第75話 誇りなき剣②
その日の夕刻、ガブリエルは出撃前にパルメリアの執務室を訪れた。
ここしばらく、二人は会話らしい会話を交わすこともなく、ただ粛清の命令と軍の配置を確認するだけの日々が続いている。
「……この村の反乱分子とやら、どの程度の勢力かはわからないが、今回も保安局と共同で行動せよとのことですね」
ガブリエルは言葉を丁寧に選びつつ、意見を伺う形をとった。
パルメリアは机に伏せたまま、報告書をめくりながら応じる。
「ええ。保安局の情報によれば、旧貴族派や亡命者の手先が混じっている可能性があるそうよ。……もし、少しでも疑わしい動きがあれば、容赦なく排除してちょうだい。目をかける必要はないわ」
「……承知しました」
口から出た返事は、もはや惰性のような響きだった。
それでもガブリエルは最後の一押しを試みる。
「パルメリア様、しかし――私たちが本当に相手を『疑わしい』だけで殺めてしまえば、そこに紛れ込んでいるかもしれない無実の民まで犠牲になるでしょう。……何とか穏便に済ませる道は?」
パルメリアは小さく息をつき、書類を机に置いた。
以前なら、もしかしたら彼女も悩んだかもしれない。けれど今は、冷徹な瞳でガブリエルを見つめる。
「ガブリエル。私たちはもう引き返せない。反乱の芽を放置しては、国全体が炎上するだけ。穏便なんて言葉は、今のこの国には通用しないわ。……あなたは私の騎士でしょう? なら、私の方針に従って」
そこには、ほんの一瞬だけ寂しげな表情が映ったが、すぐに冷たい光へと変わった。
ガブリエルもまた、彼女を裏切ることなど到底できない。かつて誓った忠誠と、この国を守りたいという思いが、彼をこの場につなぎ留める。
「……わかりました。お言葉どおり、命令を遂行いたします」
そう言うと、パルメリアはわずかにうなずき、再び書類へ視線を戻した。
会話が途切れ、執務室には沈黙が落ちる。かつては共に王政打破に燃えた仲――しかし今、二人のあいだには大きな亀裂があると、ガブリエルは痛感していた。
翌朝早く、ガブリエル率いる国防軍の部隊と保安局の捜査官たちは連れ立って、首都を出発した。目的地は、南方の山間部にある小さな村だ。そこに「反乱の火種」があるとの報告を受け、粛清を断行するという。
「馬に乗るのも重い気分だな……。いや、こんなこと、口に出すわけにはいかないか」
若手兵士が仲間と視線を交わすが、言葉を濁す。
周囲には保安局員が点在している。下手なことを口走れば、すぐに「反体制発言」とみなされるかもしれない。それが今の国防軍の現実だ。
ガブリエルは馬首を上げ、隊列を整える。部下たちの沈んだ表情を見れば、誰もが同じ思いなのは明らかだった。
かつての騎士団なら、民を守るための出撃には士気が高まっていたはず。今のように「粛清の手伝い」として動く姿など、想像すらできなかった。
(これが私の剣か……いや、もはや私は「誇りある騎士」などではない。パルメリア様の言う『強い国家』を支えるための道具にすぎないのか)
行進しながら、ガブリエルは静かに息を吐く。先頭を進む騎馬の列は、街道を行くうちに人々の恐怖を引きずり出すかのような眼差しを浴びる。
道端にいた村人らしき人物が彼らを見て、身をすくませる。――王政を打破したはずの国が、ここまで民を怯えさせる存在になってしまった事実が、胸を締めつける。
数時間後、部隊は目的の山間の村へ到着。そこには「旧貴族派が潜伏している」という情報があり、保安局が事前に手を回していた。
村の入口で、捜査官たちは住民を一列に並ばせようと威嚇を始める。少しでも反発すれば「反乱分子」と断じられるだろう。住民たちは幼子を連れ、青ざめた顔で従うほかない。
「この村は平穏に暮らしていただけです! 反乱なんて、聞いたこともない!」
「どうか勘弁してください。私たちには関係のない話です……」
悲鳴にも似た声が飛び交う。だが、保安局員は聞く耳を持たない。
彼らは住民の間を歩き回り、顔を確認するようにひとりずつチェックしている。リストにある名前と合致すれば「逮捕」、少しでも怪しいと思えば「取り調べ」。
その光景を、ガブリエルと国防軍の兵たちは黙って見守るしかなかった。実力行使の準備だけは万全だ。もし誰かが抵抗の刃を振るえば、彼らは軍の剣で容赦なく斬り捨てなければならない。
(こんなの、まるで悪夢だ。いつから私たちは人々に剣を向けるようになった?)
胸の奥で叫びたくても、言葉にはできない。その時、壮年の男が震える声で訴えた。
「私たちには何もやましいことはありません! 旧貴族なんて……そんなもの、どこにもいないはずです!」
保安局員は鼻で笑い、男の胸を押し返す。
その表情には、「疑わしきは罰する」という明確な意思が宿っていた。むしろ、何か問題が見つかったほうが手柄になる――そんな雰囲気すら漂う。
「黙って従え。もし反乱に関与した証拠が見つかれば、容赦はしないぞ」
男は必死に弁明するが、保安局員はリストを確認しながら周囲の者を指差し、次々と「取り調べ対象」を指名する。
どこからか、小さく涙を流す子どものすすり泣きが聞こえてくる。にもかかわらず、誰も助けることはできない――下手をすれば、自分が次の標的になるからだ。
「……司令官、何か言ってくださいよ。これじゃあ、ただの弾圧じゃないですか」
近くにいた若い兵士がガブリエルにささやく。しかし、ガブリエルは歯を食いしばりながら視線を伏せる。
司令官としてできることは、「命令に従って状況を収める」だけ――そこに反論の余地はない。もし彼が保安局に楯突けば、部隊全体が「裏切り者」と見なされる危険があるのだ。
(こんなものが、私の戦う場所なのか? 誇り高き騎士道とは程遠い……しかし、私は誓ったのだ。パルメリア様を支え、国を守ると。ならば、これが私の宿命なのか……)
ガブリエルは今にも振り上げられそうな剣を見つめながら、心を押し殺す。かつて革命をめぐって命を懸けた日々の輝きと、目の前の惨状があまりにもかけ離れていて、呼吸すら苦しくなる。
すると、突然老人の一人が「ふざけるな!」と声を上げた。すっかり腑抜けたように見えた村人の中に、ほんの少しの抵抗の気概が残っていたのだ。
老人は震える手で農具をつかみ、保安局員に向かって一歩踏み出した。
「お前たちは何だ? 革命ってのは、民が自由を手にするためじゃなかったのか? どうして俺たちがこんな目に……うっ……!」
老人は悲痛な叫びを上げる間もなく、保安局員の警棒で殴り倒された。血が地面に落ち、周囲の村人たちは恐怖で後ずさる。
ガブリエルはその場に向かおうとしたが、保安局員が威圧的な眼差しで制止する。
「司令官、ここは我々が処理します。誰かが抵抗すれば即刻『反乱の芽』と見なし、鎮圧するのみ。軍は必要な時だけ動いていただければ結構ですから」
その言葉は「必要になったら血を流す役を頼む」という意味でもある。ガブリエルはこわばった表情でそれを受け止めるしかなかった。
一方、老人は意識を失いかけたまま拘束され、保安局員に引きずられていく。村人たちは誰も声を出せない。抵抗が絶望的であることを目の当たりにし、その場で震えるだけだ。
(何もできない。私が剣を抜けば、今度は保安局員と衝突することになるかもしれない――そんなことをすれば、パルメリア様を裏切る形になる……)
ガブリエルの胸には、騎士としての誇りが叫んでいる。しかし、同時にそれを行動に移せば、自分が粛清されかねないという現実も重くのしかかる。結果、ただ立ち尽くすしかなかった。




