第77話 侵攻の決断②
一方、パルメリアの強硬姿勢に拍手喝采する者たちもいた。政府内部で力を持ち始めた強硬派の議員や保安局幹部たちは、侵攻が決まれば自分たちの権勢をさらに拡大できると目論んでいる。
外征が始まれば、国防軍への優先的な物資補給や産業統制など、あらゆる権力が軍部と保安局に集中する。それを見越して、強硬派はここぞとばかりにパルメリアを持ち上げる。
「大統領閣下のお考えこそ、国家存続の唯一の道です。国内の反対意見は、また保安局が処理いたしますのでご安心を」
「閣下が仰せになれば、我々は喜んで戦いに赴きましょう。革命の理想を広めるためにも、周辺諸国に力を示すべきです!」
そうした声を聞くたび、パルメリアの唇にはかすかな笑みが宿る。かつては彼女を熱烈に支持した仲間たちが去り、今はこのような「権勢目当て」の取り巻きだけが残っている現実――それを自覚しながらも、彼女はもう何も言わない。
「ふふっ……皆が私を理解してくれるのなら、嬉しいわ」
一見、皮肉のようにも聞こえる笑みと台詞。それを周囲は額面通りに受け取り、ますます侵攻計画に熱を上げていった。
侵攻に向けた動きが本格化すると、まず徴兵が強化される。国内の若い男たちが次々と兵役に駆り出され、農村や都市では労働力の減少が深刻化し始めた。
粛清の恐怖から不満を口にできないまま、農家の次男や商店の従業員、あるいは職人たちも、軍服を着せられて集められる。物資が不足しても、それを嘆く声は保安局の厳戒の下でかき消される。
「息子が徴兵されて……いつ帰ってくるかわからない。王政のときより酷いじゃないか……」
「しっ、そんなことを言ったら……どうなるかわからないわよ」
街角では、怯えたささやきが飛び交う。かつて“革命で自由を勝ち取る”と信じた民衆は、今や「更なる戦争の渦中」に巻き込まれようとしていた。
さらに、外征に合わせて物資の配給制が導入される。軍が最優先で装備や食糧を確保するため、都市部や農村でも一般市民が手に入れられる量は激減した。
国中に苦しみの声が広がり、闇市が出現し、密売や略奪の噂が増えるが、保安局の監視下で声を上げる者は限りなく少ない。
「なぜこんなことになったのか……本当は誰も望んでないのに」
そんなつぶやきが潜む場所もあるが、誰一人立ち上がろうとはしない。革命を主導した仲間たちは追放され、あるいは辞任して行方をくらまし、残るのは恐怖に支配された沈黙だけだった。
ある夜、軍部と保安局が外征準備を進める陰で、レイナーは再びパルメリアに面会を求める。もはや形だけの外交担当とはいえ、彼は自らが何もしないまま戦争に突入するのを黙って見過ごせなかった。
大統領府の執務室は深夜にもかかわらず明かりが灯っており、パルメリアが書類と向き合っている姿があった。
「……パルメリア、少し時間をもらえないか」
普段より弱々しい声でレイナーが言うと、パルメリアは一瞬顔を上げる。いつものような冷えた眼差しがレイナーを射すくめるが、なぜか彼女は静かに筆を置き、わずかに笑みを浮かべる。
「ふふっ……レイナー、またあなた? いったい何度目の説得かしら。諦めが悪いわね」
その言葉尻に、軽い嘲笑とも取れる響きが混ざる。それを感じ取りながら、レイナーは歯を食いしばる。
「この国は孤立し、物資不足で国民が苦しんでいる。それなのに侵攻を始めれば、長期戦になり更に犠牲が増えるだけだ。……もう一度、外交交渉を試せないか?」
パルメリアは書類を脇に置き、すっと立ち上がる。見下ろすようにレイナーを見据え、その唇に浅い笑みを宿している。
「ふふっ……あなたがどれだけそう言っても、彼らが私たちを脅威と見ている現実は変わらない。むしろ、攻め込まれる前にこちらが制圧すれば、被害は最小限に抑えられるかもしれないでしょう?」
「でも、それは無数の死と……」
「レイナー、黙りなさい……! もう聞き飽きたの。死を恐れて何もできないまま滅びるくらいなら、自分たちで道を切り開くのが『革命』の本質じゃなくて?」
彼女の厳しい声に、レイナーは肩を落としたまま黙り込むしかなかった。
パルメリアが再び書類に視線を戻し、まるで独り言のようにつぶやく。
「それに、私は『正義』を信じている。私がここまで血を流して築いてきた秩序を守るためにも、敵を排除する必要があるの。――わかってくれないのなら、あなたも用済みよ……ふふっ」
震える笑い声が耳に突き刺さり、レイナーは答えることができない。黙って背を向け、大統領府を去っていく。もはや言葉ではどうしようもないことを悟り、やるせない失望だけが彼の胸を満たす。
一方で、国防軍の司令官ガブリエルは、侵攻に向けた軍の動員計画に追われていた。すでに鎮圧などの国内任務で兵は疲弊しているが、パルメリアの命令とあらば従わざるを得ない。
夜明け前の兵舎で部下と打ち合わせをしながら、ガブリエルは苦渋に満ちた面持ちを隠し切れない。
「司令官、本当に隣国へ進軍するんですか……? 物資の準備や兵士の訓練も十分とは言えないのに」
「私だって迷いはある。しかし、上からの命令だ。……それに、今さら引き返せば、我々が粛清されるだけだろう」
その言葉に若い副官は暗い表情でうなずく。もう彼らに選択肢などないことは理解している。どう抗おうと、パルメリアの方針に逆らえば「裏切り者」とみなされる社会――そこから逃れる手段はない。
ガブリエルはそっと副官の肩に手を置いて、わずかに声のトーンを落とす。
「せめて、可能な限り犠牲を減らすようにしよう。私たちがここで踏ん張らなければ、さらに大きな悲劇を招くかもしれない。……これが、私の司令官としての誇りの残り火だ」
「はい……司令官」
兵士たちはうなずき、やがて各々が出動の準備へ散っていく。憂いと絶望と、かすかな使命感が入り混じった面持ちで。大きな戦争が始まれば、また多くの命が飲み込まれることを誰もが悟っているが、もう止められないのだ。
翌日、政府広報として「共和国は周辺諸国による脅威に先んじ、正義のための戦いを開始する」という布告が張り出された。表向きは「国防」と「革命の理想を守るため」と銘打たれているが、その実態は事実上の侵略戦争である。
人々はその布告を見ても声を上げることはせず、ただ沈黙するばかり。粛清が蔓延し、情報統制が進むこの国では、抗議の術など存在しないも同然だった。
「また戦争か……王政時代と変わらないどころか、もっと血なまぐさい話になりそうだ」
「しっ。そんなこと言ってると、あんた、保安局に目をつけられるよ」
わずかなつぶやきすら互いを止め合う。誰もが自らの命を優先し、黙る以外の選択肢を失っていた。革命の旗は、いつしか血と狂気を纏い、国内での弾圧だけでは飽き足らず、隣国へ向けて刃を向け始める。
布告が出された瞬間から、国防軍は総動員体制へ入り、保安局も内部の裏切りを警戒して監視を強化する。国境に展開する軍勢は、パルメリアの指揮のもと「解放」という名目で隣国へ踏み込む準備を整えていた。
ある者は言う――これが王政とどれほど違うというのか、と。しかし、その言葉を口にすれば命はない。こうして国民は口をつぐみ、兵士は馬に鞭をくれ、保安局は密告と取り締まりに励む。誰もが血と戦火の匂いを感じとりながらも、それを止める勇気も手段も持っていないのだ。
こうして、パルメリア・コレットはついに「他国への侵攻」を決意し、公にそれを布告した。周辺諸国は激しく反発するだろうが、彼女にとっては「やむを得ない自衛策」であり、「革命の正義を護るための一撃」でもあると固く信じている。
内政での粛清と支配は完成し、外征を前にさらなる狂気を帯びる彼女。そこには、昔のような慈悲もためらいも存在しない。「革命」に殉じるという名目のもと、周囲を巻き込む破滅へと突き進むばかりだった。
「ふふっ……いよいよね。私の正義を、彼らにも知らしめる時が来たのよ……」
大統領府の執務室でつぶやくパルメリアの笑みは、美しくもどこか恐ろしい。灰色の空が窓の向こうに広がり、まるでこの国の未来を暗示するかのように低く垂れ込めていた。
「勝てば正義、負ければ滅び」とも言える道を選んだ彼女は、すでに引き返せない境地にある――その一歩が、国全体をさらなる破滅へ導くことを多くの者は感じ取りながら、口をつぐむしかないのだった。
――そして、この「侵攻の決断」が導く先は、血塗られた戦場と、さらなる絶望。粛清の嵐が吹き荒れる国の内外で、悲劇が加速していく。革命で語られたはずの自由や希望は、もはやどこにも見当たらないまま、次の惨劇の幕が開かれようとしていた。




