第73話 孤立する共和国②
軍を統括するガブリエルは、国内各地から上がる「略奪や暴動の芽」の報告に頭を悩ませていた。
軍の一部には、周辺諸国との対立が激化した際には「先制攻撃も視野に」と息巻く強硬派もいる。王政時代の軍が崩壊して以降、再編されたばかりの兵士たちの中には、粛清を当然と捉えている者も少なくないのだ。
「もし本当に戦争になれば、この国はもう取り返しがつかなくなる。民も兵も、さらなる血の海に沈むだけ……」
ガブリエルは司令部の机に広げられた地図を見つめながら、唇を結ぶ。周辺諸国は既に国境警備を強化し始めており、中には小規模な演習を行う動きも報じられている。
それに対抗してこちらが軍を派遣すれば、いずれ本格的な武力衝突へ繋がるのは目に見えている。
(パルメリア様が本気で「自分たちを恐れさせて黙らせる」という路線を取れば、どこかの国との全面対立は時間の問題だろう。……止めるべきだが、どう動けばいい?)
何とかして状況を改善しようにも、彼女を直接説得できる場は少なく、ガブリエル自身が「裏切り者」と見なされる危険もある。
司令官として国防に当たる立場でありながら、“本当にこの国を守るためにはどうするべきか”という根本的な問いに答えられず、彼は苦悩を深めていた。
数日後、レイナーは国境付近まで足を運び、隣国の使節と密かに会合を持とうと試みた。
かつてのように公的な公式訪問ではなく、あくまで非公式の形で「民間の商人や仲介人」を通じて会う場を作ったのだ。
彼はわずかな望みに賭け、紙切れのような交渉文案を用意して出向いた。しかし待ち合わせ場所に現れた使節は、頬を強張らせていた。
「……レイナー殿。正直言って、今の共和国は危険すぎる。こちらとしても、あまり深く関わりたくないんだ。民衆の弾圧が続き、秘密警察が暗躍していると聞く。この国との大規模な取引は、政治的リスクが大きすぎるんだよ」
そう淡々と言われ、レイナーはうつむく。
相手は続ける。
「もしあなた方が軍事力を振りかざして隣国を脅すつもりなら、こちらとしては連合防衛協定を引き合いに出し、共同で対処する。……そうならないよう願うが、備えはある」
「わかっています。……それでも、このまま断交状態になれば、両国に利益はないはず。私たちは本来、平和的な改革を志していたんです……」
「革命当初はそうだったと聞く。しかし今は、粛清が横行し、他国を敵視する体制に見える。申し訳ないが、建前や理想だけでは動けない」
そう言われ、レイナーは何度か唇を動かすが、返す言葉が見つからない。数年前ならば「革命の正当性」を説いて堂々と反論したかもしれないが、今の血塗られた現状を思うと、どんな言葉も空虚に響くだけだ。
結局、この密かな会合は平行線に終わり、レイナーは苦悩を抱えたまま戻るしかなかった。
パルメリアに報告すれば、また「こちらが譲る必要はない」と一蹴されるだろう。それが分かっていながら、それでも彼は少しでも活路を見いだそうと奮闘する。しかし、その努力はほとんど空回りに終わっていた。
そんな状況下でも、パルメリアは外からの批判を気に留めず、強硬路線を貫く意志を揺るがせない。
ある晩、執務室でレイナーの報告を受ける彼女は、かすかにまぶたを伏せ、疲れ切った声で答える。
「外交交渉が行き詰まるのは仕方ないわ。周辺諸国が私たちを『危険』と見なすなら、それでいい。――どうせ、私たちは独自に進むしか道がないんだから」
「でも、パルメリア……このままでは国内経済が破綻してしまう可能性もある。国境が塞がれば農産物を売る先も限られ、逆に輸入できる物資が枯渇すれば、飢餓や暴動が再び……」
「わかっている。だからこそ、内側を引き締めて混乱を防いでいるのよ。……あなたには理解できないかもしれないけれど、私は国内の秩序を優先する。それが守れなければ、たとえ国外との関係を取り繕っても無駄になるだけ」
その言葉には、どこか壊れた執念がにじんでいる。かつては改革と発展を同時に目指すと宣言したパルメリアが、今は外交関係を断ってでも粛清を徹底しようとしている――その姿に、レイナーはやるせなさを覚えつつ、「もはや説得は不可能」だと悟る。
「……わかったよ。僕は僕なりに、できる範囲で被害を最小化する道を探す。たとえ小さな突破口でも、見つけたい」
レイナーはそう言い残して去っていく。その背中を見送りながら、パルメリアは心の中でつぶやく。
(ありがとう。でも、そんな優しいやり方じゃ、もう乗り越えられないところまで来てしまったの……)
誰にも届かない独白が、執務室の闇に溶けていく。
国内ではすでに、「隣国へ密かに渡って保護を求める」という動きが後を絶たない。
しかし国境が厳しく監視される中、成功するのはごく一部。運よく国外へ抜け出せたとしても、そこには疑いの目と厳しい移民制度が待ち受けている。
町や村では「あそこの家族は夜逃げしたらしい」「次の日には保安局が来て、家を壊したんだって」といった噂が飛び交い、人々の不安を煽っていた。
「こんな状況で、この国に留まる意味があるのか……」
「でも、他国も受け入れてくれるかどうか……もし密告されたら、それこそ家族全員が処刑されるかもしれないし」
こうしたささやきが繰り返され、街全体が怯えを抱えたまま沈黙を選ぶ。「反乱」と見なされるのを避けたい人々は、なおさら声を潜めるため、国論が収斂することもない。結果的にパルメリアの独裁がさらに固まるという皮肉な状況が続いていた。
一方、国境を超えた先の諸国では、ますます「共和国が孤立している」という認識が広まっていた。
各国の新聞や商人は「暴政」「血の粛清」「恐怖政治」という刺激的な言葉をもって共和国を批判し、ある国では「パルメリア大統領は狂気にとりつかれた」などと扇情的な報道を行うケースも出てきた。
もともと革命に共感していたリベラル派の学者や知識人ですら、今の共和国を擁護することは難しくなり、代わりに「革命が理想を失う典型例だ」という論調が台頭していく。
「貴国の革命は、もはや理想を捨て去った。ただの独裁者が徹底的に民を支配しているだけだ」
この種の批判に対して、共和国政府は正式に反論するルートも少なく、そもそもパルメリア自身が「他国の批判など気にかける必要はない」と強がり続けている以上、事態はまったく改善しない。
こうして、共和国の名声は地に落ち、他国からの援助や協力は期待できなくなっていった。




