?」
口調は穏やかだが、その瞳には「自分こそ絶対の正義」という信念が宿り、彼女の笑いが一段と不気味な迫力を帯びる。革命家として名をはせたころの情熱とは違う、どこか危険な光だ。
ガブリエルは騎士の矜持を失ってなお、「守るべきはパルメリアだ」という執着に縛られ、演説を黙って聞いている。レイナーは祈るような気持ちで、「これ以上戦線が拡大しませんように」と願っているが、その祈りは空しく響くだけだった。
「私がやっていることは、王政が行った侵略なんかとは違うわ。これは『解放』――ふふっ、理解できないなんて、本当に哀れよね。私たちが動かなければ、世界は私たちを呑み込みに来る。ならば、こちらから一歩踏み出すまでよ」
その場に集まった者たちは拍手を送るしかなく、保安局の厳しい目が光っている以上、疑問を呈する声は一切あがらない。こうして、歪んだ正義が堂々と宣伝され、誰もそれを止められないまま、侵攻への道がさらに確固たるものとなっていく。
外征の布告が海外にも伝わり、周辺諸国の態度は硬化を極めた。もともと粛清国家として警戒されていた共和国が、ついに他国を侵略しようとしている――そうなれば、誰もが「連合」を結成して対抗するのは当然だろう。
レイナーが細いパイプを通じて必死に連絡を試みても、「交渉の余地なし」と返されるばかり。周辺諸国が急速に結束し、対共和国の包囲網を敷こうとしているのが見え見えだった。
(これ以上進めば、完全に四面楚歌だ。民を解放どころか、戦火に巻き込むだけじゃないか……)
レイナーは頭を抱えるが、パルメリアにそれを訴えたところで聞き入れてもらえないのは目に見えている。むしろ「弱気な発言は内通の疑いがある」と保安局に目をつけられかねないほどだ。




